12.苦しみの中で一時の安らぎ(アル)
アルバートは物心ついたころから心と体の乖離を無意識に抱いていた。私の最初の疑問はなぜドレスやワンピースを着てはいけないのかだった。頭では分かっている。自分は男の子でそのような恰好をする必要はない。だが心の渇望は年々肥大していった。
もともと女顔で幼少期から女の子と間違えられる。攫われそうになったこともあった。父は少しでも男の子らしく見えるように髪を短く整えされた。それが酷く悲しかったが口には出せない。両親は私が男の子らしく振る舞うことを望んでいる。そうしなければならないと自分の心を戒めた。同年代の子息たちは私を「女の子みたいで気持ち悪い」と揶揄った。
だがその言葉より男の子らしく過ごすことの方が苦痛だった。いつも自分自身に自問自答した。そして男の子であることを心が否定している、自分は女の子になりたかったということに気付いた。それが分かったところで誰にも相談は出来ない。両親に打ち明ければ悲しむだろうし周りの人は気味悪がるかもしれない。
悩んでいることを誰にも知られないようにしながら、心は終りの見えない苦しみに囚われた。
そんなときマリエルに会った。彼女はふわふわの髪をお団子に結い、男の子のような格好をして過ごしていた。まだ6歳といっても貴族令嬢としてはあり得ないだろう。いくら伸び伸びと育って欲しいと考えていても、このままでは将来令嬢らしく振る舞えるのかとベルツ伯爵夫妻も危惧を抱くようになり、私に友人になってそれとなく貴族らしさを教えてやって欲しいと頼まれた。
その頃の私は乗馬や剣の稽古よりも刺繍が好きで、活発に動くよりも静かに読書をして過ごすのが好きだった。その辺りを私と過ごすことでマリエルが同じように出来ることを期待したようだ。
「マリエルの髪はふわふわで可愛いね。せっかくだからおろしてリボンをつけてみようよ」
マリエルの髪を櫛で梳かしハーフアップにしてリボンをつける。自分もこんな風にしたかったと湧きあがる願望を彼女の髪に投影した。
「マリエルはドレスが嫌い? 可愛いワンピースを着たくない? きっと似合うよ」
「…………」
いつも元気に過ごすマリエルにこの話をすると顔を伏せる。だからいつもは追及しなかったがこの日は自分の苛立ちのまま問い詰めた。そうだ。自分こそがドレスを着たいと思っていた。マリエルはそれが叶うのに拒む。その姿に嫉妬したのだ。八つ当たりだと分かっていても私も感情をコントロール上手くできていなかった。返事をしないマリエルに再び問いかける。
「どうしてそんなに嫌がるの。女の子なら憧れない?」
マリエルはポツリともらした。
「アル様は天使様だから似合うけど、私が着ると変だから嫌……」
マリエルは初めて会った時からアルバートを天使様みたいと言っているが、アルバートからしてみたらマリエルは妖精のように可愛いと思う。
「そんなことないよ。どうしてマリエルが着ると変だと思うの?」
「だって……去年のお誕生日にドレスを着たら、ドレスなんて変だってマリエルには似合わないって馬鹿にされたもん。綺麗な恰好は綺麗な人しかしちゃ駄目なの」
マリエルは大粒の涙をぽろぽろと流しながらきゅっと口を閉じた。伯爵令嬢に誰がそんなことを言うのかと訝しんだ。マリエルを宥めながら話を聞き出した。
去年の誕生日は領地でお祝いした。昼間は庭を解放し領民の子供達も招いたそうだ。
普段のマリエルは平民のような簡素な格好で領民たちと遊んでいたので、ベルツ伯爵がマリエルを楽しませようと子供達を集めることを計画したらしい。マリエルはとびっきり可愛く着飾ってワクワクしていた。いつも遊んでいるお友達に褒めてもらえると期待していた。ところが子供達はあまりにも普段と違い過ぎる姿に困惑したのだ。
頭の中では領主さまの子と知っていても身分を理解していなかったのだろう。いつものマリエルと違う高価な服を着ているので近寄りがたかったようで、マリエルが話しかけても口ごもってしまい返事をしてくれない。それどころか遠巻きに距離を取られる。そんな中、子供の中で特に仲良くしていたリーダー的な男の子がマリエルに言った。
「マリエル、その格好変だ! 全然似合ってないよ。なんだか気持ち悪い。いつもの方がいい」
マリエルはひどくショックを受けた。着飾って可愛いと言ってもらえると思ったのに似合わないと言われたのだ。6歳の女の子には大きな心の傷となった。その男の子はたぶんマリエルを好きだったのだろう。それが突然身分の差を思い知らされて、それをマリエルに八つ当たりした。アルバートは許せないと思った。
それ以降マリエルは自分は可愛くないから女の子の格好が似合わないと思い込んでいる。着飾っても笑われることを恐れてわざと男の子っぽい服や地味な恰好を選ぶのだ。
こんなに可愛いのにもったいない。アルバートはマリエルの意識改革をしようと決心した。
マリエルはぱっちりの瞳にゆるやかなウェーブの髪でまるでお人形さんのように可愛い。だが、言葉で「可愛い」と言っても気を使ってもらっていると思い込んでアルバートの言葉を信じようとしない。
それでもシンプルなワンピースを勧めればはにかんで着てみると言った。確かにマリエルの気性は活発なものだが、やはり女の子だ。本心では可愛い格好に憧れを抱いている。アルバートは自分が出来ない分もマリエルに託す気持ちでいろいろと世話を焼いた。アルバートにすっかり懐いたマリエルはアルバートの後をついて回りなんでも真似をするようになった。
アルバートがベルツ伯爵邸を訪ねれば、ぱあと顔を輝かせて駆け寄ってくる。その子犬のような愛らしさに癒された。
その日アルバートは両親と共にベルツ伯爵邸に遊びに来ていた。出迎えてくれたマリエルはニコニコしながら自分の部屋にアルバートを招く。
「アル様。これプレゼント! どうぞ」
可愛くラッピングされた包みを開ければアイスブルーのレースがついたカチューシャが入っていた。今マリエルの頭に飾ってある白いカチューシャと色違いだ。一瞬嬉しいと思ったが自分がつける訳にはいかない。どうすればと困惑する。
「ありがとう、マリエル。可愛いリボンだけど僕は男の子だからつけられないんだ」
マリエルはきょとんと首を傾げた。
「え―。どうして? マリエルとお揃いだよ。気に入らない? アル様このカチューシャのカタログのページをじっと見ていたから喜んでくれると思ったの」
ああ、マリエルは気付いていた。マリエルに勧めるものを探しながらも自分の好みの物を目が追っていたのだ。
「……いや。素敵なカチューシャだと思うよ」
出来ることならつけてみたいがその勇気はなかった。マリエルはじれたようにそのカチューシャを手に取るとアルバートの頭につけた。そして一歩下がって検分するようにアルバートをじっと見る。そして満足するように頷くと嬉しそうに瞳を輝かせて笑った。
「アル様、とっても似合ってる! 可愛い! マリエルと色違いのお揃い~」
「……本当? 変じゃない?」
私はおずおずと手でカチューシャをなぞった。自分の頭に飾られていると思うと胸がいっぱいになる。
マリエルは大きく頷くとアルバートの腕を掴み姿見の前まで引っ張っていった。自分の姿を鏡で確認すれば憧れていた髪飾りをしている。喉が詰まって言葉が出ない。マリエルはまるで自分のことのように誇らしそうにアルバートを見ていた。
しばらくすると両親が帰宅するためにアルバートを呼びに来た。両親はアルバートの頭にあるカチューシャに困惑している。慌てて外そうとしたらマリエルが止めた。
「アル様、外しちゃダメ。マリエルとお揃いのままでいて?」
その必死な懇願に両親は状況を察したようで苦笑いをした。
「アルバート。マリエルが悲しむからそのままでいてあげられるか?」
「はい。大丈夫です」
父の言葉に頷いた。私は嬉しかった。両親公認でカチューシャをつけていられる。ベルツ伯爵夫妻は申し訳なさそうに謝った。
「ごめんなさいね。アルバート君。屋敷にいる間だけマリエルに付き合ってもらえるかしら? どうしてもいやだったら外してね。無理はしなくていいから。マリエル、アルバート君が外したくなったらわがまま言わないで言うことを聞いてね」
「はい!」
その日からマリエルと過ごすときだけリボンや髪飾りを着けることが出来るようになった。
それがどれほどの喜びか。マリエルは私の願望に気付いていたかのように自分の持っている物を貸してくれた。幼いせいか偏見がない。
「私がつけていいのかな?」と呟けばマリエルは「似合うからつけていいんだよ!」と真剣な表情で頷く。
自分を偽る日々の中でマリエルと過ごす時間だけは自分らしくいられる。その小さな幸せだけで満足するべきだったのに私は欲をかくようになる。
髪飾りだけではなく、服も靴も可愛いものが着たいと望むようになっていった。




