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藤帯

作者: 藤泉都理

【日常】




 ああ、また始まった。

 もはや日常になってしまった光景を見た民たちは、互いに顔を見合わせて少し悲しそうな表情を浮かべて、各々仕事へと向かった。






「好きだ」

「好きだ」

「好きだ」

「好きだ」


 春夏秋冬すべての季節に浴衣を、しかも上半身の片側だけ(気分によって右側だったり、左側だったりする)を脱ぎ捨てて着る、なかなかに豪胆で若い男が治めるこの地は時々小さないざこざはあれど、殿さまのおかげで平和だと民は口々に言った。

 二週間前に、殿さまが老若男女だれかれ構わず独身者に愛の告白をするまでは。

 何かの祭りか芝居か、と微笑むよりも、天変地異だと民はこぞって占い師の元へと走った。

 占い師は言った。


 殿さまはだれにも言えない恋を暴走させて、老若男女問わず独身の民に赤い糸を結んでしまった。

 真実、好きな者を見つけられれば、この騒ぎは治まるだろう。






 

 民は今日も今日とて愛の告白を叫ぶ殿さまに同情して。祈った。

 殿さま、お可哀そうに。と。 

 早く見つけられますように。と。











(2022.5.18)




【秘君】





『遠くから見たら少し近寄りがたい美しさがあるけれど、こうして近づいて一輪ずつ見てみると。ふふ。ほら。引っくり返せば、まるで和三盆で作られたうさぎみたい。かわいい』

『ああ』

『あわい紫。こい紫。白。あわい紅。こんなにいっぱい咲いて。帰ってからも匂いが着物に残っていそうですね』

『ああ』

『………あなた様はいつも口をへの字にしていますね。話されるのはいつも一言だけ』

『ああ』

『ごめんなさい。私だけはしゃいでしまいました。愛していない女性とこうしてお出かけするのもお話するのも、あなた様にとっては退屈なだけ。ですよね。ほんとう。気が利かなかったわ。なにか食べ物を。いえ、お酒を用意しておけばよかった。そうしたら、少しだけでも退屈な想いをさせなかったのに』


 ただ。


 寂しげに彼女は笑った。




 ただ、なにも持たずにあなた様とおさんぽをしてみたかったんです。











「あれがわしの秘君、なのか?」


 布団から飛び跳ねた殿さまはあごに手を添えて、顔の中心にしわを寄せて首を傾げた。


「まっっったく、おぼえてないんだが」









(2022.5.19)




【挨拶】





「元気に笑って挨拶をする国を創りたい。わしの目標だ」

「重々承知しております。殿さま」


 二重三階の望楼型天守ぼうろうがたてんしゅ廻縁まわりえんに出て、高欄こうらんを片手で掴んだ殿さまは腕で目を覆った。


「それがどうしてこんなことになってしまったんだ?」


 言い終えては、天を見上げて顔をしかめる殿さまの傍らに控えていた、白い口ひげともみあげが立派なお目付け役は、袖で自分の涙を拭った。


(おいたわしや、殿さま)


「朝は一日の始まり。気持ちよく始めなければならない。それをわしが邪魔をしておる。なぜ、なぜだ?好きだと告白するのは、朝の挨拶の時間帯のみなんだ。いや、昼も夜も迷惑には変わりないが」

「殿さま。そう悲しまないでくだされ。老若男女問わず殿さまに好きだと告白された独身者たちはみな、嬉しかった、元気が出た、気持ちよく仕事に行けると言っておりまする、支障が出ておる者など一人もおりませぬ」

「気休めはよせ、高野たかの。全員が全員そうではないと知っておる。早く解決せねばならぬ。の。だが」


 殿さまは高欄をもう片方の手で掴んで、両の手にぐっと力を入れた。


「高野。わしは本当にだれにも言えぬ恋心を抱いていたのだろうか?」

「占い師が言うには。暴走したせいで、恋心も行方知れずになったらしいのです」

「そう、か」


 お目付け役である高野は眉根を寄せた。

 確かに。

 殿さまは恋心をだれにも言わないだろうか、と疑問には思っていたのだ。

 むしろ嬉々として、教えてくれるような気がした。

 が。

 恋は人を変えるとも言われている。

 だれにも言えなくなる可能性もなきにしもあらず、なのだ。


「夢にわしが恋心を抱いているらしい人が現れた」

「それは吉報ですな。解決ももうすぐではないですか」

「いや。姿かたちがぼんやりとして見えなかった。わかったのは声は女性のものらしいということと、はっきり見えたのが藤の蔓で織られた帯だ。そう。そなたが好んでまとう着物の色と同じだな」


 ドキリ。

 高野は胸をざわつかせた。

 藤の蔓で織られた帯をしている女性に心当たりがあるからだが。


(まさか、そうだ。同じ帯をしている女性など他にも)


 いるはずだ。

 自分の考えに、けれど、高野は自信が持てずにいた。


 もし。もしも、殿さまがあの人に恋心を抱いていたとしたら。


(否。拙者が考えるべきは、殿さまの幸せだ)


 胸のざわつきは気のせいだと、切って捨てた。











(2022.5.21)




【秘密】





「殿さま!」

「うお!どうした?」


 突然、高欄を握っていた両の手を取られては熱く握られて、身体の向きも高野へと向けさせられた殿さまは、大粒の涙を流す高野を見て目を丸くし、次いで頭を下げた。深く。


「すまぬ。高野。朝が弱いそなたはそれでもわしのために朝早くから起きて付き合っておるからな。辛いのだろう。明日からは別の者に変わらせる「殿さま浮気はいけませぬ!」「………うわき」


 殿さまは目を点にした。

 高野はそうですと声を抑えて言った。


「殿さまが夢に見た女性は、もしかしたら、拙者の、嫁、かもしれませぬ」

「え!?そなた結婚していたのか!?」


 驚愕の事実に開いた口がふさがらない。


「え、え、え!?え、いつ、いつだ?養子となる子どもを親戚から預かるとは聞いていたが」

「はい。拙者は結婚するつもりはなかったのですが、家は途絶えさせたくはなかったので、親戚から一人、男の子を預かりました。男手一人でも周囲の助けを受けて愛して育てるつもりだったのですが。親戚の者が、男の子と一緒に、一人の女性を、押しつけてきました。その者の家族はすでにおらず、仕事を見つけるまででいいから、と強引に。ただ、結婚していない男女が一つ屋根の下にいるのは、外聞が悪い。とりあえず結婚しておけ、離婚は自由にできるのだから。と。女性が仕事を見つけるまでの人助けだと思い、その頼みを引き受けました。殿さまに言わなかったのは、愛していない女性と結婚したとは言いづらかったのです」

「なるほど。出会った直後は愛していなかったが、今はそうではないのだな」


 殿さまは真剣な顔で言った。

 一瞬で顔を真っ赤にさせた高野の、殿さまの両の手を握る手は震えていた。


「い、今さら。言えるわけがないのです。常日頃、仕事が見つかるまではと言い続けていたのです。年も。二十も離れております。こんな六十のじじいと一緒にいるよりも、同じ年の者か、年下の者と一緒になるべきなのです」


 いつもそう思っていたのに、五年間も一緒にいてしまった。

 最初は冷めた気持ちで。

 はやくはやく仕事を見つけてくれ。

 はやくはやく愛する者を見つけてくれ。

 いつからだ。

 いつから、この冷たさは消えたのだ。

 早くしてくれないと。

 このままでは。と。

 熱い気持ちへと変わった?


(よかったと心の底から祝えなくなる)


 いつのまに、いつのまにか。

 いや。

 気持ちに気づいたのは、藤棚を一緒に観に行った時。

 はっきり覚えている。


「殿さまと一緒になった方があやつは、乃藤のふじは幸せになる。確実です。が。拙者は」

「高野」


 いつのまに、俯いていたのだろう。

 高野は殿さまの優しい声を頼りに顔を上げて、殿さまを見た。

 まっすぐ。

 殿さまも見てくれた。


「高野。そなたの素直な気持ちを伝えに行け。わしはいい。わしは殿さまだ。民の幸せが第一だ。もしわしが好きな相手がそなたの嫁だったとしたら、失恋することになるだろうが。そなたが幸せならば笑える」

「殿さま」

「そんなに顔にしわを作って泣くな。いや。そのままでいい。行け。行って、伝えてこい。高野」

「はい、殿さま!」


 高野は走った。

 最後に殿さまの両の手を、強く、けれど痛めないように握りしめてから。

 まだ、手の震えは治まっていなかった。

 まだ、涙も流れていた。


 なんて、情けない姿だろう。

 恥ずかしかった。


 ただただ、恥ずかしかった。






 失恋するのは自分かもしれないと、強く思っているのだから。

 





 それでも、











(2022.5.21)




【手紙】











 高野が辿り着いた時、家には十になった養子の悠志ゆうじしかいなかった。


「父上。どうぞ。乃藤さんから預かりました」


 ずいぶんと凛々しい顔つきになった悠志が手渡したのは。

 すでに必要事項が記された離婚届けと。

 ありがとうございましたとの一文が書かれた手紙だった。











(2022.5.21)




【藤帯】




 小昼。

 藤棚の下で散歩する夫婦の仲睦まじい様子を眺めていると、後ろから占い師に話しかけられて振り向こうとしたが先に横に来られたので、視線は二人に向けたままにした。


「赤い糸は無事に結ばれたようですね」

「はい、母上」


 殿さまの母親こと占い師は殿さまを見上げた。

 ずいぶんと背丈は大きくなったが、顔立ちがまだ幼く見えるのは親だからだろうか。


「民に篤い情を向けるのはとてもいいことですが、日に日に深めさせるから今回のような騒動が起こったのですよ」




 高野だけではなく乃藤もだれにも言えない恋心を抱いていて日に日に膨れ上がった結果、この二人が暴走するはずだったのだが、民を強く想う殿さまが無自覚に二人の暴走する恋心を引き受けた結果、今回の騒動が起こってしまったのだ。

 










 最初は無料の宿を手に入れたと思っていた。

 乃藤は言った。

 早く仕事を見つけてここから出て行ってやろう。

 口を開けばほとんど仕事が見つかるまで、仕事が見つかるまでだけ。



『あなたは私には基本的に無口なのに。同じ日に家に来た養子の悠志さんには城や町でのあなたのことを話したり、悠志さんには寺子屋や剣術、料理教室、家での話を詳しく尋ねましたね。悠志さんが私に話しかけたらやることがあると言って席を離れました。料理も掃除も洗濯も買い物も学術も行儀作法も。さすがは男一人で育てると豪語するくらいですから。何でもかんでも手際よくすませました。私は、そんなに何でもかんでもできません。最初は楽だと思っていましたよ。仕事探しにだけ集中できました。けれど、だんだん悔しくなって。私。世話をされるだけの存在だって。だんだん自分が役立たずに思えてきて。家事が苦手なのはしょうがないですからせめて、仕事だけでもあなたに勝ちたいって思いました。あなたの家にお世話になってから一年ほど経ってから、本当は藤の蔓で織る帯作りの仕事を見つけて働くことが決まっていたんですけど、上に行くまでは伝えないでおこうと決めてたんです。のぼりつめてやろうって。その時が来たら、離婚届けをつきつけてやろうって決めたんです。私。一店舗任せられるまでになったんですよ。堂々と家を離れられる。あなたからも。でも。どうしてでしょうね。いつからか。きっと。あなたの料理で私の胃袋を掴まれた時でしょうか』


 乃藤はそっと腹の上をなでて、優しく微笑んだ。


『あなたの手料理をもっと食べたいし、あなたに私の下手な料理を食べてほしい。並んでお皿洗いしたいし、洗濯も掃除も買い物もしたい。あなたの話を聞きたいし、私の話も聞いてほしい。何も持たないで、散歩をしたい。話さなくてもいい。散歩した先で何か買えたらいいし、買えなくてもいい。春も、夏も、秋も、冬も。一日いちにちを大切に過ごしたい。あなたと悠志さんと一緒に』


 乃藤は離婚届けを握りしめたまま無言でいる高野に、胸元にしまっておいた婚姻届けを見せた。


『私もこれからは家事を手伝います。あなたみたいに上手じゃないけれど。頑張ります。仕事も頑張ります。でも頑張りすぎは心身共によくないので時々は、三人で何もしない日を作りましょう。あとは。三人で決めるとして。大事なことを一つ』


 乃藤は目元にも肩にも力を入れて、真剣なまなざしを高野に向けた。


『高野さんが好きです。結婚してください』

『父上』


 まんじりともせず乃藤を見つめ続ける高野の太ももを悠志は軽く小突いた。

 途端。高野は顔を驚くくらい真っ赤にさせて、大声で言ったのだ。


 拙者も乃藤さんが好きです。結婚してください。と。




 そうして二人は、離婚届けを、次に婚姻届けを出して、正真正銘の夫婦になったのだ。








 

 がっはっは。

 殿さまは少しだけ声を落として笑い声をあげた。


「いいのですよ。民が幸せになるのならば、わしがどうなろうと」

「あなたがどうにかなったら心配する人が大勢いるとわかったのに、ですか?」

「はい。心配させるのは、嫌ですけど。すごく。ですが、同じことがあってもわしは嫌じゃありません。赤い糸を結びたくて必死に頑張っている民の力になれるのですから。ただ力になれたのかどうかは疑問ですけど」

「あなた自身の赤い糸も結ばないといけないんですけどね」

「いえ、どうやらわしの赤い糸は国の民全員に結ばれているみたいなのですよ。わしが強引に結びつけただけでしょうが」


 それは赤い糸ではないですよ。

 占い師は訂正しようとしたが。止めた。

 とっても素敵な笑顔だったから。

 嬉しくて、嬉しくて、今にもほら。涙がこぼれ落ちそうなくらい。


(本当に赤い糸かもしれませんし)


 占い師は殿さまから視線を移して高野と乃藤と、そして藤棚を見た。

 もしかしたら。

 三人だけが原因ではないのかもしれない。


(人の想いの強さか、藤のいたずらか、助けようとする力か)




 どれにしても、すべてにしてもまた、今回のような騒動は起こるような気がした。 






















(2022.5.25)



(完)






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