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性癖純愛

作者: MARIUSU

さんさんと太陽の照りつけるある夏の日。


『その子は突如として僕の前に現れた。』


陽炎(かげろう)の揺らぐ駐車場に停められた車の窓から僕はただ呆然と外を眺めていた。早朝から始まる日本舞踊の稽古が終わり、いつものように瞼が重くのしかかってくるが今日だけは差し込む日差しが鬱陶しくなかなか眠りにつくことが出来なかったのだ。うとうとしていたらお母さんはいつの間にかいなくなっており、それも寂しく寝つけなかった。


『その子に出会ったのは偶然だった。』


正面にそびえ立つマンションの10階のある一室の人影と目があった。腰まで伸びた長い髪を垂らしながら窓辺に腰かけ、その子は僕を見つめていた。

かおがあつい。なぜかむねがドキドキしてうまくいきができない。


ハァッと息を吐くと目の前が真っ白になった。


曇ったガラスを服の裾で拭う。

うっすらと薄雪が積もる駐車場に停められた車の窓から僕は首を伸ばし外を眺めていた。

(今日もいる……)

正面にそびえ立つマンションの10階のある一室に人影が見える。腰まで伸びる長い髪を垂らしながら窓辺に腰掛け、その子は今日も外を眺めていた。


彼女は僕に気づいていない。週に一度ここに来れば必ずその子は窓辺に座り外を眺めていた。だけどその子と目があったのはあの日の一度だけであった。

その子を見つめていると僕はすこし後ろめたい気持ちになる。まるでいけないことをしているみたいで――チクリと冷たい空気が肌を突く。


「文人、今日はついてきなさい」


――ドキリとした。

今日は稽古が無かった。だから眠くもないしお母さんもまだ車の中にいた。

お母さんは運転席に座り熱心にスマホばかりを見つめているばかりだったのに突然車から降りると急かすようにそう告げた。


僕はお母さんに手を引かれ車を降り、大きな車に挟まれた小道をぐねぐねと進んでいく。


振り返って見ればもう僕がどこから来たか分からなくなっていた。


「秋人、何をしているの?」


グッとお母さんが僕の手を強く握る。気づけば僕はいつも車から見ていた大きなマンションの前にいた。


――ドクドク


「早くしなさい」


お母さんが片手に持ったカードを壁にかざすと僕の手を握って自動で開いた入り口へ入っていく。

引きずられるように進む僕は体が熱くなる感覚に困惑していた。


それはまるであの夏の日のようで――連れられるままエントランスを通り過ぎ僕はエレベーターの前まで来ていた。


数百とある部屋の中、あの子のいる部屋に行くなんてことあり得るわけがなかった。それでもいつも車の窓から眺めるだけだったあの子に近づいているという事実に速まった鼓動が止まらなかった。


チーンとエレベーターの扉が開く。

壁に嵌め込まれた鏡が真っ赤に染まった僕の頬を写す。僕はバレないように鏡からお母さんの手元を見た。


――その手は10階のボタンを押していた。


体が浮遊感に襲われる。エレベーターが動き出したのだ。あり得ない、そう思っていても僕の心はなぜか自信のようなもので満ち溢れていた。


チリーンと再び扉が開く。


ガラス張りの廊下からいつもいた駐車場が見渡せる。

僕はお母さんに手を引かれ1012と書かれた部屋の前に来ていた。

お母さんがインターホンを押すと「はい」と男の声が流れ、ガチャリとドアが開いた。


「いらっしゃい」


知らない男の人だった。黒いカッチリした服を着こなし優しそうな笑みでこちらを見ていた。

男は招き入れるように扉を大きく開けると、背を向け家の中へ歩いていく。

僕はお母さんに後ろにくっついて入って行った。

豪華だった廊下とは一変して家の中は少し古びていて落ち着いている。

前に進むと黒い木目のタイルに奥の部屋から白い光が差し込んできていた。


きぃぃと後ろから音がする。振り返るとそこには僅かに開いているドアがあった。

フツフツと溜まったものが吹き出すかのように僕はこの家を調べたい気持ちに襲われた。

あの子がいるのか。それだけだった。


お母さんは気づいていない。

僕はこっそりと近づきその隙間を覗いた。


人形があった。

木製のピンク色のベッドに綺麗に整頓された勉強机。子供の部屋のような一室だったが、そこに生活感を一切感じることが出来なかった。その全ての上にずらりと人形が敷き詰められていたのだ。

暗くてよく見えないが、殆どの人形が黒ずんでずん見えた。



「どうしたんだい」


ゾクリと優しい声が僕の心臓を掴んだ。

振り向けば男の人が奥の部屋から僕を見ていた。

表情は光でよく見えない。


「なんでもないです……」


少し声が引きつる僕。僅かに開いたドアを静かに閉め、僕は顔を見ないよう下を向いて奥の部屋へ向かった。

男の人は何も言わなかった。


光の境目をくぐれば奥の部屋はいたって普通だった。黒を基調にしたダイニングと白い絨毯のひかれた広いリビングが一緒なっていて中央にある大きなソファにお母さんが座っていた。

僕は男の人から逃げるようにお母さんの隣に座った。


「今日は早いですね幸穂さん」


男の人がダイニングからやって来る。その手には2つのマグカップが握ってあり僕とお母さんの前に置くと、向かいのソファに座った。


「今日は秋人の習い事がなかったんですよ」


マグカップを手に取り微笑むお母さん。

その顔はいつも僕に見せる優しい顔ではなく、見たことのない顔だった。


「そうだったんですね」と男の人が相槌をうつ。


僕はこの男の人が嫌いなわけではなかったが、お母さんが毎週僕を置いてこの家に来ていたと思うと少し悶々とした。


「初めまして秋人君、何か聞きたいことがあったらなんでも聞いてね」


ピクリと体が無意識に動く。

さっき見た黒ずんだ人形達が脳裏をよぎる。

意を決して僕は乾いた唇を開いた。


「あの、髪の長いの女の子って、いますか?」


少しの沈黙。

ギョッとしたような目でお母さんが僕を見ていた。


「いないよ」







「秋人君は、日本舞踊を習っているんだよね?」


「見てみますか?ねえ秋人?」


「いいのかい?でもここで見せてもらうと下に響いてしまうから和室へ行こうか」


黒い襖を開けるとフワッと畳の苦い香りが匂ってくる。

ハッと見上げてみればカーテンの隙間から差し込む光に照らされてキラキラとハウスダストが舞っていた。


息が止まった。


光で透けるカーテンの向こう側。髪の長い人影が窓辺に腰掛けていた。僕はフラフラと近づきカーテンに手をかける。


目の前が真っ白になった。


外の光に目が慣れていくのか、少しずつその子の姿が明らかになっていく。サラリと垂れる黒色の髪に窪みのない白い頬、杭に留められた膝をブラリと下ろしてガラスの瞳で窓の外を見ていた。


顔が熱い。目の前が滲んで見える。

僕は震える手を伸ばし――


パチリと部屋が明るくなる。

僕はハッと手を下ろして窓から離れた。

カーテンの向こうにいるその子は振り返ることはない。


「汚くてごめんね。掃除はしてるんだけど一人では広すぎてね」


照らされた部屋で男の人は端にある座布団を何枚か持ってくると広げて座った。お母さんも男の人の隣に座っている。


僕は男の人の前に膝をついた。日本舞踊は礼儀を重んじる。しかし、今はそれだけではない。


「今から基礎の舞を見せます。上手に出来たらその子をくれませんか」


沈黙だった。そして


「気に入ったのかい?いいよ」


人間の声がした。


「さあ見せて」とパンッと男の人が手を叩くと、僕は顔を上げそのまま舞を始めた。




目を覚ますといつもの見慣れた車の中だった。

横を見ればそこにはあの子がいた。

僕は微睡の中で腕を伸ばして抱きつく。

ほのかに温泉の匂いがした。


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