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567番目の変異種

作者: 曽我二十六

「今日、567番目の変異種、C-567が発見されました」

そういえば、世界にあの病が蔓延したのはいつの事か。

歴史上では100年前だという。

100年前、人類はその病に完全敗北した。

歴史書によると、この病への敗北は次のような過程を辿ったという。


101年前の大晦日。

誰にも知られず、それは発見された。

その時既に、この病はある都市を覆い尽くしていた。

100年前、1月中旬。

当初は「対岸の火事」と踏んでいた病が、世界に広がり始めた。

世界中の誰もが、1ヶ月後の惨状を想起できなかったという。

一部の知識人以外は、この病を軽視した。

政府でさえも、全く対策は取らなかった。

私の祖父がまだ高校生の頃の日記には、次のように記されている。

「この病が我が国に来る事は十分考えられる。しかし、政府は対策を全く取っていない。数年前の騒動のように杞憂に終われば良いのだが。」

この2週間後、祖父の住む近くにも病は襲い掛かった。

祖父は田舎の地方都市に住んでいた。

誰もが、こんな田舎にまで病が来るなんて思ってもいなかった。

切っ掛けは、「ライブ」帰りの人々であった。

「ライブ」とは、音楽を集団で鑑賞するイベントを指す。

100年後の今では厳重に禁止される10人以上での「集会」も、当時は許されていたのだ。

やがてこれらは批判され、中止されるようになった。

しかし、その他にも沢山の例があり、やがて集会そのものが忌避されるようになった。

そんな娯楽に興じるためだけに大都市に行った者が、病を持ち込んだのだった。

やがて病は地域を、社会を、住民を蝕んだ。

人々は相互不信、疑心暗鬼に陥った。

それでも、病は収まらなかった。


100年前の3月。

そんな中で、政府は英断を下した。

その時点では最適解だったといえよう。

全国同時の社会停止だ。

学校を休校させ、仕事の電子化を奨励して接触数を減らした。

その結果は見る見るうちに出て、あっという間に根絶されたかにさえ思えた。


しかし。

衆愚制国家では一部の口の上手い人間が多数を握る。

往々にして、そんな人物の頭はあまり宜しいとはいえない。

当時、多くの国は今とは異なり、民主主義を採用していた。

『多くの』民はこの規制に反発した。

そして政府は『民主的』であればあるほど、規制の撤廃に追い込まれた。

国境封鎖も未然に終わり、病は再び蔓延した。


規制によって食い扶持を失いかけた人々は、一部であった。

全体ではなかったが、その声無き声は拡大され、全体であるかのような効果を呈した。

それによって、規制が取り払われたのだ。

そうして、政府でさえも、規制には消極的になった。

結局それはそのような人々の生活の助けにはならず、却って苦しめるだけだったのにも関わらず。

最早、誰も止める者はいなかった。


やがて政府は、次のように発言した。

「憲法上、都市封鎖は不可能だと考える」

同様に若者は、次のように発言した。

「俺達の、一度しかない大学生活を…」

こういう声にかき消され、対策は後手へ後手へと回っていった。


この頃既に『口蔽器(マスク)を付けろ』とは規制以来言われていたのだが、やがてこれは免罪符となった。

口蔽器があれば、病の危険性はない。

口蔽器があれば、喋っても良い。

口蔽器があれば、何も問題も無い。

そうやって性能は誤信されていったのであった。


こうして、口蔽器という名の免罪符は消毒液と共に売り出された。

高額で取引され、それが『多くの』不満を呼び、代わりに規制された。

しかし、それは悪影響しかなかった。

高額で取引できないのなら、量を増やすしかない。

量を増やすには、粗悪にしたり、薄めたりするしかない。

祖父は日記にこう記していた。

「店頭に置かれた消毒液は、まるで腐った水のようだ」

「最近では『息のし易い口蔽器』というものが売られているらしい。全くの効果の無い、見栄えだけのもの。免罪符となっている証だ。付けてりゃ良いという問題じゃない。」


やがて変異種は次々と増え、政府の面子のために開かれた体育大会は、民の政府への信任を大きく減じた。

「税金を取るクセに無駄にしか使わない」

「ならばせめて税金を減らせ」

そんな中で、生活必需品である袋を有料化を義務とするとした。

「使い捨ては環境に悪いから」

というのが政府の言い分であったが、環境も何も、明日の儘ならぬ身では、環境などどうでもいい。

祖父はこう記していた。

「百年後の地球がどうなろうと、私は知らない。今生きられなければ、百年後など無いのだから。」


使い捨て袋の有料化の断行は政府に対する反感を更に強めた。

やがて人々はこう思った。

「年金もどうせ踏み倒すのなら、夜警国家が良い」

夜警国家とは、国が税金を殆ど取らない代わりに、殆ど何もしない国家の事だ。

余計な真似をするくらいなら、何もしない方がマシだ。

これが、真に大多数な者の意見であった。

しかし、国はこんな意見の流布を封じた。


病が広がり、桁が1つ増えるごとに、報道は取り上げる数を変えた。

最初は全国の病の広がり。

次は首都での病の広がり。

そして病が殺した人数。

人数の桁が1つ増えるにつれ、報道機関は主な報道内容を上のように替えていった。

これまで報道していた指標は、最後に少しだけ言及するに留めるようになった。

「全ての放送局は総務省の管轄下にある」

病の報道について、政府に好意的か否定的か、報道時間を余す事なく全て、総務省は調べていた。

そして否定的な所には圧力を掛けた。

報道機関は基準を変えて人数を低く見せた。

そのため、民に病の危機は伝わらなかった。


それでも、政府に集められた「形だけの、『つもり』の専門家会」は、必死に抵抗した。

政府の無視に対して、果敢に戦った。

しかし民にはこれは伝わらなかった。伝えられなかった。伝わる筈が無かった。

専門家会を除いては、誰一人として危機感を持つ者がいなくなった。


そこに第1変異種が現れた。

その後次々と変異種は現われ、各々国名が付けられていた。

これに対して世界では「差別に繋がる」として記号化が行われたが、そんな事をしている場合ではなかった。

更にそんな中で、祖父の国では国際体育大会が開かれた。


体育大会は政府の最後の威信を賭けたものだった。

これは見事に大失敗といえるもので、政府への信頼は遂に地に落ちた。

政府内部でも内乱が置き、またしても病への対応は後手に回った。


こうして人類は病に敗れていった。

各々が各々の要求を通したためである。

一部が全体を標榜したためである。


やがて我が国では専門家でさえも、ワクチンを過信するようになった。

「口蔽器を付ければ」という免罪符がそのまま、

「ワクチンを打てば」というのに変わっただけであった。

あくまであるのは予防効果。それも確率的数値。

絶対なんてある訳がない。なのに政府は緩和した。


この病に対しては、確率が少しでも残っていれば、また復活してしまうものだったのだ。

100年後の今でもそう。

未だに、中途半端な規制によって、病はのうのうと生き続けているのだから。


我が国ではこの病によって、三権分立が一権独裁に過ぎない事を露呈した。

第1回から「無血虫の陳列場」と称された、参与機関に過ぎない国会。

統治行為論を用いて判断を回避し続ける、訴えたくなる裁判所。

そして独裁権を行使するかのように見えて、様々な利害の傀儡に過ぎない官邸。

結局は目に見えない誰かによる独裁なのであれば、せめて目に見える誰かの独裁が良い。

国民はそう望み始めた。

そして政体が変わったが、かなりマシになり、医療崩壊も起こらなくなったものの、それでも病は収束しなかった。

最早手遅れだった。

どんな最善手を尽くそうとも、病は残ってしまう段階にあった。


病はやがて全世界で、収束不可能だと明らかになった。

人類の代表は病に対する敗北を宣言せざるを得なくなった。

21世紀は口蔽器の世紀となった。

変異種が次々と現われ、1年で10種類もの変異が当然のように現われた。

ワクチンなどで対処しきれる訳もなく、医療崩壊を解消するためにも、外出は制限されざるを得なくなった。


こうして、人類は病への敗北によって、生活様式を改めた。

これまでは、口蔽器や消毒液の無い、外出も自由に出来る世界だったらしいが、今では外出には外出申請と外出回数券が必要だ。

これが無くては捕まってしまう。

人同士の直接交流は禁止され、病は劇的に減った。

しかしそれでも、規制の抜け穴を潜り抜けて、病は残り続けたのであった。


そう、今は2120年。あの病に負けて、丁度100年。

我々のような世代にとって、口蔽器や消毒液の無い、制限の無い世界とは何であったのだろうか。

ただの退廃に過ぎない世の中だったのだろうか。

病に敗れた人類は、「死ぬまで口蔽器を使う」事を余儀なくされ、家庭内でも義務化されている。

食事時に口蔽器を外すのは危険だとして、食事が点滴に代用され始めたのは敗北から10年後くらいの事だったという。

人類は敗北を認め、適応を図った。

もう病には勝てない。

今更、一生口蔽器なのは変わりようのない事実だ。

地球気候が人間以外の作用素の影響を受けるのと同じ。

最早、人間の手には扱いかねる問題だ。

人間が合わせるしかないのだ。


100年前の人々は、祖父を含め、この病がいつか終わると妄信していた。

これまで一度もそのような事が無かったから。

あの時の敗北が無ければ、祖父はもっと恵まれた人生を送れたかもしれない。

一時の規制緩和が、永遠の口蔽器生活を生んだ。

祖父の日記にはこうあった。

「今日、『いつまで口蔽器を付けるんだ』という声を聞いた。そりゃ、この病が終わるまでだろう。何を当然の事を。」

政府や専門家ではなくて、こういう無名の人々と、そして我が国の政治体制が、人類を敗北に導いた戦犯なのだと、私は思った。

現実にはこうして手遅れになる前にどうにかしてもらいたいものです。


※あくまで非専門家による妄想なので、そういうものとして受け取ってもらえたら幸いです。


何も知らないので無知な意見ですが、

3週間でいいから、食糧調達なども含めた例外無き外出禁止を敷けば、

病は無くなる(正確には、"殆ど")と思うのですが…

(その前の準備期間と非貨物全般国境封鎖も必要ですけどね)

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