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ぎゃあぎゃあと耳障りな声を上げながら木々の間から出て来たのは、聞いていた通りに身長が1m程の醜悪な人型の化物達。
三体のうち一体は一回り身体が大きく、他の二体を付き従えていると言った風な印象を受ける。
それから何よりも目を引くのは、その身体の大きなゴブリンが、見事な銀の細工の髪飾りや大きな腕輪を着けている事だった。
恐らくあれがラダニスの言ってた、村娘から選ばれた巫女が祭りで身に着けると言う装飾品だろう。
……うん、まぁ、多分きっと、取り返してから洗えば大丈夫だ。
相手が身を隠す様子もなく近づいて来てくれたから、僕の準備はとっくに出来てる。
物理的にも、心理的にも。
寧ろ物理的な話をするなら、あと少しでも出て来るのが遅かったら暴発してしまっていたかも知れない。
何せこのフリスクを放り込んだコーラと言うのは、人の力じゃ到底抑えきれない暴れん坊だから。
ペットボトルの口を押さえていた手の平を少しだけずらすと、プシュッと言う音と共に、ゴブリン達に向かって勢い良くコーラの泡が飛ぶ。
「ギャッ!?」
良くわからない何かが自分達にかかった事に驚くゴブリン達。
そして僕は更にそのゴブリン達に向かって、泡を吹き続けてるコーラのペットボトルを投げ付ける。
この行為に殺傷力は殆どなかった。
ペットボトルが当たれば多少痛いかも知れないが、怪我をする程では決してない。
だけどそんな事を知らないゴブリン達からしてみれば、泡を吹く何かを投げつけらえると言うのは、何やらとても恐ろしい攻撃に思えたのだろう。
三体が三体とも、悲鳴を上げて逃げ惑う。
実際、フリスクを入れたコーラが泡を吹く様は、知っていてもその勢いに多少はびっくりする物だ。
それが全くの未知だったなら、僕だってきっとゴブリン達と同じ様にパニックになって逃げる。
だから僕達を侮っていたゴブリン達の戦いに対する心構えは、フリスクを入れたコーラを投げつけられたと言う、たったそれだけで容易く崩れ去ってしまった。
僕は逃げる手下のゴブリンは無視して、装飾品を付けた一体を追いかけ、その背に思い切り勢いを付けた蹴りを叩きこむ。
捕獲は狙わないし、狙えない。
ゴブリンの握力、腕力、膂力が僕より強い可能性は否定できないし、パニックに陥った所で、それ等の力が弱まった訳じゃないのだ。
下手に捕まえてしまえば、逆に僕が縊り殺されてしまう危険性だってある。
ならば取るべき行動はたった一つ。
蹴りを受けて転げて木にぶつかり、衝撃に気を失ったゴブリンの身から素早く髪飾りと腕輪を剥ぎ取って、
「よし、逃げるよ!」
僕はラダニスに向かって叫ぶ。
ラダニスはゴブリン達と同じくフリスクコーラに驚きパニックに陥っていたけれど、駆け出した僕に正気に返って、慌てて後ろを付いて来た。
「こ、殺さなくていいのか!?」
なんて物騒な事を走りながら尋ねて来るけれど、それは多分僕の仕事じゃない。
ゴブリンを殺す、討伐する必要があるなら、きっともっと分かり易く武器を持ってる時に神隠しに遭っただろう。
そうでなかったのだから、ゴブリンを討伐する必要があるなら、この世界の人々が自分達でそれを成すべきだ。
仮にゴブリン達が装飾品を奪っただけじゃなくてラダニスを、人をその手に掛けていたなら、僕だって三体とも殺す気で戦ったけれども。
そうでないならこれ以上は殴ろうとも思わない。
今回の件はどちらかと言えば、危ないから使うなと言われてた旧道を使ったラダニスが悪いのだ。
「ラダニスが殺したいなら戻って良いよ! 僕は君と会った所で待ってるから!!」
僕は足を止めずに返事を返して、更に駆ける速度を上げた。
勿論、ラダニスが引き返してゴブリンを殺しに行く、なんて事はなく、彼も必死に僕の後を付いて来る。
そうして僕等は薄暗い旧道を抜けて、日差しの明るい街道へと辿り着く。
膝に手を付いて荒れた呼吸を整えていると、地面にへたり込んで座っていたラダニスが不意に笑い始めた。
何がそんなに楽しかったのかわからないが、涙を流す程に笑う物だから僕も少し引いていると、
「いやぁ、すまない。だってさ、ゴブリンだぜ? 魔物だぜ? それがあんな簡単にドーンって蹴られて気絶したんだぜ。そりゃあ笑うって」
目尻を拭いながらラダニスは言う。
成る程、この世界では、少なくともラダニスが生きている世界では、魔物とはそう言う扱いなのか。
僕の抱いた印象では、先程のゴブリンは脆い相手だった。
筋力的には僕を上回ってる可能性は依然残るが、体重も軽いし、何より弱点が人間と変わらない。
あれなら野生の猪の方が、比較にならないほどに恐ろしい相手だろう。
でもラダニスにとっては違うのだ。
恐ろしい相手だから出没場所には決して近付いてはならないと教えられる、戦う事なんて考えも出来ない脅威。
例えるならば、気が弱い学生にとっての、町の不良みたいな物かも知れない。
「だからさ、凄く驚いたし、スッとしたんだよ。あぁ、これ、礼に貰ってくれないか? 本当はアーニャに渡そうと思って町で買ったんだけど、今の俺にはその資格がない気がしてさ」
少し自嘲気味に言うラダニスに、僕は曖昧に頷いて何も言わない。
確かに今回の件は、彼の粗忽さが原因で間違いないから。
それは流石に否定のしようがなかった。
銀細工の装飾品を返した僕に、ラダニスが手渡したのは大きな緑の石があしらわれた首飾り。
……翡翠、だろうか?
僕にはそう見えるのだけれど、何分異なる世界の物だから、ハッキリした事は分からない。
「あ、いや、勿論それだけで礼を済まそうなんて思ってないぜ。ゴローには色々食わせてもらったし、あの肉美味かったよなぁ。あ、そうだ。ゴロー、俺の村に来なよ。村長には話すからさ。今なら祭りの御馳走食えるぜ」
ラダニスはそんな風に、僕を自分の村へと誘ってくれるが、その言葉に返事をする事は出来なかった。
この場所で、この世界での僕の役割は、もう既に終わっていたから。
気が付けば、僕はコンビニを背に立っていて、後ろで自動ドアが閉まる音がした。
あぁ、今回の神隠しは、現実世界での時間経過が殆どないパターンだったらしい。
流石の神様も、僕から三連休まで取り上げるのは可哀想だとも考えてくれたのだろうか。
手の中には、翡翠らしき石がはまった首飾り。
先程までの経験が白昼夢なんかじゃなかった事は、この首飾りが証明してくれていた。
だから僕はポケットにそれを突っ込むと、迷わず踵を返して再びコンビニの中へと舞い戻る。
勿論、ラダニスに喰い尽くされてしまった菓子やジュースを買う為だ。
店員は先程会計を済ませたばかりの客の顔を覚えていたらしく、全く同じ物を再び購入する僕の顔を二度見していたけれども。
文句はラダニスか、或いは神隠しを行った神様に言って欲しい。
僕はあの世界で、ラダニスが暮らす村とやらで、精霊を祀る祭りが無事に行われてる事を願いながら、帰路につく。
そして何時かは、ラダニス自身が自分に資格ありと納得して、アーニャと言う村娘に贈り物が出来る様にとも。