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「俺の名前はラダニス。アルフォー村のラダニスだ。礼を言うのが遅くなってすまない。ありがとう。アンタすげえな、あんな美味い物を簡単にわけてくれるなんて。苗字もあるし、もしかして貴族様か?」
漸く語り始めたラダニスの話は本当にとっ散らかってて要領を得ないので、取り敢えず要約する。
まずラダニスの住むアルフォー村は古い精霊信仰が残っていて、もうじき精霊を祀る祭りが行われる予定なんだとか。
祭りでは村の娘が精霊の巫女を務めるのだが、巫女衣装は兎も角、髪飾りや腕輪と言った装飾品は町の細工師に制作を頼むそうだ。
……何だかどこかで聞いた事がある様な設定だが、まぁさて置き、そしてその装飾品を受け取る為に、町に使わされたのがラダニスだった。
しかし装飾品を受け取った帰り、少しでも早く届けて巫女役の娘を喜ばせようと近道となる旧道を、危ないから通るなと言われていた道を使ったラダニスは、ゴブリンと呼ばれる魔物に襲われてしまう。
命からがら逃げだしたは良いが、その際に装飾品をゴブリン達に奪われて、疲労と失意から行き倒れたと言う訳らしい。
「このままじゃあ祭りなんてとてもじゃないが出来ないし、精霊様がお怒りになったら村は滅ぼされちまう。そうなったら村長は、精霊様の怒りを鎮める為に務めを果たせなかった巫女を生贄に捧げちまうかも……。あぁっ、アーニャぁ……」
なんて風に嘆くラダニスだが、務めを果たせなかったのは巫女じゃなくて彼である。
なので生贄に捧げられるべきはそのアーニャと言う村娘ではなく、このラダニスであるべきなのだが、……きっと五月蠅いから精霊も嫌がるだろう。
と言うよりも、どこまでが確定した情報で、どこからがこのラダニスの思い込みかさっぱりとわからない。
生贄の下りは多分完全にラダニスの妄想だと思うのだけれど、僕がこうして神隠しにあってこの場にいる以上、解決をしなければ何らかの不幸が実際に起きる可能性は高かった。
……精霊ってそんなに狭量じゃない気はするけれど、村長が仮にラダニスと似た様な性格だったら、想像の怒りを過剰に恐れるあまり、馬鹿な真似をしないとも限らない。
そんな馬鹿に村長が務まるとも思えないけれど、文化や風習が違うと命が酷く軽い場合も多いから。
「うん、わかった。じゃあその装飾品を取り返すのは手伝うから、現場に案内してくれるかな。そのアーニャさん、このままだと拙いんでしょう?」
僕がそう口にすれば、てっきりごねるかと思いきや、ラダニスは顔を上げて目を輝かせて、頭を下げて礼を言う。
どうやらラダニスは粗忽者で口も軽いけれども、少なくともそのアーニャと言う村娘を見捨てる程に性根から腐った奴ではないらしい。
だったらまぁ、うん、助ける僕も、気分良く助ける事が出来ると言う物だ。
ゴブリンとは、ラダニス曰く身長が1m程の小鬼の様な魔物らしい。
所謂物語に出てくるタイプのゴブリンだ。
これで漸くこの場所が、地球とは異なる世界だと言う事がはっきりした。
地球でも外国で、時代と地域によってはゴブリンの名前が出て来る場合もあるけれど、その場合のゴブリンは魔物じゃなくて妖精の一種である。
尤も妖精と言っても悪意ある悪戯を行う場合も多いから、その言葉から想像する様な可愛らしい存在ではないけれど。
さて、相手の身長は1m位との事だが、これは決して油断して良い情報じゃなかった。
四、五歳児の身長が同じ位だが、これと同等に考えると間違いなく痛い目を見るだろう。
野生の生き物と、普通の人間では基礎的なスペックに大きな差がある。
例えばチンパンジーの雄は立ち上がると身長が1,5m程で、人間の大人よりも少し小さい程度だが、その握力は三百キロもあると言う。
勿論それは彼等が木に登るなど、手を多用する動物だからだけれども、これ程に極端ではなかったとしても、野生の生き物は侮れない。
故に僕がそのゴブリン、しかも複数居るらしいソレに確実に勝利するには、やはり相手の意表を突く何かがあった方が良いだろう。
鞄の中身はいつもと同様で、文房具は凶器として使ってもそれなりには役に立つ。
後は中身の詰まったカバンの重みは、身体の小さなゴブリン相手なら、怯ませる程度の打撃武器にもなる筈だ。
だけど意表を突くと言うならやはり……。
「そ、そろそろ俺が襲われた場所だ。大丈夫かよ。ゴローさん?」
木々が多い茂って薄暗い旧道の雰囲気に怖気づいたか、背中に縋りつこうとするラダニスを、僕はそっけなく押し返す。
女性なら兎も角、男に縋りつかれる趣味はないし、何よりも咄嗟の動きを阻害されてはかなわない。
あぁでも確かに、辺りに気配が一つ、二つ、三つ。
僕らを取り囲んでる訳じゃなくて、一塊になってこちらに向かって来てた。
敵を取り囲むような知恵がないのか、それとも強気になって人間を舐めているのか。
震えるラダニスをちらりと見て、僕は納得する。
多分きっと後者だろう。
前に出会った人間がラダニスだったのなら、多少の知恵が働く分、馬鹿にして舐めるのも無理はない。
あまり気分の良い話ではないけれど、相手が少しでも油断してくれているなら都合は良かった。