8 膝枕と子守歌
ラズリスの読書が一段落したのを見計らって、用意しておいたハーブティーを勧める。
先ほどの一件でガーネットに逆らっても無駄だと悟ったのか、ラズリスは大人しくハーブティーを口にしていた。
ティーカップの中身がある程度減ったのを確認して、ガーネットはラズリスに声を掛ける。
「殿下、そろそろお昼寝の時間ですわ」
「…………は?」
「人間が成長するのに、必要不可欠な要素の一つが睡眠です。殿下がそんなにも小さいのは、睡眠不足も原因の一つでしょう」
「……小さいって言うな」
「きちんと睡眠時間を確保すれば、すぐにでも大きくなるはずですわ」
ガーネットの言葉に、ラズリスはぶすっと膨れてそっぽを向いた。
真正面から反抗してこないのは、それなりに思い当る節があるのだろう。
「今までの成長の遅れを取り戻すためにも、これからは積極的に昼寝を取り入れていくべきです。……というわけで、私の膝へどうぞ」
ぽんぽん、と自らの膝を叩いて見せると、ラズリスは頭を抱えた。
「どうしてそうなった!?」
寝る子は育つの教えの通りに、睡眠時間を増やすための昼寝。
それに……。
――「膝枕というシチュエーションに、殿方は弱いようですね。微笑んで膝を叩いて見せれば、もう殿下もメロメロになるに違いありません!」
「昼寝」と「膝枕」――その二つを取り入れた、ラズリスを成長させつつ篭絡する完璧な策なのである。
しかし、何故かラズリスはメロメロになるどころか、立ち上がって逃げようとしているではないか。
だが、ガーネットはきちんと対策を練っていた。
「な、んだ……?」
立ち上がったラズリスが、ふらりとふらつく。
ガーネットは急いで彼を支えると、そっと自らに寄りかからせた。
「急に、眠気が……」
「お腹がいっぱいになると眠くなると言いますしね。さぁ、こちらへ」
彼をソファに誘導し、流れるように膝枕の体勢を作り出したのだ。
上から覗き込むと、ラズリスは非常に眠そうに瞬きしながらも、不服そうな顔をしていた。
「……どうしてこうなった」
「きっと、運命のお導きでしょう。そうだわ、私が殿下の為に子守歌を歌いますわ」
いつまでも喋っていては眠れるものも眠れないだろう。
会話を遮るためにも、ガーネットは上機嫌で子守歌を歌う。
「……無駄にビブラートが効いてて上手いのが腹が立つ。でも――」
だんだんと、ラズリスのまぶたが閉じていく。
最後は寝言のように、彼はぽそりと呟いた。
「懐かしい、気がする……」
しばらくして子守歌をやめると、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえて、ガーネットは達成感に酔いしれた。
王太子妃たるもの、あらゆる分野に秀でていなければならない。
幼い頃からみっちり仕込まれた歌唱技術も、無駄ではなかったようだ。
――無防備に寝てる姿は……本当に可愛いわ。それに、膝がとっても暖かい……。
以前、領地の牧場に見学に行って、おそるおそる動物たちと触れ合った時のことを思い出す。
ラズリスの暖かなぬくもりは、ガーネットの心に得も言われぬ充足感をもたらしてくれる。
小さな婚約者を起こさないよう観察しながら、ガーネットは知らず知らずのうちに口元に笑みを浮かべていた。
――はぁ、でもあのハーブティーが効いてよかった……。やっぱり、一筋縄じゃいかなさそうね……。
ラズリスに飲ませたハーブティー――あれはガーネットが彼の為に用意した、強い睡眠作用を持つ特注品だ。
通常であればここまで強力に効くことは珍しいのだが、やはりラズリスの体は睡眠を欲していたのだろう。
――……ラズリス殿下は手強いわ。これからも気を抜かないように事を進めなければ。……いずれあなたには、私の切り札となっていただきますからね。
そっとラズリスの髪を撫でながら、ガーネットは今後の展望に思いを馳せた。
ラズリスはよほど睡眠不足だったのか、数時間は眠ったままだった。
そして彼が目覚めた時には……ガーネットの膝はすっかり痺れて立つことすらできなくなっていたのである。
「くっ、まさかこんなことになるなんて……」
「おい、どうした!? すぐに人を呼ぶから待ってろ!!」
目覚めたばかりで混乱していたのか、ラズリスにも過剰に心配され……ガーネットはついに足が痺れただけだと言い出せなくなってしまった。
大げさに担架で運ばれながら、ガーネットは小さくため息をつく。
小さな王子を篭絡するのは、意外にも骨が折れるのだ。