コミック1巻発売記念番外編
「困ったわ、どうすればラズリス殿下を私に夢中にさせられるのかしら」
今日も今日とて、ガーネットは恋愛教本を片手に格闘していた。
目下の悩みは最近婚約した小さな王子……ラズリスがなかなか心を開いてくれないことだ。
少しずつ、ほんの少しずつ……亀の歩みで距離を縮められているような気はするが、それでは手遅れになってしまうかもしれない。
――そうよ、なんとしてでもラズリス殿下をメロメロにしなければ……!
もうナルシスの時と同じ過ちは繰り返さない。
なんとしてでも、ガーネットの手練手管でラズリスを骨抜きにしてやるのだ……!
次々と教本の内容を頭に叩き込んでいくガーネットは、ふと手に取った一冊の本の記述に首を傾げた。
「あら、これは……少し今までの本と毛色が違うわ」
『思わずキュンとすること間違いなし!モテ仕草&セリフ50選♡』
そんなタイトルの本を、ガーネットはしげしげと眺める。
この本は今まで読んできたものとは違い、なんというか……全体的にワイルドだ。
手に汗握りつつ、ガーネットはページをめくる。
「すごい、すごいわ……!」
そこに書いてあるのは、ガーネットが今まで想像したこともないような恋愛スキルだった。
「なるほど……こうすればラズリス殿下もときめいてくださるかも……!」
夢中でページをめくるガーネットは気づかなかった。
その本がうっかり紛れ込んでしまった、どちらかというと男性用の恋愛教本であることに。
◇◇◇
「ごきげんよう、ラズリス殿下」
「…………あぁ」
今日も今日とて塩対応のラズリスにも、ガーネットがめげることはない。
なにしろ今日は、いつもとは違う秘策を携えてきたのだ。
きっとラズリスの心を射止めることができるはず……!
「お天気も良いので庭へ出ませんか? 適度な運動と日光浴は殿下の小さな身長を伸ばすのに必須ですわ」
「小さいって言うな! ……ま、まぁ……君がそこまで言うのなら付き添ってやってもいいぞ」
反発しつつも、「身長を伸ばす」というワードに抗えなかったのか……ラズリスは渋々といった体裁で一緒に散歩してくれるようだ。
――……ふふ、かかったわ。
ガーネットは内心でにやりと笑いつつも、穏やかな笑みを浮かべたまま歩みを進める。
そして廊下を歩きながら、手ごろな場所を見繕い……ガーネットはラズリスの進行方向を塞ぐようにドン! と壁に手をついてみせた。
――決まったわ! 必殺の「壁ドン!」
どういう原理なのかはよくわからないが、多くの人間は壁ドンをされるとキュンとくるらしい。
ガーネットは勝利を確信し、視線を落としラズリスの様子を確認したが……。
「何のつもりだ?」
ラズリスは何というか……呆れを含んだ視線でこちらを見ていた。
おかしい、壁ドンをされればもっときゅんきゅんしているはずなのに。
これは計算外だ。
ガーネットは若干慌てつつも、冷静に教本の内容を思い出していた。
――そんな、成功間違いなしだと思っていたのに……。こうなったら、壁ドンと合わせたら破壊力抜群の台詞をぶつけるしかないわ!
「どこを見ていらっしゃるのです、ラズリス殿下? 今夜は帰しませんわよ」
「……いきなり妙なことを始めた君を見ている。それに、離宮に来ているのは君で帰さないもなにも僕はここに住んでいるんだが」
「あ」
ふむ、そういわれてみればその通りだ。
どうやらセリフのチョイスを誤ってしまったらしい。
だがガーネットは幼い頃から英才教育を受けた才媛である。
すぐに次の手に切り替えるなど造作もない……!
「ふふ、わたくしから逃げられるとお思いですか?」
「…………」
ラズリスは呆れたように小さくため息をつくと……ひょい、と身を屈め、ガーネットが壁についた腕の下を潜り抜けるようにして外に出てしまった。
そのまますたすたと歩きだすラズリスを、ガーネットは信じられない思いで見つめる。
――そんな、まさか壁ドンが効かないなんて! ラズリス殿下、恐ろしい子……!
「……何やってるんだ、来ないのか」
「い、行きます!」
わざわざ立ち止まって待ってくれているラズリスの元へ、呆然としていたガーネットは慌てて足を進めるのだった。
その後もガーネットの作戦はことごとく失敗に終わった。
相手の手を強引に自らのポケットに入れる「ねじポケ」を実行しようとしたらドレスにはポケットがないし、バックハグをしようとしたら「また僕を湯たんぽにする気か!?」と避けられてしまった。
「うるさい口ですわね、塞ぎますわよ」
「むぐっ」
とりあえず教本の台詞と共にケーキをラズリスの口へ押し込み、物理的に口を塞いでみたが……やはりキュンキュンしているような様子はなかった。
「いったい何なんだ今日は。……何か嫌なことでもあったのか?」
少しだけ気づかわし気に、ラズリスがそう問いかけてくる。
「また昼間から酒でも飲んだんじゃないだろうな」
「そ、そんなことは致しませんわ! ただわたくし、もっとラズリス殿下と仲良くなりたくて……」
そう零すと、ラズリスは驚いたように目を丸くして……今日一番の大きなため息をついた。
「…………まったく、そんなことか! それなら、その……変なことはせずに、いつも通りにしてれば、いいんじゃないのか……」
消え入るような小さな声で、だが確かにラズリスはそう口にした。
その言葉に、ガーネットの胸は熱くなる。
「……ありがとうございます、ラズリス殿下」
ついポンポンとラズリスの頭を撫でてしまい、ガーネットは慌てる。
――しまった! ラズリス殿下はいつも通りでいいと仰ってくださったのに、私ったらつい超必殺技の「頭ポン」を!
「やっぱり酒を飲んだな!?」と怒られることを覚悟したが……意外なことにラズリスは何も言わなかった。
それどころか……。
――…………あら?
俯いたラズリスの頬が、わずかに赤く染まっている。
怒りのせいかとも思ったが、何も文句を言わないところを見ると……ガーネットの頭ポンが効果を奏したのかもしれない。
――……やっぱり、あの本の内容は正しかったのね!
ラズリスの態度を斜め上に解釈したガーネットは、反省することもなく、上機嫌で小さな婚約者の頭を撫で続けるのだった。




