43 嵐の訪れ
「あれだけの手を使ったのに負けるなんて……無様ね」
心臓を凍らせるような冷たい言葉に、イザベルは身も心も震えあがった。
対峙するエリアーヌは、扇で口元を隠しながらも凍り付くような視線をイザベルへと注いでいる。
「あなたが派手に動きすぎたせいで、もみ消すのにどれだけ苦労したと思っているの? ここまで浅はかな人間だとは思わなかったわ」
イザベルは身を震わせながら、必死に頭を下げた。
「も、申し訳ございません……!」
音楽祭で優勝できなければ、ナルシスの婚約者でいる資格はない。
エリアーヌに遠回しにそう告げられ、イザベルはなりふり構わず優勝する為に手を尽くした。
有力なライバル候補へ妨害工作を施し、出場できなくしてやった。
審査員を買収し、必ず優勝できるように下地も作っておいた。
それなのに……イザベルは負けたのだ。
ナルシスのかつての婚約者――ガーネット・フレジエに。
「ナルシスも、少しガーネットを気にしているそうよ。このままじゃ……また下働きに逆戻りかもしれないわね」
エリアーヌがほのめかした内容に、イザベルの頭がかっと熱くなる。
ガーネット・フレジエ……お高く止まった嫌な女!
ナルシスに愛されていないくせに、愛されているイザベルを妬んでよく小言を言ってきた。
だから、引きずり落としてやった。
ナルシスをそそのかして婚約破棄を宣言させ、失敗作の第二王子と婚約させ、屈辱を与えた。
それなのに……またイザベルの邪魔をするなんて!
「……ねぇイザベル。あたくしはあなたを買っているのよ。目的のためにはどんな手も使うその狡猾さ……嫌いじゃないわ。ガーネットの潔癖さは鼻について仕方なかったの」
先ほどとは一転して、エリアーヌは優しくイザベルに囁きかける。
「だから……もっと頑張って頂戴。これ以上あたくしを失望させないでね」
……また、ガーネットに見下されるようになるなんて我慢できない。
イザベルの目が鋭さを取り戻したのを見て、エリアーヌはくすりと笑った。
「……そう、いい子ね」
一礼しその場から去っていくイザベルの背を見送りながら、エリアーヌはぽつりと呟いた。
「せいぜい、壊れるまでナルシスの役に立つのよ」
◇◇◇
比較的穏やかに、数か月の時が過ぎた。
だが西部地方の情勢は思わしくない。最近の社交界はその話題で持ちきりだ。
そしてついに、国境の防衛の要である辺境伯領が襲撃されたとの知らせが王都を席巻した。
ここまでして、黙っているわけにはいかない。
いよいよ、戦が始まるのだ。
その日、ガーネットが離宮を訪ねるとラズリスは不在だった。
「急に陛下からお呼びがございまして……」
対応した使用人からそう説明を受けたガーネットは、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
開戦が目前のこの状況で、ラズリスが国王陛下から急に呼び出されるなんて……。
――いえ、ラズリス殿下はまだ14歳なのよ。いくらなんでも早すぎるわ……!
そう自分に言い聞かせても、胸を渦巻く不安は消えてはくれない。
とても落ち着いてはおれず、ガーネットは無意味に離宮の廊下をうろうろと往復した。
やがて外から物音が聞こえ、ガーネットはぱっとエントランスホールに駆け付けた。
「ラズリス殿下!」
転がるような勢いで駆け付けたガーネットを見て、ラズリスが驚いたように目を丸くする。
だがすぐに、彼は真面目な表情で口を開いた。
「……ガーネット、少し二人だけで話したい」
いつもは楽しいお茶会の時間も、少しもガーネットの心を沸き立たせてはくれなかった。
人払いをし、誰もいなくなった部屋で二人向かい合い……ラズリスはそっと口を開いた。
「正式に、開戦をすることが決まった。僕は王族として、総指揮官として戦場へ赴くことになった」
「…………いけません」
「……もう決まったんだ」
「ダメです!」
想像していた通りの内容に、ガーネットは思わず立ち上がり必死に反対した。
「殿下はまだ14歳です! 戦に出るには早すぎます!!」
「歴史を紐解けば、過去にはいくらでも例がある。それに、戦場といってもすぐに最前線に出るわけじゃないさ」
「それでも……何があるかわからないんですよ!? 危険すぎます!!」
総指揮官と知っても、兵士を鼓舞するための象徴的な意味合いが強い役職ではある。
ガーネットは十二分にそう理解していたが、とても賛成はできなかった。
「そうだわ、これもきっとエリアーヌ妃の差し金です……! 行けば、どんな目に遭うかわかりません!」
「そうだろうな」
「少し前まで、殿下は病弱だと皆に噂されていました。病が再発したと言ってお断りすれば――」
「ガーネット」
言葉を遮るように名を呼ばれ、ガーネットはつい口をつぐんでしまう。
そんなガーネットに笑いかけ、ラズリスは何でもないことのように言う。
「僕は……むしろこの状況をチャンスだと思っている」
「そんな、どうして!」
「ガーネット、君は本気でエリアーヌやナルシスから玉座を奪うつもりでいるんだろう。だったら、僕が無事に戻ってくればこれは大きな功績になる。このチャンスを逃すわけにはいかない」
ガーネットは信じられない思いで、目の前の婚約者を見つめた。
……まだ、こんなに小さいと思っていたのに。
ガーネットが手を引いてやらねばならないと思っていたのに。
一体いつから、彼はこんなに強く、たくましくなってしまったのだろう。




