42 ラズリス、婚約者を心配する
すぐにナルシスへの不敬について、どこかしらかお叱りが来るかと思っていたが……予想に反して数日たってもガーネットが咎められることはなかった。
――本当に、ナルシス殿下のお考えはわからないわ……。前は、あんなに直情的で読みやすかったのに。
彼はガーネットを嫌っているはずだ。
ならばなぜ、いきなり側室に迎えるなどと言いだしたのだろうか。
――イザベルの提案? いいえ、彼女がそんなことを言い出すとは思えないわ。まさか……エリアーヌ妃の差し金? だとしたら、もっと警戒しなければ。
もやもやとした気分のまま、ガーネットは読んでいた本を閉じた。
そろそろ、貴族院からラズリスが帰ってくる時間だ。
気分を切り替え、婚約者を出迎えなくては。
「お帰りなさいませ、ラズリス殿下」
「あぁ、ただいま」
貴族院から帰還したラズリスと共にお茶を飲み、国政にまつわる最新の情報を聞いてあれこれと話し合うのは、今や二人の習慣となっていた。
「何か変わったことはございましたか?」
「西の国境辺りが少しきな臭いらしい。以前よりも、小競り合いの頻度が増しているようだ」
「戦に、なるのでしょうか……」
「その可能性は低くはないな」
ガーネットはちらりと、目の前の婚約者へと視線を遣った。
始めて出会った頃に比べれば随分と成長したが、彼はまだ14歳。今すぐ戦に駆り出されることはないだろう。
「戦が起これば国が大きく揺れ動く可能性もあります。油断はできませんわ」
「そうだな。……それよりガーネット。最近は何か悩んでいるのか?」
ラズリスにそう問われ、ガーネットは思わずどきりとしてしまった。
「いえ、その……何故わかったのですか」
「君は意外と表情に出やすいからな」
そう言ってくすりと笑うと、ラズリスは黙り込んでしまった。
彼は、無理にガーネットから聞き出そうとすることはしない。
……きっとそれだけ、信用されているのだ。
――ラズリス殿下の信用を、裏切るわけにはいかないわ。
意を決して、ガーネットは口を開く。
「実は先日……偶然城内でナルシス殿下に出くわしまして」
「……ひどい嫌味でも言われたのか」
「いえ、それが……わたくしのことを、側室として迎えてやってもいいと」
「はぁ!!?」
急にラズリスが大きな声を出して立ち上がったので、ガーネットは逆に驚いてしまった。
ラズリスは珍しく荒々しく舌打ちすると、不機嫌そうな声色でガーネットへと問いかける。
「それで、君は――」
「もちろん、きちんとお断りをさせていただきました。だってわたくしは、ラズリス殿下の婚約者なんですもの」
きっぱり言い切ると、ラズリスは驚いたように目を丸くした。
「……ナルシスのところに、戻りたくはないのか」
「いいえ、まったく。今更そんなことを言われてもご免被りますわ」
ガーネットの言葉に、ラズリスはほっとしたように息を吐いて、再び着席した。
「……ナルシスは、どうしてそんなことを」
「真意は不明ですが、おそらくはエリアーヌ妃の差し金でしょう。わたくしとラズリス殿下を分断しようとしたのかもしれません」
最近のラズリスは、少しずつ力をつけ始めている。
エリアーヌ妃が彼を脅威に思い始めてもおかしくはない。
ガーネット――ひいてはラズリスの後ろ盾になっている、フレジエ侯爵家と分断しようと企んだのかもしれない。
「ご安心ください、殿下。わたくしは決して卑劣な分断工作などに屈しはしません」
「……ナルシス自身の意志だという可能性は?」
「えっ?」
「あいつが、やはり君のことを手放すのが惜しくなって、よりを戻そうとしたという線は……」
「ありえませんね。ナルシス殿下はわたくしのことを嫌っていますもの」
自信をもってそう告げたが、ラズリスは何故か呆れたように眉をひそめた。
「……君は、そういう方面についてはあまり自覚がないんだな」
「そんなことはないと思いますが……」
「僕の目から見れば、ナルシスは必要以上に君のことを気にしている。夜会で会うたびに絡んでくるじゃないか」
「あれは、わたくしを傷つけようと思って――」
「それも一つの執着だ。……注意した方がいい」
それだけ言うと、ラズリスは不機嫌そうに口をつぐんでしまった。
こういう時は……年上として甘やかして差し上げなければ。
「殿下、お疲れでしょうしわたくしの膝枕はいかがですか?」
「くっ……!」
ラズリスは何やら葛藤しているようだった。
いつものように「子ども扱いするな!」とすぐに怒り出さないあたり、ガーネットの膝枕に引き寄せられかけているのかもしれない。
「…………する」
「まぁ! さぁさぁこちらへどうぞ」
珍しく彼が素直に頷いたことが嬉しくて、ガーネットは嬉々として自身の膝を提供するのだった。




