41 やり直しは聞けません!
「いえ、あの……いま何と仰いましたか?」
きっと何かの聞き間違いだろう。
あまりに動揺しすぎて、ガーネットは思わずそう聞き返してしまった。
するとナルシスは大げさに胸を張り、もう一度爆弾発言を繰り返す。
「君の無礼は水に流してやると言ったんだ。君も反省しているようだし、私の側室の座を与えてやろうではないか」
――聞き間違いじゃなかった!?
まったくナルシスの意図が読めず、ガーネットは盛大に混乱した。
あれだけ大々的に婚約破棄を宣言し、ガーネットとラズリスの婚約まで企んだくせに……何故今更そんなことを言い出すのか。
「……ナルシス殿下。僭越ながら、今のわたくしは殿下の弟君であらせられるラズリス殿下と婚約しております」
もしかしたらその事実を忘れたのだろうかと、ガーネットはおそるおそる自身がラズリスと婚約状態にあるということを伝えてみた。
だがナルシスは「何を当たり前のことを」とでも言いたげな表情で、とんでもないことを口にした。
「だから、もうそうやって罰を与えるのはやめてやると言っているんだ」
「罰、ですか……?」
「あぁ、あのラズリスの婚約者だなんてこれ以上なく不名誉なことだろう。君もこの2年で心を入れ替えたようだし、私の元へと戻ってくることを許してやろう」
そう言ってこちらに向かって手を差し出すナルシスを、ガーネットは信じられない思いで見つめた。
ラズリスとの婚約が罰?
ガーネットを側室として迎えることを許す?
…………真実の愛はどうした!!?
「……イザベル様は、このことを承知されているのでしょうか」
感情を押し殺してそう問いかけると、ナルシスは何でもないことのように鼻で笑う。
「イザベルはよくわきまえた女だ。側室の一人や二人くらい、正妻の余裕で受け入れられなくてどうする」
その言葉を聞いた途端、ガーネットの中で何かがぷつんと切れてしまった。
ガーネットはもちろん、ナルシスにもイザベルにも恨みを持っていないと言えば嘘になる。
だが、心のどこかで……「真実の愛」で結ばれた二人を、羨んでもいたのだ。
どれだけ知略を尽くして玉座を奪い取ったとしても、真実の愛を手に入れた二人には敵わない部分があると自負していた。
それなのに……ガーネットを側室に迎えようとして、イザベルもそのことを承知しているだと!?
別にガーネットは一夫多妻制を否定するつもりは無い。
この国でもきちんと法の下に定められた制度であり、愛の形は多種多様だ。
だが……。
――『……本当の愛というものを、知ってしまったんだ。イザベルがそれを教えてくれた。イザベルのひたむきな愛に報いるためにも、君との婚約を続けることはできない』
あの言葉はなんだったのだろうか。
イザベルを唯一の相手に据えると決めたからこそ、ガーネットとの婚約を破棄したのではなかったのか。
ガーネットはナルシスの決断に憤るとともに、どこかそのひたむきな愛を美しいものだとも思っていた。
だが、すべてはまやかし……一時の幻に過ぎなかったのかもしれない。
――……がっかりね。
すっと感情が冷めていくと同時に、体の奥底からマグマのような怒りが湧いてくる。
ガーネットは冷めた瞳で、何事かべらべらとしゃべり続けるナルシスを見据えた。
「君もラズリスのような、出来損ないの相手をするのは苦労しただろう。これからは私が――」
「お言葉ですが、ナルシス殿下」
無礼なのは百も承知で、ガーネットはナルシスの言葉を遮った。
背後に控えるナルシスの侍従たちが慌てだすのを尻目に、ガーネットはきっぱりと言い放つ。
「ラズリス殿下は素晴らしい御方です。わたくしは、ラズリス殿下の婚約者であることを常々誇りに思っておりますの」
「なっ……!?」
「ですから、ナルシス殿下のわたくしを側室に迎えてくださるという提案につきましては……謹んでお断りいたします!」
それだけ言うと、ガーネットは素早く一礼して唖然とするナルシスたちに背を向け、早足でその場を後にした。
――言った……言ってしまったわ!
足が震え、心臓がバクバクと早鐘を打っている。
普段のガーネットだったら、王族であるナルシスにこんな風にたてつくなどとは考えもしなかっただろう。
だが、大切な婚約者であるラズリスのことを馬鹿にされ、ガーネットが密かに憧れた「真実の愛」を否定され、我慢がならなかったのだ。
ひたすら早足で進み……周囲に誰もいなくなったところで、ガーネットはぴたりと足を止める。
「サラ……私、とんでもないことを言っちゃったわ」
「ご立派でした、お嬢様。お嬢様は自らのお心に従ったのです、だから……それでいいのですよ」
サラにそう慰められ、ガーネットは泣きそうになりながらも頷いた。




