7 はい、あ~ん
王宮の片隅に位置する温室庭園にて、ガーネットはそっと婚約者であるラズリスの様子を観察していた。
豪奢なソファに腰掛けた彼は、手元の本に熱中しているからか、ガーネットの視線にも気づいた様子はない。
……あえて、無視をしている可能性も捨てきれないが。
――古代帝国の年代記……それも古代語で書かれたものね。なるほど、どうやら頭の方は冴えてるようね。あのレベルの本は、まだナルシス殿下も辞書なしでは読めないでしょうから。
どうやら読書好きというのは本当のようだ。
これは好都合。きっちりと教育すれば、ナルシスよりもよほど将来性はありそうだ。
――でも、せっかく立派に成長してもイザベルみたいな女性にそそのかされないとも限らないわ。ここは、しっかり手綱を握っておかなくては……。
あらためてそう決意し、ガーネットは優雅に手元のベルを鳴らし使用人を呼びだした。
「間食につまめそうなフルーツを用意してもらえるかしら」
「かしこまりました」
ラズリスはその言葉にちらりと視線を上げたが、すぐにまた本の内容に集中したようだった。
やがて使用人が、一口サイズにカットされたフルーツを運んでくる。
「ありがとう、助かるわ」
フルーツを受け取ると、ガーネットはラズリスの向かいの席から立ち上がり、彼のすぐ隣へと腰掛ける。
そして、カットフルーツを一つフォークにさして、ラズリスの口元へと持っていく。
「ラズリス殿下、はい、あーん」
「……何のつもりだ」
「殿下は読書に集中されているようですので、私が代わりに。夫の手を煩わせないのも妻の務めでありますので」
「はぁ? 僕はそんなふざけた真似はしない。結構だ」
とりつく島のないラズリスの態度に、ガーネットは内心で首をかしげた。
――おかしいわ。「必勝♡気になる彼の攻略法」には成功率99%の秘技だって書いてあったのに。
「必勝♡気になる彼の攻略法」はサラと共に訪れた書店で、店員に「恋にお悩みならこの本をどうぞ!」と勧められた一冊である。
巷では評判のよい恋愛指南書であるらしく、読破し内容を頭に叩き込み、こうして実行してみた訳なのだが……。
――1%の確率で回避するなんてさすがは王族……侮れないわ!
ガーネットは知らなかった。
権威ある学術書とは違い、こういう大衆的な指南書の記述はとにかく大げさに書いてあるということも、そもそもそれなりに親密な間柄でしか通用しないということも、知らなかったのである。
表情の指定はなかったので真顔で差し出したのも悪かった。
ラズリスにとっては、警戒心を強める結果にしかならなかったのだ。
思わぬ苦戦に首をかしげていると、差し出したままになっていたフルーツから、ぽたりと果汁が垂れそうになってしまう。
「あぁ、大変!」
「っ……!」
このままでは貴重な本に果汁の染みがっ……! とガーネットが焦った途端、ラズリスも反射的に本を守ろうとしたのか、ぱくりとフルーツに食らいついた。
しまった!……と言いたげな表情でもぐもぐ口を動かす小さな王子に、ガーネットはぽかん、と彼の顔を見つめる。
――食べて、くれた……。ふふっ、小さなリスみたいで可愛いわ。
ラズリスがもぐもぐと口を動かす様子は、小動物のように愛らしい。
普段はあまり表情の動くことのないガーネットでも、思わず頬が緩んでしまうほどだ。
ラズリスが咀嚼し終わったタイミングを見計らって、すかさず次のフルーツを彼の口元へと差し出す。
「……もういらない」
「そんなことおっしゃらずに。フルーツには栄養がたっぷりですから、殿下もすぐに大きくなれますわ」
「別にそんなのいらな……わかった! わかったから押し付けるな!」
「ツンデレな彼の攻略法♡押して押して押しまくれ!」の教えの通りに、ガーネットはぐいぐいフルーツを押し付ける。
ガーネットに引く気がないと悟ったのか、ラズリスは仕方ないと言った様子で嫌そうにフルーツを口にする。
しかし吐き出すようなことはせず、恨めしそうな目をガーネットに向けながら、先ほどのようにもぐもぐと口を動かしていた。
――ふふ、本の教えの通りに押したらうまくいったわ。やっぱりラズリス殿下は「ツンデレ」タイプなのかしら……。
何度も何度も同じような攻防を繰り広げ……先に音を上げたのは、ラズリスの方だった。
もう好きにしろとばかりに手元の本に目を落とし、ガーネットがフルーツを口元へ持っていくと自然に口を開けてくれるようになったのだ。
ガーネットは勝利の余韻を噛みしめながら、ちまちまとラズリスにフルーツを食べさせていく。
まるで小動物に餌付けしているような気分になり、ガーネットはゆるゆると緩む頬を手で押さえた。
――陽の光がよく入る温室で、栄養をとりながらの読書……建物の中でじっとしているよりは体によさそうね。
まずは成功かしら……と、ガーネットは確かな手ごたえを感じていた。
だが、ここで終わるつもりは無い。
さらなる段階へ策を進めようと、ガーネットは準備を始めた。