37 ガーネット、本気を出す
ガーネットが選んだのは、この国の貴族であれば誰でも知っているような、有名なオペラの曲だ。
皆が知っている曲だからこそ、一味違うアクセントが求められる。
そっと息を吸い、ガーネットは曲を奏で始めた。
最初は静かに聞き入っていた観客たちが、ある部分に差し掛かったときに明らかに反応を示す。
「今のはなんだ……!」
かかった……!
観客たちの反応の変化に、ガーネットは確かな手応えを感じた。
馴染みのある曲だからこそ、より変化が際立つのだ。
ラズリスの弾き方を見て、ガーネットが思い付いた奏法。
同時に2本の弦を弾き、和音を奏でる方法ーー重音奏法。
ガーネットは短い期間でこの奏法をマスターし、見事にアレンジとして取り込むことに成功したのだ。
――これは私の戦い。ラズリス殿下の婚約者として、最高の演奏をお届けしなければ……。
観客席の方へ視線をやれば、ガーネットの心の支えである婚約者の姿が見える。
彼を想い、彼のために旋律を奏でる。
――私の全ては……あなたのために。
ガーネットは夢中になって、弦を弾き鳴らした。
曲が終わると、心地よい疲労感が体を支配する。
ガーネットは冷めやらない熱に浮かされたまま、ゆっくりと客席に向かって礼をしてみせた。
その途端割れんばかりの拍手と歓声に襲われて、ガーネットは思わずびくりと体を跳ねさせてしまった。
――う、うまくいったのかしら……?
縋るようにラズリスの方へ視線をやると、彼は満足そうな笑みを浮かべてゆっくりと頷いてくれた。
その表情を見て、ガーネットはほっとしたように力を抜く。
――私……うまくやれたのね。
歓声に応えるようにもう一度優雅に一礼し、ガーネットは舞台の上から退いた。
この会場に集まった者の多くは、表立って口にはしなくとも、皆イザベルが自らの優勝のためにとても誉められるものではない手段を用いていることを感づいてはいた。
そのため辞退者も続出し、なんとか音楽会の面子を保つために出場した者も、とても全力で腕前を競うような気にはなれなかった。
イザベルの優勝という筋書きが定められた、ある意味白けた舞台だったのかもしれない。
だがガーネットはそんな中で、堂々と舞台に立ち、最高のパフォーマンスを見せてくれたのだ。
観客はそんなガーネットの姿に釘付けになり、あれだけガーネットを馬鹿にしていたナルシスでさえも唖然とした表情で彼女の去った舞台の上を凝視していた。
そんな異母兄にちらりと一瞥をくれ、ラズリスはそっと席を立つ。
周囲は今までに聞いたことのないガーネットの新たな演奏について議論を交わすのに忙しく、誰も席を立ったラズリスを見咎めることはなかった。
◇◇◇
「ガーネット」
控室を出た途端に声をかけられ、ガーネットは驚いて振り返る。
そこにいたのは、ガーネットの心の支えである婚約者ーーラズリスだった。
「殿下、どうなさったのですか? まだ音楽会の途中でーー」
「今戻ったら君の演奏を讃えようとする者たちに揉みくちゃにされそうだから、迎えに来たんだ」
「まぁ、ありがとうございます」
ラズリスの婚約者として王族席に座った方がいいと提案され、ガーネットは笑顔で礼を言う。
すると、ラズリスは照れたようにそっぽを向いた。
「それと、その……さっきの演奏だけど……すごかった」
ぼそりとそう口にするラズリスに、ガーネットは胸がぽわっと暖かくなる。
「わたくし……殿下の婚約者として、恥ずかしくないような舞台にできたでしょうか」
ラズリスはガーネットの言葉を肯定するように、しっかりと頷いてくれる。
「あぁ、想像以上だった」
「まぁ嬉しい。わたくし、もっと演奏に感情を込めるべきだと指摘を受けまして……ラズリス殿下のことを考えながら弾いておりましたの。そうすると、不思議とうまくいって……殿下?」
言葉の途中で、ラズリスは何故か俯いてしまった。
気を悪くしたのだろうか……とガーネットはオロオロしたが、彼の耳が真っ赤に染まっているのに気がついて「おや」と首を傾げる。
「殿下、どこか御加減が――」
「べっ、別に何でもない!」
ラズリスがくるりと背を向けて、早足で歩きだしてしまったので、ガーネットは慌ててその後を追うのだった。




