36 音楽祭、開幕
冬至祭が始まり、王宮や城下町は華やかなムードに包まれている。
「今夜は新年祭を前に都に来られた貴族の方々との会食、明日は孤児院への慰問の予定が入っております」
「あぁ、わかっている」
年明けの新年祭の際には国内の多くの貴族が、王族への挨拶の為に王都へとやって来る。
ガーネットはこの機会に、少しでもラズリスの素晴らしさを広めようと公務の合間を縫って予定を入れていた。
公務の概要や会食相手の特徴を説明するガーネットに、ラズリスが訝し気な視線を向ける。
「……君はちゃんと休んでいるのか? 音楽祭はもう明後日だぞ」
「えぇ、準備は抜かりなく。ラズリス殿下のおかげで、新たな道が開けたんですもの」
ラズリスからインスピレーションを得た重音奏法を取り入れ、ガーネットは音楽祭で披露する曲をほぼ完成形にまで高めていた。
――それに、音楽に気持ちを込めるって言うのが、少しずつ分かって来た気がするわ……。
ラズリスがガーネットの新たな可能性を見出してくれた。
だから、この演奏はラズリスへと捧げよう。
そう決意し、ガーネットは日々練習を重ねていた。
――ラズリス殿下の為にも、みっともない姿を見せるわけにはいかないわ。
正々堂々、イザベルに勝負を挑もうではないか。
その結果が敗北だったとしても、ガーネットの雄姿はきっと多くの人々の記憶に残るはずなのだから。
◇◇◇
宮廷音楽祭の当日。
ガーネットはラズリスと共に、臆することなく堂々と会場に足を踏み入れた。
会場となる音楽堂には既に大勢の者が詰めかけている。多くの者が、今回の音楽祭にまつわる不幸な事故の連鎖についてああでもないこうでもないと、囁きを交わしているようだ。
「やはり……君の出場するミューズ部門はかなりの辞退者が出てしまったな」
「えぇ、本来出場予定の半分の数にまで減ったと聞いております」
ガーネットがイザベルに釘を刺したことにより、一連の事件はぴたりと収まった。
それでも、わが身に危険が降りかかるのを恐れて、辞退を決めた者も多い。
今までとは違う波乱の音楽会に、観客もいろんな意味で盛り上がっているようだった。
出場者の控室の前で、ガーネットはラズリスに向かって丁寧に礼をして見せた。
「それではラズリス殿下、殿下の婚約者の名に恥じない健闘をお約束しますので、わたくしの雄姿をとくとご覧ください」
「あぁ……ガーネット」
ラズリスがそっとガーネットの手を握る。
思わずどきりとしたガーネットの耳に口元を近づけ、ラズリスは間近で囁いた。
「頑張れ」
「…………はい!」
ガーネットはしっかりと頷いた。
前にラズリスが正々堂々とフィリップと戦った時のように、ガーネットも堂々と舞台に立って見せようではないか。
――見ていてください、ラズリス殿下。
いよいよ、ガーネットの戦いが始まるのだ。
◇◇◇
事前の波乱が嘘のように、音楽会は順調に進んでいく。
イザベルの出番は前半、ガーネットの出番は後半に位置している。
次は、イザベルの順番だ。
イザベルの名前が高らかと読み上げられると、割れんばかりの歓声が場内を支配する。
舞台袖の控室にまで、その熱気が伝わってくるようだった。
やがて、ナルシスのイザベルを称える演説まで聞こえてくる始末。
あからさまな特別待遇に、思わず乾いた笑いが漏れそうになる。
――ここまでお膳立てしてきたってことは、さすがにイザベルもある程度の腕前なのかしら……。
ナルシスの長ったらしい演説が終わり、会場が静まり返る。
聞こえてくるのは、横笛の音色だ。
イザベルの演奏は、まぁそこそこだと評するに値する腕前だった。
素人が聞けば上手いと思うだろうが、ある程度奏楽の教養を持つ者であれば細かい粗が気になるであろう。
――イザベルも、たくさん練習したのかしら……。
ガーネットもナルシスの婚約者だった頃は、妃教育の一環でみっちりと奏楽技術も仕込まれたものだ。
イザベルもガーネットが苦しんだように、厳しい妃教育に苦しめられているのだろうか。
それとも、「真実の愛」を手に入れたナルシスは、愛する彼女をそんな過酷な道からは遠ざけているのだろうか……。
――……考えるだけ無駄ね。
深く息を吸って、もやもやした思考を振り払う。
今はナルシスとイザベルのことなど考えても仕方がない。
ガーネットの演奏は、ラズリスにこそ捧げられるものなのだから。
順調に音楽祭は進行していき、ガーネットも舞台袖へと呼ばれる。
――ラズリス殿下の婚約者として、無様な真似は見せられないわ。
ガーネットの名前が読み上げられ、平常心を装いながらガーネットは舞台の中央へと進み出た。
舞台に立てば、客席を埋め尽くす観客の姿が見通せる。
その中央付近……王族席には、中々人前に姿を現さない国王と、エリアーヌ妃が並んで座していた。
少し離れたところに、イザベルの出番が終わりあからさまに退屈を持て余した様子のナルシスと、じっとこちらを見つめるラズリスの姿も見える。
――ラズリス殿下……。
婚約者の姿を見た途端、ガーネットの緊張がすっと解けていく。
大丈夫、彼が見ていてくれるのだ。
だから、何も恐れることはない。
ガーネットが一礼すると、イザベルの時ほどではないが大きな拍手が送られる。
――ラズリス殿下。私のこの演奏を、あなたに捧げます。
ヴァイオリンを構え、ガーネットはゆっくりと調べを奏で始めた。




