35 ラズリス、年上婚約者に甘える
ガーネットの狙い通り、音楽祭の出場者を狙った事件はぴたりと収まった。
本当ならイザベルの犯行を白日の下に晒すところまで持っていきたいところだが、それは難しいだろう。
現在、国政の実権はエリアーヌ妃が握っているようなものなのである。
まだ、彼女の地盤を切り崩すにはガーネットとラズリスは力不足だ。
「まだ時期尚早ね……」
音楽祭が終わったら、実行犯である男爵だけでもお縄にかかってもらうとしよう。
「後はわたくしが、音楽会の場で正々堂々とイザベルに勝負を挑むのみですが……」
「そのことですがガーネット嬢、一つ悪い知らせが」
ラズリスの離宮にやって来て、共にティータイムに興じていたフィリップが、どこか苦々し気に口を開いた。
続きを促すガーネットとラズリスに、彼は重々しく話し始める。
「音楽祭の結果ですが、最終的には5人の審査員の投票によって決まるのはご存じで?」
「えぇ、芸術方面に造詣が深い方々が審査員を務めると伺っております」
審査員は公正なる目と耳をもって、出場者の中から最も優れた者を選び出す。
出場者の身分や地位などは考慮されず、より優れた者が栄誉を手にする……ということになっているのだが――。
「審査員の内、三人はイザベル陣営に買収されています。つまり、多数決でイザベル嬢の優勝は既に決定済み……らしいですよ」
フィリップのもたらした情報に、ガーネットは小さくため息をついた。
「……やはり、そうなりましたか」
この展開を予想していなかったわけではない。
イザベルやエリアーヌ妃なら、イザベルの優勝の為にあらゆる手を講じてくるはずだ。
審査員に選ばれるものは、深い芸術方面での名声を持つ者たちばかり。
芸術を愛する者としてのプライドを持ち、公平な審査をしてくれるよう望んでいたが……やはり権力には勝てなかったのだろう。
ガーネットとてその判断を責めるつもりは無い。エリアーヌ妃の影響力は絶大だ、逆らえばどんな目に遭うのかわからないのである。
「さて、ガーネット嬢。この絶体絶命の状況で、あなたはどうなさるのです?」
どこか茶化すように、フィリップがそう口にする。
この状況を楽しむ余裕があるのが、彼という人間の凄い所だ。
ある意味、ガーネットも見習うべき点はあるのかもしれない。
ガーネットは自身を落ち着かせるように紅茶を口にし、ティーカップをソーサーに戻しつつ口を開く。
「わたくしはだた、正々堂々とイザベルに挑むのみです」
「それだけですか? 間違いなく負けますよ」
「えぇ、結果的に優勝はイザベルに持っていかれるでしょう。ですが……わたくしの演奏は、観客の方々の耳に届きます。もしもわたくしの演奏の方が優勝したイザベルよりも優れていると皆が思えば……この体制に一石を投じることができるでしょう」
イザベルから優勝をもぎ取るのは難しいだろう。
対抗して審査員を味方につけるという案も兄から提案されたが、ガーネットは断った。
ガーネットはただ、正々堂々持ちうる力を尽くして渾身の演奏を届けるのみ。
そうすれば、きっと観客は審査結果に疑問を持ち、イザベルの不正を疑うようになるだろう。
ここで生じた小さなさざ波が、やがては現政治体制に大きな波紋を及ぼす……ようになればいい。
「試合に負けても、勝負に勝てるように全力を尽くしますわ」
ガーネットがにこりと笑うと、ラズリスが呆れたように笑う。
「わかった。だが……あまり無理はするなよ」
「わたくしを心配してくださっているのですか? あぁ、なんてお優しいラズリス殿下!」
「こらっ、頭を撫でるな! 子ども扱いはやめろ!!」
じゃれ合う二人を見て、フィリップはやれやれと肩をすくめた。
◇◇◇
いよいよ音楽祭の日は近い。
他にも冬至祭では様々な行事もあり、ラズリスもガーネットも忙しく動いている。
それでもガーネットは、時間を見つけては演奏の完成度を高めようと四苦八苦していた。
「……ガーネット、そろそろ休んだ方がいい」
公務に関する打ち合わせの合間に、ガーネットはラズリスの離宮で練習に熱中していた。
気が付けば、いつの間にか傍に居たラズリスにそう声を掛けられる。
「いえ、もう一度全体を通して弾いてみてから――」
「張り切りすぎて腱鞘炎になりかけていると聞いたぞ」
「うっ……」
――サラ、殿下に密告したのね……。
どう誤魔化そうかと内心で焦っていると、近付いてきたラズリスがそっとガーネットの手を取る。
「いいから、今は休んでくれ」
そっと指先を撫でられ、ガーネットはらしくもなくどきりとしてしまった。
――殿下の指……いつの間にか大人の男性のようになってきているのね……。
昔はふにふにと柔らかかったラズリスの指も、今は節くれ立った大人の指へと変わりつつあるようだ。
その変化に、思いのほか戸惑ってしまった。
「……わかりました。少し、休憩を取りますわ」
少し集中が乱れてしまった。今は、素直に休憩を取った方がいいだろう。
そう告げると、ラズリスはガーネットの手を引くようにしてソファに座らせてくれる。
「ふふ、もしかして殿下、わたくしが構って差し上げなかったので寂しく思われたのですか?」
茶化すつもりで、ガーネットはそう言ってみた。
ガーネットの予想では、ラズリスは顔を真っ赤にして「誰がそんなことを言った!?」と怒り出すかと思われたのだが……。
「……だったら、悪いか」
顔を赤くするところまでは予想通りだったが、ラズリスはどこか拗ねたように、ガーネットの肩口にぐりぐりと頭を押し付けてきたのだ。
――ほ、本当に寂しがってたの……!?
ガーネットは胸に手を当て、そっと深呼吸をしてみる。
こんな風にラズリスが甘えてくるなど、もしかしたら初めてのことかもしれなかった。
「……膝枕、しましょうか?」
「…………する」
素直に膝に収まったラズリスの頭を、ガーネットはおそるおそる撫でてみた。
普段は「子ども扱いするな!」とやかましいラズリスが、こんな風に素直なのは……。
――もしかして、私を元気づけようとしてくださっているのかしら……。
ガーネットの胸が、暖かな感情で満たされる。
感じていた疲れが、焦燥感が、すっと消えていくような気すらした。
「……ありがとうございます、殿下」
「…………別に」
そっと囁いて、ガーネットは出会った頃に比べると随分と重さの増したラズリスの頭を撫でた。




