34 ガーネット、敵に揺さぶりをかける
ラズリスによって新たな可能性を見出した日から、ガーネットは朝も昼も夜も猛練習に励んでいた。
教本にも乗っていない演奏方法を、自分自身で作り上げるのだ。
今までのやり方は通用しない。だが、不思議と心は沸き立っていた。
「えっと、ここをこうして……」
ぐりぐりと譜面にメモ書きを重ね、少しずつ完成度を高めていく。
熱中するガーネットに、遠慮がちに侍女のサラが声を掛けてくる。
「お嬢様、そろそろ今夜の舞踏会の支度を始めませんと……」
「今いい所なのよ。今日は申し訳ないけど欠席……できないわ」
今夜の舞踏会にはナルシスとイザベルも出席するとの情報を入手している。
イザベルの様子を探る、絶好のチャンスなのだ。
ガーネットは気を取り直し、慌てて楽器を仕舞い始める。
「行きましょう。私は正々堂々戦うと、宣言してくるわ」
◇◇◇
「いいですか、ラズリス殿下。決していきなりイザベルを問い詰めたりはなさらないでくださいね」
「わかってる、もう何度も聞いた。ただし、君に危害を加えようとしたら黙ってはいられない」
「イザベルとてそこまで愚かな真似はしないでしょう。ここで騒ぎを起こせば、窮地に陥るのは自分の方だということくらいはわかっているはずです」
舞踏会の会場へ向かう道すがら、ガーネットは根気よくラズリスに言い聞かせた。
数日前、ガーネットを王城の一室に閉じ込めたメイドがフレジエ侯爵家の門を叩いた。
彼女は涙ながらにガーネットに詫び、家族や仕事を人質に取られ脅されていたのだと涙ながらに語った。
彼女に指示を出していたのは、黒い噂の絶えないとある男爵だ。
おそらくその者がイザベルの手駒の一人なのだろうが、残念ながらイザベルに結び付くような証拠までは得られていない。
「ここでわたくしが男爵の犯行を告発しても、トカゲのしっぽ切りのように彼一人切り捨てられて終わりでしょう。それよりは、イザベルに精神的な揺さぶりをかける方が有効的かと」
ガーネットはまだ一連の犯行の黒幕がイザベルだという証拠までは握れていない。だが、さも「自分は全てをわかっています」という振りをしてイザベルに近づけば、彼女に揺さぶりをかけることはできるだろう。
イザベルもこれ以上尻尾を出すのを恐れ、これ以上の犯行を思いとどまってくれるとよいのだが。
――私の演技力にすべてがかかっていると言っても過言ではないわ……。
気を引き締め、ガーネットはラズリスの手を取り馬車を降りる。
「さぁ、参りましょう」
「……本当に君は懲りないな。あんな目に遭ったのに」
「エリアーヌ妃と対立すると決めた時から、ある程度の危険は承知のうえです」
怯むことなくそう言って見せると、ラズリスは呆れたように笑った。
「一蓮托生、死なばもろとも……か」
どうやら彼は、以前ガーネットが冗談めいて口にした言葉を覚えていたようだ。
「本当に……君といると退屈しないな」
「お褒めに預かり光栄です」
ガーネットの手を取るラズリスの手に、力がこめられた。
本当は、ガーネットだって怖くないわけじゃない。不安がないわけじゃない。
でも、隣に彼がいてくれるから……彼の婚約者の名に恥じないような、立派な人間にならなければと奮起できるのだ。
ガーネットとラズリスが会場へ足を踏み入れると、すぐに多くの者が集まってくる。
それだけ、ラズリスに期待する者も多いのだろう。
地道な努力が実を結ぶのを実感しながら、ガーネットはちらりと会場の様子を伺う。
――……あそこね。
会場の中心近くに、多くの人だかりができている。
その中心にいるのは、第一王子ナルシスと彼の婚約者であるイザベルだ。
ちらりとラズリスに目配せすると、彼も心得たように頷いた。
人々と挨拶を交わしながら、さりげなく……ガーネットとラズリスはナルシスたちへと近づいていく。
ガーネットたちの姿を見ると、ナルシスの周りに集まっていた者たちも自然と道を開けてくれる。
「お久しぶりです、兄上」
そう口火を切ったのはラズリスだ。
ラズリスとガーネットの姿を見たナルシスは一瞬驚いたように目を丸くして……すぐにいつもの意地の悪い笑みを浮かべた。
「ラズリス、ガーネット、お前たちも来ていたのか。相変わらず、姉と弟のように仲がいいのだな!」
そう言って、ナルシスは馬鹿にするように笑った。だがいつもと違うのは、普段ならナルシスに合わせるように甲高い笑い声をあげるイザベルが、何かを恐れるように黙り込んでいることだ。
「ご機嫌麗しゅう、イザベル様」
「え、えぇ……いい夜ね」
ガーネットが穏やかな笑みを浮かべて声を掛けると、イザベルの肩がぴくりと跳ねる。
その表情は、笑顔を作ってはいるが明らかに引きつっているのを隠せてはいなかった。
「どうかなさいましたか、イザベル様? もしやお加減が優れないのでは……」
「い、いえ、大丈夫よ……」
「ガーネット、無理もない。例の事件はまだ解決していないんだろう、バルケット子爵令嬢が狙われる可能性だって十分にあるんだ」
ラズリスのアシストに、ガーネットは内心でほくそ笑んだ。
事件の話題が出た途端、イザベルの顔がさっと青ざめる。
「まったく、神聖な冬至祭の前にこんなきな臭い事件とは……。誰でもいいからさっさと犯人を見つけ出し、俺の前に引きずり出して欲しいものだな!」
ナルシスは憤りながら、そんな見当違いなことを口にする始末。
――やはり、イザベルが黒幕だということはご存じないのね……。
「大丈夫、君のことは俺が必ず守ろう」などとイザベルに囁くナルシスを、ガーネットはじっと見つめた。
イザベルはやはり表情をこわばらせて、かすかに震えている。
ガーネットはここぞとばかりに、畳みかけることにした。
「イザベル様、ご心配なさらずに。きっとすぐに犯人は捕まりますわ」
「えっ?」
「実はわたくし、もう少しで……いえ、何でもありませんわ」
あからさまに中途半端なところで言葉を切り、ガーネットは微笑む。
「イザベル様、どうかお気を付けください。皆、イザベル様が音楽会に出場なさるのを心待ちにしております。わたくしも、イザベル様と同じ舞台に立てるのが楽しみですわ。どうか……公正たる選考が行われんことを、お祈り申し上げます」
「公正たる」のところを強調し、釘を刺すつもりでガーネットはイザベルにそう告げる。
これで、イザベルも犯行が露見するのを恐れ、これ以上の犯行を思いとどまってくれるといいのだが。
「……随分と自信があるようだな、ガーネット」
「わたくしも、音楽会の為に日々練習を重ねておりますので。ですが、イザベル様も相当な腕をお持ちだとお伺いしております。競い合える日が楽しみですわ」
どこか不満そうなナルシスにそう告げて、ガーネットはラズリスと共にその場を後にした。




