6 第二王子の事情
「ほら、今の季節はちょうどたくさんの花々が咲き誇っておりますの。せっかく見頃なのですから、見なければもったいないと思いませんか?」
「……別に」
ラズリスが逃げ出さないように腕を絡めるようにして、ガーネットは美しく手入れされた庭園を進んでいく。
小さな王子様は無理やり連れだされたことがご不満なのか、ぷい、と顔を背けていた。
――食事、運動、日光浴……それに、十分な睡眠ね。
ガーネットは今までのラズリスの生活習慣についても情報を集めていた。
そして、集まった情報に頭を抱えたものである。
ラズリス・ジェノワーズと言う王子は、とにかく不健康極まりない生活を送っていたのだ。
まず、離宮から出ることがほとんどない。
こうして散歩に出ることすらないらしく、驚くほどの引きこもり生活を送っているようなのだ。
しんと静まり返った建物の中で、彼は暇なときは読書などをして過ごしているらしい。
使用人の話によれば、読書に熱中するあまり夜更かしをしすぎることも多いのだとか。
――寝る子は育つって言うし、そのあたりも要チェックね。それに……。
そして何より、偏食で食が細い。細すぎる。
今朝の朝食だって、彼が食べた量を考えればうさぎの餌より少ないくらいだった。
これでは、年齢よりも小さくて当然である。
婚約者の想像以上に乱れた生活に、ガーネットはこっそりため息をついた。
――一番問題なのは、国王陛下の嫡子である殿下がそんな境遇で放置されてるってことなんだけど……。
ラズリスは別に、表に出すことができない私生児と言うわけではない。
先代の正妃より生まれた、正式な王子なのだ。
……だが、裏を返せばそれが一番の問題なのだろう。
第二王子ラズリスの母――ミレイユ妃は、元々は地方の小さな子爵家の娘だった。
当時はまだ王子だった国王が地方の巡察に訪れたところを、運命的に出会い恋に落ちた話は有名である。
二人は身分差もあり周囲からは結婚を反対されたが、国王は頑として譲らなかった。
強固な意志で、ミレイユ妃を唯一の正妃に据えたのである。
だが、二人は中々子に恵まれなかった。
時がたつにつれ周囲の圧力が強くなり、当のミレイユ妃の説得もあって、国王は有力な侯爵家の娘を第二妃として迎え入れた。
それが、ナルシスの母である現正妃――エリアーヌ妃だ。
先に子が生まれたのは、エリアーヌ妃の方だった。
数年後にミレイユ妃も子に恵まれたが、彼女は息子――ラズリスがまだ幼い頃に、流行り病でこの世を去っている。
ミレイユ妃が亡くなると、エリアーヌ妃が繰り上がりで正妃の座についた。
片や強固な後ろ盾を持つ、正妃の息子である第一王子。
片や先代王妃といえど身分の低い妃の元に生まれた、寄る辺の無い第二王子。
貴族たちがどちらにつくかは、火を見るよりも明らかだった。
ミレイユ妃を失った国王はこの世の終わりとばかりに嘆き悲しみ、深い絶望からいまだに立ち直れてはいない。
今では政は王妃や臣下に任せっきりで、自身は日がな一日ミレイユ妃との思い出の音楽やオペラに浸っているのだとか。
ミレイユ妃の血を分けた子供であるラズリスでさえも、国王にとっては興味を引く対象にはならなかったようだ。
そんな中、いまや正妃となったエリアーヌ妃はまるで女王のように、国政を牛耳っている。
元々現国王の婚約者候補だったエリアーヌ妃は、一時は辺境の子爵令嬢に正妃の座を奪われたという屈辱もあり、ラズリスなど可愛さ余って憎さ百倍。目の上のたんこぶといったところだろう。
もちろん母親代わりに愛をこめて養育する……なんて感動的な展開にはならなかった。
こうして放置された哀れな第二王子は、誰にも顧みられることなく薄暗い離宮で一人寂しく暮らしていた……というわけだ。
――でも、私が婚約者になったからには今までのようにはさせないわ。誰もが認める立派な王子に成長してもらわなければならないもの。
美しい花々を眺めながら、あれこれラズリスに話しかけつつ、ガーネットはそう決意を固めた。
ぐるりと近くの庭園を一周すると、ラズリスはやっと終わったとばかりにため息をつく。
「はぁ、これでもういいだろ。僕は部屋に帰らせてもらう」
「お部屋で何をなさるのですか?」
「読書だ」
「なら、向こうの温室に参りましょう。さぁ、本を取って来てくださいな」
「なっ、何でそうなる!?」
――とにかく押して押して押すこと……。そう、この勢いのまま殿下の乱れた生活習慣を矯正してさしあげなければ。
作戦はまだ始まったばかり。ガーネットはまだまだへこたれるつもりは無い。
ラズリスもガーネットに退く気がないと悟ったのか、渋々といった様子で本を取りに行った。
そうしてガーネットは次なる作戦の為に、小さな王子を温室へと案内するのだった。