28 ガーネット、虎穴に入る
いよいよ音楽会の日が近づきつつある。
ガーネットは日々熱心に練習に身をやつしていた。
本日はより本番に近い環境での練習をということで、許可を取って音楽祭の会場である大ホールを借りていた。
観客との距離感、音の響き方、より魅力的に見せるための立ち位置など確認し、弾いていたのだが……。
――やっぱり、何かが足りないわ。
ガーネットの胸には、少し前に演奏家から伝えられた言葉が引っかかっていた。
――正確に譜面をなぞりすぎている。
あれから色々と試しては見たのだが、どうにもしっくりこないのだ。
――人の心を動かすような音楽……いったい、どうすればいいのかしら。
まだ、その答えには辿りつけていない。
たくさんの本を読んだ。多くの人に意見を聞いた。
それでも、ガーネットにはわからないのだ。
――今は、とにかく何でも試してみなくては。
一心不乱に、ガーネットはヴァイオリンを弾き鳴らす。
……いつの間にか、随分と時間が経っていたようだ。
サラに声を掛けられ、ガーネットは楽器を奏でる手を止めた。
「お嬢様、そろそろお時間です。本日はここまでといたしましょう」
「……そうね。フレジエ侯爵令嬢は約束の時間も守らないなんて思われたら大変だもの」
名残惜しいが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
ガーネットは楽器を片付け、ホールを出る。
「お嬢様、鍵の返却と馬車の手配をして参りますので、こちらでお待ちください」
「えぇ、ありがとう」
ガーネットは王宮のエントランスにほど近い控えの間で、サラの帰りを待つことにした。
――帰ったらまた練習を……いえ、あまり根を詰めすぎると体を壊してしまうわ。十分な休息を取った方が効率がいいと前に読んだ本に書いてあったもの。
今夜はゆっくり休み、明日また考えればいい。
そう思い、ガーネットが少し肩の力を抜いたところ……。
「フレジエ侯爵令嬢、失礼いたします」
王宮のメイドと思われる女性が、声を掛けてきた。
「侯爵令嬢の侍女の方より言伝をお預かりしました。少々トラブルがあり別の馬車を手配したとのことで、西の通用口でお待ちしているとのことです。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
そう言って、メイドは丁寧に頭を下げた。
だが、ガーネットは動かなかった。
「そうでしたの。ならば、サラを呼んでいただけるかしら」
「申し訳ございません。侍女の方は準備があるということで、わたくしがご案内を仰せつかりました」
「だったら、その準備が終わるまで待たせていただくわ。そのように伝えてもらえるかしら」
ガーネットが表情を変えずにそう伝えると、さっとメイドの顔色が青ざめた。
その変化で、ガーネットは確信する。
――……やっぱり、罠のようね。
ごくごく単純な分断工作だ。
きっと他の出場者たちは、このように偶然を装って誘い出され、罠にかかっていったのだろう。
――ファリネ伯爵令嬢の話を聞いておいてよかったわ。先んじて罠だと看破できたんだもの。でも、逆に考えれば……。
これは、あちらの尻尾を掴む絶好の機会ではないのか?
ここでガーネットが罠を回避したとしても、彼らはまた別のターゲットを狙うだろう。
それよりも、罠にかかったふりをして証拠を掴めば、これ以上の被害者を出さずに済む。
ガーネットはナルシスが王位を継ぐのを憂いて、ラズリスと共に歩むことを誓った。
妃として彼の隣に立つにふさわしい、公正たる人間でいなければならないのだ。
ガーネットは、そう心に誓ったのだから。
――これ以上の凶行を、見て見ぬ振りはできないわ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
大丈夫。罠だとわかっているのだから、いくらでも対処のしようはあるだろう。
ガーネットは穏やかな笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。
「……いいえ。この寒い中、何度もサラやあなたを走らせるのも忍びないわ。わたくしが共に参りましょう」
そう言うと、メイドはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
どうやら彼女の上に立つ司令塔――イザベルやエリアーヌがよほど恐ろしいとみえる。
――……今夜で、終わらせてみせるわ。
そう決意し、ガーネットは警戒しながら先を歩くメイドの後を追った。




