27 ガーネット、元婚約者に探りを入れる
いったい何故、ナルシスがここに……。
ガーネットは動揺しそうになったが、何とか気を落ち着かせ、今にも飛び出そうとするサラに目配せした。
――……大丈夫。私は平気よ。
そっと息を吸い、ガーネットは扉の向こうのナルシスへ向かって膝を折って見せた。
「これはナルシス殿下、お久しゅうございます」
また憎まれ口の一つでも叩いて去っていくかと思われたナルシスだが、彼がそのまま室内に入って来たので、ガーネットはまた動揺しそうになってしまう。
――何のつもりなの……? まさか、直接私に危害を加えるつもりなのかしら。
ナルシスの現婚約者――イザベルは、冬至祭の音楽会で優勝する為に、ライバルとなる者たちに次々と危害を加えている。
まさか、ナルシスが知らないはずはないだろう。
表面上は穏やかな笑みを浮かべたまま、ガーネットは一瞬たりとも気を抜くまいとナルシスの動向に注意を払った。
ナルシスは真っすぐにガーネットの前までやって来ると、まるで見下すかのように余裕の笑みを浮かべた。
「随分と下手になったものだな。ラズリスの婚約者になって、気が抜けているんじゃないのか?」
下手になった……というのは、先ほどの試行錯誤しながらの演奏のことだろうか。
「耳障りな音を届けてしまい、誠に申し訳ございません。ただいま音楽の新たな可能性を模索している最中ですの」
「今更そんな段階なのか? これはもう、イザベルの勝利は決まったようなものだな!」
そう言って高らかに笑うナルシスの真意を見極めようと、ガーネットはつぶさに彼を観察した。
「……そういえば、近頃音楽会のミューズ部門に出場する方々が相次いで事故に見舞われているとか……。心配ですわ、イザベル様はご無事でしょうか」
さも心配しています、というような声色で、ガーネットはそう口にした。
ナルシスは隠し事が下手だ。
イザベル陣営の悪事について少し揺さぶりをかければ、多少なりとも尻尾を出すだろう。
ガーネットはそう思っていたのだが――。
「イザベルには常に護衛をつけている。呪いだか何だか知らないが、イザベルに手を出す奴はこの手で処刑台に送ってやろう」
ナルシスは至極真面目な顔で、そう告げたのだ。
まるで、黒幕が誰なのかがわかっていないというかのように……。
――まさか……本当に知らないの?
ガーネットはじっと元婚約者の声色、表情、視線の動きなどに注目してみたが……とても嘘やごまかしをしているようには見えなかった。
……ということは、ナルシスはイザベルたちのやっていることについて知らないのだろう。
態度に出やすい彼を慮って、王妃あたりが口止めしたのかもしれない。
そう推測して、ガーネットは小さく息を吐いた。
だが、そうだとしたら彼はいったい何をしにガーネットの元へやって来たのだろう。
ふと疑問に思い、ガーネットは当たり障りない言葉で探りを入れてみた。
「ところで殿下、こちらのお部屋に何か御用でしたでしょうか。お邪魔のようならば、わたくしはこの場を辞することにいたしますが」
「いや……君の得意とする曲が聞こえて来たがあまりに下手だったので、いったい誰なのかと確認しに来ただけだ」
その言葉に、ガーネットは驚いてしまった。
ナルシスがそんな単純な理由でここに来たのもそうだが、何よりも驚いたのは――
――私の得意な曲を、ご存じだったのね……。
ガーネットがナルシスの婚約者だった時、彼は常にガーネットに対して冷たかった。
彼は自分に対して小指の爪の先ほども興味は抱いていないのだろう。
いつからかガーネットは、そう諦めていたのだ。
だが、形だけとはいえ数年間婚約者として過ごしたのだ。
ナルシスもガーネットが何度も弾いた曲くらいは、頭の片隅に残っていたのかもしれない。
「……そうでしたのですね。お騒がせして申し訳ございません。後は、殿下の邪魔にならないところで研鑽を積ませていただきますわ」
そう言うとガーネットは、静かに楽器の片づけに入った。
だがナルシスは、どこか不服そうな表情でこちらを眺めている。
「……まだなのか?」
「え? 今何か――」
「ふん、その虚勢がいつまで持つか見ものだな。お前がどれだけ足掻こうが、ミューズの名を冠するのにふさわしいのはイザベルだ」
「……お手柔らかにお願いいたしますわ。それでは、イザベル様にもお気を付けくださいとお伝え願います。当日は、正々堂々と奏楽の腕を競いましょうと」
ガーネットがそう告げると、ナルシスは返事もせずに踵を返し、部屋を出て行ってしまう。
「…………何だったのかしら」
本当に、何だったのだろう。
イザベルたちの企みを知らないとはいえ、彼なりに偵察に来たのだろうか。
「……はぁぁ、緊張しました」
「お疲れ様、サラ。ナルシス殿下と正面から事を構えるような事態にならなくてよかったわ」
もしナルシスがガーネットに危害を加えようとしたら、いつでも阻止できるようにサラが身構えているのには気づいていた。
そんな彼女を労わりながら、ガーネットは先ほどのナルシスの態度に思いを馳せる。
――……やっぱり、私に嫌味を言いたかったのかしら。
まったく傷つかないと言えば嘘になるが、今のガーネットはナルシスの嫌味など軽く受け流せる余裕を持っていた。
――……大丈夫、私にはラズリス殿下がついていてくださるもの。
大切な彼の婚約者として、無様な姿を晒すわけにはいかない。
決してイザベルの策に嵌るものかと気合を入れなおし、ガーネットは部屋を後にした。




