25 天然令嬢、妨害工作に立ち向かう
「ファリネ伯爵令嬢、お加減はいかがでしょうか」
「わざわざご足労いただき感謝いたします、フレジエ侯爵令嬢」
ガーネットは本日、とある貴族令嬢の見舞いに来ていた。
ファリネ伯爵令嬢――ガーネットと以前から親交がある、たおやかで心優しい淑女だ。
そんな彼女は今、手足に怪我を負いベッドの上での静養を余儀なくされている。
「遠乗りの最中に落馬なさったと伺いました」
「えぇ、この程度で済んだのは不幸中の幸いといったところでしょうか。しばらくの間安静にしていれば、よくなるとお医者様はおっしゃいましたわ。残念ながら……宮廷音楽祭には間に合いそうもないので、棄権という形を取らせていただくことになりますが――」
ファリネ伯爵令嬢はハープの優れた弾き手である。
宮廷音楽会にも出場が決まっており、優勝候補の一角だと期待されていたが……この状態だと、棄権せざるを得ないのだろう。
「誠に残念ですわ。ファリネ伯爵令嬢と競える日を心待ちにしておりましたのに」
「わたくしもです、フレジエ侯爵令嬢。わたくしのことなど気にせず、全力を尽くしてくださいね」
「えぇ、勿論です」
見舞いの品を渡し、ガーネットはファリネ伯爵邸を後にする。
がたごとと馬車に揺られながらも、ガーネットは先ほど聞いたばかりのファリネ伯爵令嬢との会話を反芻していた。
――『フレジエ侯爵令嬢も、お気を付けくださいね。わたくしが落馬した原因なのですが、急にこちらに何かが飛んできて、それに驚いた馬が暴れ出して……軽率な行動は控えるべきでしたわ』
飛んできた何かというのはおそらく鳥ではないかとのことだったが、後に現場を探しても何の形跡もなかったとのことだった。
――私も、怪我をしかねない行動は控えるべきね。
ラズリスへ渡すお菓子作りも、できるだけ安全な物を選んだ方がいいだろう。
――ラズリス殿下の為にも、私自身の為にも、イザベルに負けるようなことがあってはならないわ。万全の状態で挑まないと……。
そう決意し、ガーネットは小さく息を吐いた。
◇◇◇
だが、それからも異変は続いた。
フルートの名手と呼ばれる侯爵令嬢は、足を滑らせ階段から転落し、骨折。
天使の歌声を持つと評判の子爵令嬢は、原因不明の病で一時的に喉をやられ、しゃがれ声しか出せなくなってしまった。
宮廷音楽祭において、20歳までの未婚の貴族令嬢のみがエントリーできる部門――「ミューズ部門」
その出場者たちが、次々と不慮の事故や病で棄権を余儀なくされるという異常事態に陥っているのである。
「巷では呪いではないかとの噂もあるようですが……」
「馬鹿馬鹿しい、誰かが裏で糸を引いているに決まっている」
「……その、誰かとは?」
「言わなくてもわかるだろ」
一連の事件について話し合っていると、ラズリスは吐き捨てるようにそう告げた。
――やはり、殿下もそう思っていらっしゃるのね……。
ガーネットもこの一連の事件について、ある推測を立てていた。
だが自分の被害妄想ではないかと人には話せずにいたのだが……どうやらラズリスも、同じ推察にたどり着いたようだ。
一連の出来事が人為的なものだとしたら、狙われているのはミューズ部門の出場者ばかり。
ごくごく単純に考えれば、他の出場者がライバルを蹴落とそうとしているとみるのが普通だろう。
ミューズ部門に出場する候補者の中で、これだけ大々的に事件を起こしながら、尻尾を掴ませず、疑惑をも握りつぶせるほどの有力者。
そんなのは……。
――私か、イザベルしかいないわ。
勿論、ガーネットは犯人ではない。
ということは、下手人はイザベル陣営の誰かだとしか考えられない。
「調査機関もどうせ王妃に裏金を握らされてるに決まってる。イザベルが犯人です、なんて口にした次の日には、王宮庭園の池に沈められるだろうな」
国王はこの一連の事件を嘆き悲しみ、専門の調査機関が設立されたと王妃の口から発表があったばかりだ。
だが、もちろん真犯人を暴くのには期待できない。
真相は闇の中、もしくは適当な人物が生贄として投獄されるだけだろう。
「……ガーネット。君も棄権したいのなら、僕は止めない」
何か考え込んでいたラズリスが急にそんなことを言い出したので、ガーネットは驚いてしまった。
「殿下!?」
「次々と棄権者が出てるんだろ。少なくとも、勝負から降りればこれ以上危険な目には遭わずに済むはずだ」
次は自分の身に不幸が降りかかるのでは……と恐れ、ミューズ部門の出場者からは辞退者が続出している。
ガーネットとて、家族や使用人に何度も辞退したほうがいいと説得された。
だが、ガーネットは決してここで降りるつもりは無かった。
「いいえ、殿下。わたくしは決して棄権をするつもりはございません」
はっきりそう口にすると、ラズリスは驚いたように目を見張った。
「……君がターゲットになる可能性も十分あり得るんだぞ」
「えぇ、事実……最近よく、今まであまり親交がなかった方から遠乗りや夜会に誘われますの」
ファリネ伯爵令嬢から話を聞いていなかったら、ガーネットもイザベルの毒牙の餌食になっていたかもしれない。
どうやらイザベルは、ガーネットの想定以上に多くの手駒を有しているようだ。
「駄目じゃないか! なおさら棄権したほうが――」
「殿下、ここでわたくしが折れては、誰もイザベル……そして、ナルシス殿下やエリアーヌ妃の暴走を止めることなどできないでしょう」
相手が卑怯な手を使ってくることなど、とうに予測済みだ。
卑劣な手を使った相手を、正々堂々下すことくらいできなくては、とても彼らから玉座を奪い取ることなど夢のまた夢だろう。
これは、ラズリスを即位させる道のりの第一歩。
決して、折れるつもりなどない。
「ご安心ください。わたくしは決して、彼らの卑劣な手段などに屈したりはいたしません」
「っ……!」
ラズリスはなおも言い縋ろうとするように口を開いたが、ガーネットの決意が固いことを悟ったのだろう。
「……いいか、絶対に一人では行動するなよ。侍女と……できれば護衛もつけた方がいい」
「サラは古武術を嗜んでおりますの、侍女としても護衛としても優秀な人材ですわ」
「知らない相手とは会うな」
「音楽祭の練習に集中したいからと、現在はほとんどのお誘いをお断りしております」
「どこに毒が仕込まれているかわからない。あまり外の物を口にしない方がいい」
「えぇ、勿論存じております。我が侯爵邸と殿下の離宮以外での食事は控えておりますわ」
穏やかに笑うガーネットに、ラズリスは呆れたようにため息をつく。
「……君は強情だな」
「お褒め戴き光栄です。必ずや、ラズリス殿下に勝利を捧げてみせますわ」
ガーネットが堂々とそう告げると、ラズリスはどこか困ったように笑った。




