19 ガーネット、口を滑らせる
「……あいつと、何を話してたんだ」
ガーネットのすぐそばまでやって来たラズリスが、フィリップの立ち去った方向を睨みながら苦々しげに呟く。
その反応に、ガーネットはおや、と目を瞬かせた。
「大した話ではありませんわ」
「……嘘だ。あいつに……キスされてたじゃないか」
「…………え?」
「去り際に、頬に!」
何故か怒ったようにそう口にするラズリスに、ガーネットは呆気に取られてしまった。
なるほど。ラズリスから見ると角度的に、フィリップがガーネットの頬に口づけていたように見えていたようだ。
実際は、まったくそんなことはなかったのだが。
「それは殿下の見間違いです」
「……少し、じっくり話がしたい」
そう言って、ラズリスはガーネットの手を掴んだ。
その反応に、ガーネットは思わず驚いてしまう。
今までは彼からこのように接触してくることなど、ほとんどなかったのだ。
特に最近は、ガーネットを避けているようですらあったのに。
驚きながらも、ガーネットはそっと彼の手を握り返し、頷いた。
ガーネットとラズリスがやって来たのは、庭園の外れに建てられた小さな東屋だ。
あたりに人の気配はない。じっくり話すのにはうってつけの場所だろう。
「……もう一度聞くが、あいつにキスされたのか」
「いいえ、殿下の方からはそう見えてしまったかもしれませんが、ただフィリップ様は私に耳打ちされただけですわ」
「何を?」
そこで、ガーネットは不覚にも言葉に詰まってしまった。
――『最後に俺から一つアドバイスを。ラズリス殿下はもう立派な一人の男ですよ』
……何となく、本人にそのまま伝えるのは躊躇する言葉だ。
ガーネットの戸惑いをどう思ったのか、ラズリスは不機嫌そうに眉を寄せた。
「やっぱり、僕に言えないようなことが――」
「いいえ、そのようなことは一切ございません」
「……君は、あいつが好きなのか」
「どうしてそうなりました?」
駄目だ。ラズリスは何故かよくない方向に勘違いしているようだ。
ガーネットは慌てて、軌道修正しようと深く息を吸う。
……すべてを隠し通すことは難しいだろう。
ここはある程度、正直に打ち明けておくべきかもしれない。
「先ほど、フィリップ様にお会いして……わたくしに好意を抱いていると告げられました」
「っ……! それで、君は――」
「もちろん、一切応じるつもりはございません。わたくしは、ラズリス殿下の婚約者なのですから」
何の躊躇もなくはっきりとそう告げると、ラズリスは驚いたように目を見開く。
「婚約者がありながら、他の相手とお付き合いをするような不誠実な真似をするべきではありません。たとえそれが、一時の火遊びであったとしても」
脳裏にナルシスとイザベルの姿が蘇る。
ガーネットは、あのように尊厳を踏みにじられる屈辱を知っている。
だからこそ、同じ思いをラズリスにさせるわけにはいかないのだ。
ガーネットの言葉を聞いたラズリスは、一瞬安心したような表情を浮かべた後……拗ねたように頬杖をついた。
「……その割には、べたべた触らせてたじゃないか」
「そのような覚えはございませんが……」
「あいつは隙あらば君にべたべたしてただろ! 君は警戒心がなさすぎるんだ! あんな風に触らせて……」
どうやらラズリスは、フィリップの過剰なスキンシップに怒っているらしい。
それはわかったのだが……どうにもガーネットは、ラズリスの態度にかちんと来てしまった。
普段ならこの程度の苛立ちは難なく制御できる。
だが何故か、今この状況では……それがうまくいかなかった。
久しぶりにナルシスやイザベルのことを――彼らから受けた屈辱を思い出し、心が不安定になっていたのかもしれない。
「ある程度のスキンシップは挨拶や社交の範疇です。確かにフィリップ様には過剰な面もありましたが、著しく社会通念を逸脱していたとは思いません。それよりも……」
……駄目だ、これ以上口を滑らせてはいけない。
ガーネットの頭はそう警鐘を鳴らしていたのに、何故だか揺れる心は言うことを聞いてくれない。
今までに溜まっていた不安が、苛立ちが、許容量を超えてしまったのかもしれない。
「どうして、そんな風に怒るのですか? ラズリス殿下は、あんなにわたくしを避けていらっしゃったのに……」
気が付けばガーネットは、そんな面倒な女のようなことを口にしてしまっていたのだ。




