17 勝利の女神が微笑むのは
剣がぶつかり合うたびに、甲高い金属音が響き渡る。
始まった模擬試合は、今のところ互角と言った試合の運びを見せている。
ガーネットは文字通り手に汗握りながら、二人の試合を見つめていた。
「やるじゃないですか、ラズリス殿下!」
「……余裕だな。舌を噛んでも知らないぞ」
余裕の笑みを崩さないフィリップに対し、ラズリスは少し必死さが滲む表情を浮かべている。
やはり、年齢や経験の差は出てくるのだろう。
ガーネットの周囲で観戦する者たちも、フィリップの勝利を疑っていないようだ。
「ラズリス殿下も健闘されているが……やはり勝つのはフィリップだろうな」
「体格が違いすぎる。数年後だったらわからないだろうけど、今じゃ勝負にもならないだろう」
彼らの言葉通り、長身のフィリップと比べるとラズリスの体格はまだ少年の域を出ない。
まるで大人が軽く子どもをいなしているようにも見えなくはないだろう。
――……でも、ラズリス殿下がそれだけで終わるはずがないわ。
確かに純粋な実力を考えれば、フィリップの方に軍配が上がるのかもしれない。
だが、ガーネットはラズリスの勝利を信じていた。
ラズリスは、ガーネットが王になると見込んだ相手なのだ。
……このくらいの実力差は、ひっくり返してもらわなければ困る。
祈るように両手を組み、ガーネットはじっと婚約者の姿を見つめ続けた。
「あなたがここまで持ちこたえるとは予想外ですよ、ラズリス殿下」
相変わらず余裕の笑みを浮かべながら、フィリップは剣を振るう。
「でも……ここまでですね!」
急に動きに精彩を増したフィリップが、大きく踏み込み剣を振り下ろす。
ラズリスは何とか受け止めたが、衝撃が大きかったのだろう。
彼の小柄な体はふらついていた。
「ほらほら、まだまだ終わりませんよっ!」
次々と繰り出されるフィリップの攻撃に、ラズリスは防戦一方になっている。
やっとラズリスがフィリップの剣を弾き飛ばし、少し二人の距離が開く。
はぁはぁと息を荒げるラズリスに対し、フィリップは涼しい顔で笑っていた。
「降参はいつでも受け付けますよ。そんなに小さな体であなたは皆にこれ以上無様な姿を晒したくはないでしょう」
「……戯言を」
ラズリスがそう吐き捨てた途端、フィリップはにやりと口角を上げる。
そして素早く踏み込み、再びラズリスへと切り込んだ。
「くっ……」
「もらった!」
急な動きに対応できなかったのか、ラズリスの体が大きくバランスを崩してふらつく。
その隙を逃すまいと、フィリップは大きく力を込めて剣を振るうのだが……。
「なっ……!?」
バランスを崩して地面に転がったと思いきや、ラズリスは素早く体制を立て直しフィリップの懐へと入り込んだ。
そして、フィリップが呆気に取られて生じた隙を逃さずに、ラズリスは勢いよく振り上げるようにして剣を振るう。
鋭い金属音の後に、カラカラと剣が地面に落ちる音が響く。
フィリップが握っていたはずの剣は、ラズリスの攻撃によって弾き飛ばされていた。
「……降参はいつでも受け付けるぞ。色男」
フィリップの喉元に剣を突きつけたラズリスが、にやりと笑う。
唖然とした表情でラズリスを見ていたフィリップも、やがて悔しそうに笑った。
「……降参です。なるほど、こちらの攻撃に圧されていたのは演技ですか。俺の油断を誘うための」
「お前は勝利を確信すると動きが大雑把になる。幸い僕は体が小さいので、懐に入るのは容易かったな」
フィリップに「小さい」と言われたことの意趣返しのように、ラズリスはそう口にした。
完全なる、ラズリスの勝利だ。
彼が握る剣の柄の部分にガーネットの渡したリボンが結びつけてあるのが目に入り、ガーネットの胸はじんわりと熱くなる。
――ラズリス殿下……やはり、とんでもない御方だわ……。
これだけの実力差を、体格差を、フィリップが勝つに違いないというこの場の空気を、完全にひっくり返したのだ。
観客も興奮したように手を叩き、口々にラズリスを称賛している。
多くの者に声を掛けられながらもラズリスは真っすぐにガーネットの元へとやって来る。
「……勝ったぞ」
たった一言のぶっきらぼうな言葉だったが、ガーネットを喜ばせるには十分だった。
何故か泣きたいような気分になりながらも、ガーネットは笑顔で口を開く。
「さすがはラズリス殿下。殿下の雄姿、しっかりとこの目に焼き付けました。もちろんわたくしは、殿下の勝利を信じて疑いませんでしたわ」
「よく言うな……。でも、君がくれたハンカチとリボンのおかげかもしれない。…………ありがとう、ガーネット」
照れたようにそう口にするラズリスに、ガーネットはだらしなく緩みそうになる頬を引き締めるのに必死だった。
――なんて可愛いのかしら……。でもそんなこと言ったら怒られてしまうわ。我慢我慢……。
にこにこと微笑むガーネットに、ラズリスは気を良くしたのか珍しく饒舌に話しかけてくる。
「でも、ハンカチはともかく急な話だったのによくリボンを用意できたな。常に持ち歩いているのか?」
「いいえ、殿下。わたくしが殿下にお渡ししたリボンは……」
ガーネットはそっとラズリスの耳元に口を近づけ、真実を囁いた。
「わたくしの下着のリボンです」
「…………は?」
あの時ガーネットは、目につく範囲に渡せそうなリボンがなくて焦っていた。
そして思いついたのが……ドレスの下に纏う下着のリボンを渡すという案である。
幸いにもなくても困ることのない、コルセットの装飾用のリボンを簡単に取り外すことができた。
ガーネットとしてはいい案だったのだが……何故だかラズリスは、ガーネットの言葉を聞いた途端固まってしまった。
「……ラズリス殿下?」
そう呼びかけた途端、ラズリスの顔が一気に真っ赤になる。
「殿下、お顔が! まさか先ほどの試合でどこかお怪我をされたのでは――」
「ちっ、違う! 大丈夫だ!!」
慌てて手を伸ばして額に触れると、ラズリスは弾かれたようにガーネットから距離を取った。
そして彼は、ガーネットと、彼の手元のリボンを何度も見比べた後……「用事を思い出したから帰る!」と叫んでその場から走り去っていった。
その手にしっかりと、ガーネットの渡したリボンを握り締めたまま。
――……トイレに行くのを我慢でもしてたのかしら?
彼の行動に首をかしげていると、先ほどの試合を観戦した者たちが集まってきた。
「フレジエ侯爵令嬢、先ほどの試合の件ですが――」
「ラズリス殿下はとても素晴らしい御方ですね!」
これは好感触だわ……と、ガーネットは慌てて彼らの応対に追われるのだった。




