15 ガーネット、憤る
「突然お邪魔して申し訳ありません、ガーネット嬢」
「いいえ、よくぞいらっしゃいました、フィリップ様」
侯爵邸の応接間にて、ガーネットはやって来たフィリップに、にこやかに応対する。
応接間のソファに腰掛けたフィリップは、我が物顔でくつろいでいた。
さすがは名家の貴公子。他人のテリトリーでも少しも物怖じしていない。
「今日は、ラズリス殿下の所へは行かれないのですね」
「えぇ、殿下はフィリップ様との模擬試合をとても楽しみしていらっしゃいまして、日々鍛錬に打ち込まれております。わたくしが邪魔してはいけないと思い、こうして遠くから殿下を応援させていただいていますわ」
「さすがはガーネット嬢、健気なお心に頭が下がりますよ。まぁご心配なく。ラズリス殿下がお怪我などなさらないように、俺がきちんといなして差し上げますので」
フィリップは何でもないことのようにそう言って笑う。
その発言に……ガーネットはどうにも胸がむかむかしてしまった。
――その言い方だと、フィリップ様は自分が勝つと信じて疑わないのね。それを、ラズリス殿下の婚約者である私の前で言うなんて……。
少し、無神経ではないだろうか。
内心ではもやもやしつつも、表面上は穏やかな笑みを絶やさない。
そんなガーネットに、フィリップは気を良くしたのかべらべらと話し続ける。
「ラズリス殿下とお話する機会がありましたが、王族と言ってもやはり子どもですね。頑なに意地を張るところなんて、無邪気な幼い子どものようでお可愛らしい」
その不遜な言い方に、ガーネットはまたしてもイラっとしてしまった。
いったい彼は、どれだけラズリスの人生を、苦労を知っているというのだろう。
ラズリスの境遇で、無邪気な子どもでいられたような時間がどれだけ少なかったことか。
何も知らないくせに、勝手なことを言わないで欲しい。
……と言い出したいのを堪え、淑女の仮面を張り付けたままガーネットは穏やかに微笑み続ける。
感情を抑えるのには慣れている。
このくらいで取り乱していては、フレジエ家の淑女失格だ。
「ところでガーネット嬢は、俺とラズリス殿下のどちらを応援してくださるのですか?」
「どちらも……と言いたいところですが、わたくしはラズリス殿下の婚約者ですので。フィリップ様の前で申し上げるは心苦しいのですが、ラズリス殿下を応援させていただきますわ」
「婚約者だから……ですか。婚約というものはある意味、人を縛る鎖のようなものですね」
フィリップが意味深に笑う。
ガーネットはただ、穏やかに微笑み彼を見つめ返す。
決して、彼の言葉に肯定を返さずに。
「俺がいつか、あなたをその鎖から解放して差し上げたいものです、ガーネット嬢」
自らの言葉に陶酔したようなフィリップを、ガーネットはどこか冷めた視線で見つめていた。
彼の言葉、態度の節々から……彼がラズリスを軽んじているのが感じられるからだ。
「待っていてください、勝利の女神は必ず俺に微笑むと信じていますので」
丁重にガーネットの手の甲へと口づけて、フィリップは去っていった。
「あの、お嬢様……」
フィリップが去ってすぐに、一部始終を見守っていたサラが声を掛けてくる。
そんな彼女ににっこりと微笑み、ガーネットはうーん、と伸びをした。
「さて……それじゃあ刺繍を再開しなければね。模擬試合までもう残された時間は少ないんだもの」
「そのハンカチを渡すのは、いったいどちらに……」
「何を言ってるの、サラ。ラズリス殿下に渡すに決まってるじゃない」
だって、ガーネットはラズリスの婚約者なのだから。
そう告げると、サラはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「そうですよね! すぐにお茶とお菓子をお持ちいたします!」
「ありがとう、サラ」
自室へと戻りながら、ガーネットは荒ぶる心を静めるように深く息を吐いた。
フィリップは名家の子息で、端正な容姿を持ち、あらゆる才に優れている。
それ故に……少々、傲慢なきらいがあるようだ。
――別に、珍しいことではないわ。ナルシス殿下に比べれば随分とマシよ。でも……。
あんな風に、ラズリスを軽んじる態度はいただけない。
今まではラズリスが怪我をしない程度に奮闘すればよいと思っていた。
だが、今は違う。
――絶対に、ラズリス殿下に勝っていただかなければ……!
ちくちくと刺繍を進めながら、ガーネットは燃え盛っていた。
「これでガーネット嬢は俺に落ちたはず」などと考えるフィリップの魂胆とは、裏腹に。




