14 ガーネット、婚約者の健闘を祈る
まじないを籠めた手作りのリンゴジャムマフィンを持参して、ガーネットはラズリスの元を訪れた。
だがそこで告げられたのは、意外な言葉だったのである。
「フィリップ様と、模擬戦……ですか?」
「あぁ、奴の希望でそうなった」
なんとラズリスが、フィリップと剣術の模擬戦を行うことになったという。
――ただの訓練ではなく模擬戦ということは、本格的な試合になるのよね……?
どうやらガーネットの知らない間に、二人の間でそのような合意が図られたようだ。
ガーネットとしては、ラズリスとフィリップがそれほどまでに親しくなったことを喜ぶべきなのかもしれない。
そのはずなのに……何故か、ざわざわとした不安が胸をよぎる。
フィリップは様々な分野に秀でたオールマイティな貴公子。剣術の腕も優秀だと伝え聞く。
一方のラズリスは鍛錬を始めてめきめきと成長してはいるのだが……やはり経験は浅く、体格はまだ少年の域を出ない。
フィリップと比べれば顕著な実力差があるはずだ。
もし、勢い余ってラズリスが怪我などをしてしまったら……。
どうしても、そんな嫌な予感が拭いきれない。
「殿下、もしお怪我などをなさっては大変です。何も模擬戦でなくともよいではありませんか。わたくしがフィリップ様にそう申し出て――」
「余計なことをするな」
ぴしゃりとそう告げられ、ガーネットは口をつぐんだ。
ラズリスはどこか気まずそうに視線を逸らすと、ぽつりと呟く。
「……済まない、君を責めているわけじゃないんだ。だが、これは僕とフィリップの間でもう決まった話なんだ。今更撤回することはできないし、するつもりもない」
「ですが……」
「ガーネット、君は僕がみっともなくフィリップに負けると思っているのか?」
そう問いかけられ、ガーネットははっと息を飲む。
――……そうだわ。私は無意識に、ラズリス殿下が負けると思い込んでいた……。
二人の実力差を考えれば、それはおかしなことではない。
だが、ガーネットはラズリスの婚約者。未来の妻なのである。
夫の勝利を信じずして、何が妻だといえようか。
「言っておくが、僕はあいつに負けるつもりは無い」
真っすぐにガーネットを見つめ、ラズリスは迷うことなくそう告げる。
ラズリスは自らの勝利を確信しているのだ。
だったら、ガーネットも彼を信じよう。
「……ご武運を、ラズリス殿下」
本日の午後も鍛錬に費やすという彼にリンゴジャムマフィンを託し、ガーネットは一度侯爵邸に帰ることにした。
二人でのんびりとピクニックができなかったことは残念だが、勝負までのラズリスの貴重な時間を、ガーネットのわがままで潰すわけにはいかない。
――だったら、私は私にできることをしなければ。
これが政治の案件だったらガーネットも根回しに奔走するのだが、今回はフェアプレイの精神が求められる剣術勝負。
正直、ガーネットにできることは少ないのかもしれない。
――でも、ラズリス殿下に元気がでるような差し入れを持っていくことはできるわ。それに、勝利を願う紋様をハンカチに刺繍して……。
ツンと取り澄ました表情を張りつけながらも、頭の中でこれからのスケジュールを高速で組み立てつつ、ガーネットは早足で王宮を後にした。
◇◇◇
それからのラズリスは、通常の授業をキャンセルしてまで剣術の鍛錬に時間を費やしていた。
ガーネットはそんな彼を少しでも支えようと、足繁く彼の元へ通い、お手製の疲労回復ドリンクなどを届ける。
ラズリスは今までに見たことないほど真剣に、剣術の鍛錬に打ち込んでいる。
その真摯な態度に感心すると同時に、体を壊さないかとガーネットはハラハラしていた。
彼の鍛錬を傍で見守りたかったが、「一人で集中したい」と言われ、ガーネットは渋々邸宅にて刺繍に没頭していた。……のだが。
「お嬢様、お客様がお見えです」
遠慮がちなノックの後、侍女のサラが浮かない表情でやって来る。
本日は誰かと約束はしていない。
いったい誰だろうと問いかけると、サラはどこか言いにくそうに口を開いた。
「それが……お見えになっているのは、ブランシール公爵家のフィリップ様なのです」
「え……?」
いったい何故、フィリップがガーネットの元へとやって来たのだろう。
不思議に思ったが、相手は公爵家の令息。
応対しないわけにはいかない。
「……わかったわ」
刺しかけの刺繍を置いて、ガーネットはフィリップの元へと足を進めた。




