12 ラズリス、横恋慕男に釘を刺す
無心に剣を振りながらも、ラズリスは先ほどから舌打ちしたいのを必死に抑えていた。
「ラズリス殿下は筋がいいですね、俺が剣を習い始めた頃なんかは――」
剣術の自主鍛錬をしていたところ、突然ブランシール公爵家のフィリップがやってきた。
聞いてもないのにべらべらとまくしたてられ、鬱陶しいことこの上ない。
彼に苦手意識を持つラズリスとしては、さっさとお引き取り願いたいものである。
……どうせ彼も、ラズリスと仲良くお喋りをしたいなどとは、小指の爪の先ほども考えてはいないだろう。
「……フィリップ。僕に構うよりも、もっと時間の有効活用法を考えた方が良い」
ラズリスは冷たくそう吐き捨てたが、フィリップは堪えた様子もなくやれやれと肩をすくめる。
「いえ、麗しのガーネット嬢の元に伺おうとしたのですが、あなたへの差し入れの菓子を作るからと断られましてね」
その言葉に、ラズリスの胸に様々な感情が混ざった複雑な思いがよぎる。
始めた当初は散々だったガーネットのお菓子作りも、二年経った今ではやっとマシになってきた。
……正直に言えば、彼女の献身を嬉しく思う。
ただそれと同時に、自分はその献身を受けるに値する人間なのかという不安が胸をよぎるのだ。
ラズリスは現国王の息子である第二王子。
だがその立場は、薄氷のように脆い。
もしもガーネットがいなければ、自分は今も離宮の奥に引きこもり、息を潜める日々を送っていたことだろう。
王妃エリアーヌに怯えるばかりの日々から抜け出せたのは、今もこうして前に進めるのは、何もかもガーネットのおかげなのだ。
だが自分は……彼女にそこまで心を砕いてもらえるほどの、たいそうな人間なのだろうか。
ガーネットは第一王子ナルシスの王の資質に疑問を抱き、代わりに即位できるような優秀な人物を求めている。
だが果たして……自分はその期待に応えられるのだろうか。
そんなラズリスの胸中を見透かすかのように、一息つくラズリスの元にフィリップが近づいてきた。
「殿下とガーネット嬢については、我々の間でも噂になっておりますよ。様々な方向でね」
ガーネットは気づいていないようだが、やはり彼はラズリスに敵愾心……というか、ライバル意識を持っているようだ。
言いたいことがあるならはっきり言えばいいと、ラズリスは黙って視線だけで続きを促す。
「ラズリス殿下とガーネット嬢が婚約されたのは、ガーネット嬢の元婚約者であるナルシス殿下がそう命じたから。……違いますか?」
どこか批難めいた視線を向けてくるフィリップに、ラズリスは内心で舌打ちした。
「何も違わない。だから何だ」
「……殿下、こんなことを正直に申し上げるのは非常に心苦しいのですが、私は……ガーネット嬢をお慕い申し上げております。心より、彼女の幸福を願っているのです」
ある意味堂々とした、他人の婚約者に横恋慕宣言にも、ラズリスは動じなかった。
そんなことは、彼の態度を見ていれば一目瞭然なのである。
なのに……どうしてガーネットは気づかないのか!
フィリップがガーネットに興味を持っているのは明らかだ。
だが、肝心のガーネットは幸か不幸かまったくこの状況に気づいていないようなのである。
――『フィリップ様ですか? 確かに少々スキンシップは過剰な気がしますが、きっと留学先の習慣が抜けきらないのでしょう』
……などと、ラズリスから見れば警戒心が欠けているとしか思えない。
前から、彼女はしっかりしているようでどこか抜けていると思っていた。
だが、ここまであからさまな態度に気づかないとは……。
目の前の横恋慕男よりも婚約者の鈍感っぷりに危惧を抱きながら、ラズリスは冷たく告げる。
「そうか。……だから何だ? ガーネットに言いたいことがあるのなら直接言えよ」
挑発するように言い放つと、フィリップは怯んだように言葉に詰まる。
大方、既にガーネットには迫ったが、彼女の持ち前の鈍感っぷりで相手にされなかったのだろう。
そこで、ラズリスの方に先に揺さぶりをかけ、ガーネットとの婚約を解消するように仕向けたかったのだろうか。
……まったく、姑息な手を使う。
「いつもの狩りの手法は通じなかったようだな、色男」
冷笑を浮かべながらそう口にするラズリスに、フィリップは驚いたように目を丸くした。
フィリップがガーネットに接近を始めてすぐに、ラズリスは執事のベルナールに命じてフィリップの素性や留学先での評判を探っていた。
その結果、法に触れるような後ろ暗い事実はなかったのだが……留学先では、随分と恋多き男だったようである。
あいてが婚約者持ちの女性でも、時には人妻でも、彼にとってはスパイス程度にしかならないようだ。
ガーネットに近づくのも単なる思慕ではなく、きっと自分になびかない、第一王子の元婚約者でもある高嶺の花を落としたいといった狩猟本能から来るのだろう。
……本当に、不愉快だ。
「……フィリップ。君が心からガーネットを愛し、ガーネットもその想いに応えるというのなら、僕は口を挟むつもりは無い。二人でいいように話し合ってくれ。だが――」
そこで一度言葉を切り、ラズリスは真っすぐにフィリップを睨みつけ告げる。
「たんなる下種な興味なら、必要以上にガーネットに近づくのはやめろ。ガーネットを傷つけるのは、僕が許さない」
しっかりしているようで、どこか天然で鈍感で……それでも彼女が傷つきやすく脆い心を持っているということを、ラズリスはよく知っている。
だから、フィリップがガーネットを単なる興味で振り回そうとしているのなら……許すわけにはいかないのだ。




