8 ガーネット、もやもやする
今日は最近交流を始めた子爵夫人との会合の予定だったが、先方が急に体調を崩したとのことで急遽キャンセルになってしまった。
ぽっかりと予定が空いてしまったガーネットは、とりあえずはラズリスの様子を見に行くことにしたのである。
――今日は伺えないとお伝えしていたけど……殿下、驚くかしら。
傍目には毅然とした表情を浮かべ……内心はいたずらを仕掛ける子どものような気分で、ガーネットはウキウキと足を進めていく。
離宮にたどり着きラズリスの居場所を尋ねると、今はボールルームでレッスン中だとのことだった。
「予定を変更して伯爵夫人がいらっしゃったようでして――」
――予定を、変更……?
そんなことは初耳だ。
少し不思議に思いながらも、ガーネットはボールルームへ足を進める。
扉の前にたどり着くと、中からは楽しそうな話し声が聞こえた。
「その調子ですわ、殿下!」
「急に無理を言って済まなかった、伯爵夫人」
「いいえ、殿下のお気持ちもよくわかりますもの」
その親しげな雰囲気に、何故だか声を掛けるのをためらってしまう。
行儀が悪いとは知りつつも、ガーネットは音を立てないようにわずかに扉を開け、中の様子を盗み見る。
途端に、息を飲んだ。
部屋の中では、ラズリスとダンスの教師である伯爵夫人が踊っていた。
ラズリスはガーネットと踊る時よりも、よほど自然な笑顔を浮かべている。
二人は動きもスムーズで、ガーネットと踊る時のぎこちなさなどは微塵も感じられなかった。
その楽しそうな空気に、心の憶測に潜む不安がまた頭をもたげた。
――やはりラズリス殿下は、私を遠ざけようとして……?
急に胸が苦しくなって、ガーネットはそっと胸に手を当てる。
――風邪なのかしら……? だったら、ラズリス殿下に移しては大変ね。早くこの場から離れないと……。
とにかく、ここから離れなくては。
ガーネットは音を立てないように目の前の扉を閉め、その場を後にした。
「あら、フレジエ侯爵令嬢。殿下にお会いにならなかったのですか?」
「え、えぇ……少し体調が優れないので、本日はお暇させていただきますわ」
声を掛けてきた使用人にそう言いつくろい、足早に離宮を後にする。
エントランスを出て外の空気を吸うと、少しだけ気分が落ち着いた。
――伯爵夫人が時間が解決してくれるっておっしゃったけれど……本当かしら。
ラズリスはガーネットに対して距離を置き始めた。
誰に対してもそうなのかと思いきや、伯爵夫人相手だと自然に笑顔を浮かべるしスマートに踊ることもできる。
もしや、ラズリスは……。
――ひ、人妻を好まれるのかしら……? 私程度の色気ではびくともしないということなのかしら……。
そんなことを悶々と想像してしまい、ガーネットは小さくため息をついた。
――……駄目ね。こんなことを考えてしまうなんて、やはり熱があるのだわ。今日は予定もないしゆっくり休みましょう。
体調が悪いと色々なことを悪く考えてしまう。
とりあえずは、静養が必要だ。
◇◇◇
邸宅に戻ったガーネットはベッドに入りながらも、のんびりとレシピ本を読んでいた。
――次は何を作ろうかしら。ラズリス殿下の好みは……。
パラパラとページをめくっていると、侍女のサラの入室を求める声が聞こえた。
入室を許可すると、やって来たサラは何故か手に花束を抱えていた。
「あら、それはどうしたの?」
「今しがた、ラズリス殿下の使者の方がいらっしゃいました。殿下からお嬢様へ、お見舞いだそうですよ」
「えっ?」
慌てて受け取ると、花束だけではなく手紙もついていた。
おそるおそる手紙を開くと、中には綺麗な字でガーネットの体調を気遣う言葉が記されている。
――殿下、私のことを心配してくださったのね……。
それだけで、心がじんわりと暖かくなる。
「体を冷やすと風邪が悪化するので、この前のように露出の多い衣装は控えるべきだ」との言葉に、ついくすりと笑ってしまう。
「使者の方はまだいらっしゃるかしら」
「えぇ、応接間でお茶をお出ししております」
「すぐに返事を書くから、それまでお待ちいただくようにお願いして」
「承知いたしました」
ガーネットは慌ててベッドから出ると、ラズリスへの返事を書こうと羽ペンを手に取る。
いつの間にか、不調はすっかりと消えてしまったようだった。




