6 ガーネット、婚約者をダンスレッスンに誘う
ラズリスは教師陣を唸らせるほど優秀な頭脳を持ち、知識量も豊富だ。
武芸の面では、ガーネットと出会った当初は少し走っただけで息切れしてしまうほどの虚弱っぷりを発揮していた。
だが、ガーネットがしつこく食生活の改善と体力づくりに心を砕いたおかげか、今は同世代の者と遜色なく……いや、剣術や馬術の腕はめきめき上達を遂げている。
きっと次の大会では優秀な成績を残し、都中の者を騒がせるだろう。
でも、ここで一つ問題が。
「ラズリス殿下、午後はダンスレッスンのお時間ですわ」
「……今日は調子が悪い」
「先週もそう仰ってレッスンを休まれたではないですか。今日こそは、きちんと出席していただきますからね」
何故か、ラズリスはダンスレッスンに関しては異常に消極的なのだ。
ダンスは重要な社交術の一つ。避けては通れない道だというのに。
――別に筋が悪いわけではないのに、何故こんなに嫌がるのかしら……。
ラズリスがダンスを忌避する理由がわからず、ガーネットは首を傾げる。
少なくとも、ダンスレッスンを始めた当初はこうではなかった。
ガーネットと今よりも小さなラズリスは、時折足を踏んだりぶつかったりしながらも、二人でダンスを楽しんでいた。
ラズリスの身長が伸びるにつれかなり踊りやすくなり、高度な技術にも挑戦できるようになったというのに。
――ラズリス殿下がこうなったのは……ここ数週間のことね。特に何かあった覚えはないのだけれど……。
やっと本腰を入れるという段階になって、何故こうなってしまったのだろうか。
考えてもわからないものはわからない。だが、このままにしておくわけにはいかないのだ。
「とにかく、何が何でも今日はレッスンに出てもらわねばなりません。せっかく教師の方を手配しているのです。無駄足を運ばせるのは、上に立つ者として褒められた態度ではありません」
辛抱強くそう説得すると、ラズリスは読んでいた本を閉じ、大きくため息をついた。
「はぁ……君もしつこいな」
「ラズリス殿下の為を思って申し上げているのです」
傍から見れば涼しい表情のまま、その内心は少し焦りつつ、ガーネットは根強く説得を続ける。
もうこうなったら、ラズリスがダンスレッスンに向かうまでここを動かない覚悟だ。
根が生えたようにその場から動かずに、懇々と説得を続けるガーネットに、先に折れたのはラズリスだった。
「わかったわかった! 行けばいいんだろ、行けば! 君は本当にしつこいな!」
「さすがはラズリス殿下。ちゃんとレッスンに出席してえら~い」
「その言い方はやめろ」
ぴしゃりとそう言われ、ガーネットは静かに一礼した。
「では、わたくしも着替えて参ります。後ほどボールルームでお会いいたしましょう」
それだけ告げると、ガーネットはくるりと背を向け歩き出した。
ダンスレッスンの際には、実際に舞踏会に出席するときと同じように、夜会用のドレスに着替えることにしている。
ラズリスがやる気になった以上、早く支度を始めなければ。
毅然と背筋を伸ばし、颯爽と廊下を歩きながらも……ガーネットの内心には暗雲が立ち込めていた。
――ラズリス殿下、やはり……以前より冷たくなられた気がするわ……。
ラズリスの異母兄であるナルシスからの下げ渡し――のような形で、ガーネットとラズリスは初めて出会った。
正直、初対面の印象はお互いに良いものではなかっただろう。
だが、共に時間を過ごすうちに、二人は少しずつ互いのことを知っていった。
最初はガーネットとの婚約に消極的だったラズリスも、ガーネット共に歩む覚悟を決めてくれた。
そうして、今までは上手く行っていたのに……。
――『相変わらず鉄仮面のようなつまらん女だな。そうやってお高くとまって……作り笑いが実に気に障る。誰にも相手にされないのも納得だ』
かつてナルシスから投げつけられた言葉が蘇り、ガーネットの背筋に冷たいものが走る。
ガーネットと婚約してから、ラズリスの世界は少しずつ広がっている。
だから、彼は気づき始めているのかもしれない。
ガーネットが、異母兄にみっともなく捨てられるほど「つまらない女」なのだと。
――いいえ、ラズリス殿下はそんな方じゃない……。
そう自分に言い聞かせても、不安は拭えない。
小さく深呼吸をして、ガーネットはきりっと表情を引き締めた。
――それでも、止まるわけにはいかないわ。何とかラズリス殿下のお心を繋ぎ止められるように、努力しなければ……。
レッスンが終わり侯爵邸に戻ったら、久しぶりにサラと作戦会議をしよう。
そう決め、ガーネットは再び顔を上げ歩き出した。




