4 ガーネット、不穏な空気に気づかない
「……ガーネット、こんなところで何をやっているんだ」
ラズリスの視線が自分の方を向き、ガーネットは慌ててフィリップの手を借りて姿勢を正した。
しかしまさか、「あなたに『だーれだ♡』を仕掛ける算段を立てていたら、フィリップ様に先を越されてしまいました」などと正直なことは口にできない。
ラズリスに「はぁ? 君は馬鹿なのか?」と呆れられてしまうだろう。
そう考えたガーネットは、当たり障りのない返答で誤魔化すことにした。
「私がふらついたところを、フィリップ様が支えてくださったのです。フィリップ様がいなければ、危うく地面を枕に眠っていたことでしょう」
「えっ? あ、はい。その通りです!」
空気を読んだのか、フィリップも話を合わせてくれる。
ラズリスはその返答に不満そうな顔をしていたが、すぐ傍らにやって来るとフィリップに支えられていたガーネットの手を取った。
「……そうか。ブランシール公子、僕の婚約者を救ってくれたようで感謝する」
「フィリップとお呼びください、ラズリス殿下。ご健勝のようでなによりです」
言葉だけを聞けばなんてことないやりとりだが、そこはかとなく二人の間にはピリピリとした空気が漂っているようにも感じられる。
その理由が思い当たらず、ガーネットは内心首を傾げた。
――ラズリス殿下は少し人見知りの気質があるし、フィリップ様はおそらくこの国に戻ってこられたばかりだし……何となく気まずいのかしら。でもフィリップ様は有力公爵家のご令息。親交を結んでおいて損はないはずだわ。だったら……。
「ラズリス様。わたくし、ラズリス様とティータイムを……と思って参りましたの。せっかくですから、フィリップ様も招待してもよろしいでしょうか」
にこやかにそう提案すると、ラズリスは一瞬眉をひそめたような気がしたが、すぐにぼそりと呟いた。
「そうだな……。ガーネットを救ってくれた礼を返さなければ」
「ふふ、ありがとうございます。ということでフィリップ様、もしよろしければ、ご一緒いたしませんか?」
そう誘いかけると、フィリップはにやりと笑って恭しく礼をとった。
「えぇ、喜んでご相伴に与ります」
◇◇◇
ラズリスの離宮の傍の庭園で、三人はのんびりお茶会を始めた。
お茶の準備をしながら、ガーネットはフィリップの話に耳を傾ける。
「では、フィリップ様はこちらへ戻ってこられたばかりなのですね」
「えぇ、向こうでの生活も刺激的でしたが、やはり故郷というものは特別ですね。……ガーネット嬢、あなたのように美しい女性も歓迎してくださるとは感激だ」
そう言って爽やかな笑みを浮かべたフィリップが、恭しくガーネットの手を取る。
そのまま唇を落とそうとしたところで……、ガーネットの手首を掴んだラズリスが素早く手を引っ張ったので、フィリップは勢い余ってテーブルクロスと口づけを交わしていた。
「まぁ! お怪我はございませんか、フィリップ様!?」
「……少々、馴れ馴れしさが過ぎるんじゃないか」
咎めるようなラズリスの言葉にも、フィリップは動じない。
即座に復活した彼は、テーブルにぶつけたのか額を少し赤くしながら何でもないかのように手を振った。
「失礼、留学先の国ではこれが普通だったもので。しかし戻って来たからには習慣をあらためなければなりませんね。ご忠告感謝いたします、ラズリス殿下」
などと言いつつも、彼にあまり反省した様子は見られなかった。
ガーネットはフィリップに怪我がなかったことにほっとしつつ、お茶の準備を続ける。
「こちらの茶葉は、先日お茶会でご一緒させていただいた侯爵夫人に頂きましたの。今巷で流行している小説の中に登場する物をイメージした一品だそうで――」
例の「だーれだ♡」の小説をいたく気に入った侯爵夫人が作らせ、既に夫人と縁ある商会での商品化も決定しているとの話だ。
「ローズヒップやベリー系の果実などをブレンドし、とても綺麗な赤色に染まりますの。……ほら、このように」
そっと注いでいくと、ティーカップの中の紅茶は鮮やかな赤色を描いている。
「確かに……ここまで赤いのは中々見たことがないな」
ラズリスが感心したように目を丸くしたので、途端にガーネットは嬉しくなってしまう。
博識なラズリスはよほどのことがない限り、このように驚くことがないのだ。
彼の貴重な表情を目にして、ガーネットは慌てて緩みそうになる表情を引き締めた。
「フレーバーの名前は、『薔薇色の想い出』というそうです。素敵ですね……」
件の恋愛小説は、幼少期を共に過ごした幼馴染が時流によって引き裂かれるが、やがては苦難を乗り越えて結ばれるというストーリーだ。
物語のクライマックスで、恋を諦めようとしたヒロインが幼馴染を想い、故郷の果実や花をブレンドした紅茶を飲むシーンが登場する。
その切ないシーンを思い出し感傷に浸っていると、フィリップがじっとこちらを見ていることにガーネットは気が付いた。
「フィリップ様、お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、とても口当たりがよく飲みやすい。きっと人気商品になるでしょうね。ただ……」
「ただ?」
続きを促すと、フィリップはガーネットを見つめたまま、相手をとろけさせるような笑みを浮かべた。
「『薔薇色の想い出』も素敵ですが、もし発案者が私ならこう名付けたでしょうね……。『ガーネット』と」
…………それはいったい、どういう意味なのだろう。
彼の意図がよくわからず、ガーネットはただ静かに微笑みを浮かべるに留めておいた。
――私は、『薔薇色の想い出』の方がずっと素敵な名前だと思うのだけれど……。フィリップ様のセンスはよくわからないわ。
フィリップのセンスを不思議に思い、内心首をかしげるガーネットは気づかなかった。
二人のやりとりを見つめるラズリスが、苛立ったように指先でテーブルをトントンと叩いているのを。




