1 ラズリス殿下、成長する
「では測りますよ……」
緊張気味の侍女サラの声に、ガーネットはごくりと唾をのんでぴったりと壁に背をつけ背筋を伸ばす婚約者を見つめた。
そんなラズリスの背丈を、ガーネットの侍女サラと離宮の執事ベルナールが慎重に計測していく。
やがて二人は、はっと息を飲んだ。
「ベルナールさん、まさかこれは……!」
「おぉ、まさかこんな日が来ようとは……」
目を輝かせたサラとベルナールは、声を揃えて告げた。
「「おめでとうございます! ラズリス殿下の身長がガーネット様を超えております!!」」
◇◇◇
ガーネットとラズリスが婚約してから、瞬く間に二年の月日が過ぎた。
ラズリスがガーネットの婚約者として宮廷舞踏会に姿を現してから、二人の周囲は一気に忙しなくなったものだ。
まずガーネットは、少数の信頼できる使用人を残し、ラズリスの居住する離宮の人事を一新した。
元々離宮の人事権を握っていたのは王妃エリアーヌである。
当然反発はあったが、そこはガーネットの父――フレジエ侯爵に手を回してもらい、何とか離宮からエリアーヌのスパイを一掃することに成功した。
そっとティーカップをソーサーに戻し、ガーネットはちらりと向かいの席に腰掛けた婚約者の様子を伺う。
この二年で、ラズリスは随分成長した。
離宮での人事権を握り、厨房にはフレジエ家のお抱えのシェフを配置した。
完全に安心……とはいえないが、これで毒を盛られる可能性はほぼなくなったのだ。
ガーネットはできる限りラズリスと食事を共にするように心がけ、辛抱強く彼の食生活を改善しようと心を砕いたものだ。
その結果、少しずつラズリスの食事量は増え、急激な成長期を迎えたのである。
気が付けばぐんぐんと身長も伸び、そして今日……初めて、ラズリスの身長がガーネットを超えた。
いつかはこんな日が来るはずだと望んでいたはずだが。いざ迎えてみると何となく複雑な気分に襲われてしまうものである。
「…………ふぅ」
「どうした、僕に身長を抜かされて悔しいのか? もう『小さい』だなんて言えないもんな」
向かい合うラズリスはガーネットの身長を超えたことがよほど嬉しいのか、まるで意地悪な子どものようににやにやと笑っている。
その様子にまだ幼さを感じて、ガーネットはくすりと笑ってしまう。
「あらあら殿下、私の身長を越えた程度で慢心してもらっては困ります。まだまだ殿下は男性の標準身長からすれば『小さい』部類なのですからね」
「ぐっ……小さいって言うな。君の身長だって超えたんだ。すぐにもっと大きくなってやるさ」
「えぇ、楽しみにしておりますわ。さぁ殿下、ティータイムが終わったら剣の稽古の時間です。しっかりとスタミナをつけてくださいませ」
ガーネットが変革したのは、何も食生活だけじゃない。
ラズリスを立派な王へ育てようと、一流の教師をつけ王族として必要な教育を施しているのである。
元々多くの時間を室内に引きこもって読書に費やしていたラズリスである。
最初は体力づくりにも随分と苦労したようだが、彼も育ち盛りの男子だ。
すぐにガーネットも驚くほどの体力をつけ、今では剣術や武芸にも励んでいる。
教師に言わせると、習い始めてから一年二年だとは思えないほど筋がいいのだとか。
その賛辞を、ガーネットはまるで自分のことのように誇らしく思ったものだ。
――やはりラズリス殿下は、無限の可能性を秘めた御方……。しっかりと、私が支え導いて差し上げなくては。
ガーネットが懸命にラズリスを篭絡しようと策を弄した結果、ラズリスはガーネットに少しは心を許してくれたようだ。
……おそらく、母や姉に対する思慕のような形で。
――少し思った方向とは違うけど……これはこれでいいのかしら。
ガーネットは今でも地道に篭絡作戦を続けているが、どうも思ったのとは違う方向に向かっているような気がするのだ。
だが、ガーネットとラズリスは固い信頼で結ばれている。
だったら……それでいいじゃないか。
「ところでラズリス殿下、次の剣術の稽古の時間なのですが……私も、見学させていただいてもよろしいでしょうか」
そう尋ねると、ラズリスはぱっと顔を上げる。
そして、どこか照れたように口を開いた。
「ま、まぁ……君が見たいというのなら仕方ないな。見学しても構わない」
「ふふ、ラズリス殿下の雄姿をたっぷりとこの目に焼き付けますわ」
――『ガーネット様がいらっしゃると、ラズリス殿下もより稽古に身が入るようでして……差し出がましいようですが、お時間がある時には是非、いらしてくださると助かります』
……教師からそう申し出があったことは黙っておこう。
幼い頃に母を亡くし、今まで放置されていたような状態だったラズリスは、おそらく「他人から褒められる」という経験が不足しているのだ。
ガーネットも幼い頃は、辛い妃教育の成果を誰かに褒めてもらえれば嬉しかった。
もっと頑張ろうと奮起したものだ。
だから、これからもどんどんラズリスを褒めていこうではないか。
「ちゃんと授業に出てえら~い」
「……その言い方は、そこはかとなく馬鹿にされているように感じるな」
「あら、そんなことはございませんわ。私は、ラズリス殿下の勤勉な態度に感服しているだけですので」
「そ、そうなのか……。なら、いい」
気分屋で授業をサボってばかりだったナルシスと比べれば、ラズリスは驚くほどの優等生だ。
――……どうか、ラズリス殿下の進む道が明るい方向でありますように。
そう祈りながら、ガーネットは婚約者を褒めようとぱちぱちと手を叩いた。




