番外編 ラズリス殿下、13歳の誕生日(5)
「まったく……」
現在、時刻は午前0時……の10分前。
ラズリスは苦笑しながら、ソファにもたれてすやすやと眠る婚約者を見つめていた。
「情熱的な夜を過ごしましょう」などと、とんでもないことを言い出したガーネットだったが、その真意は「二人で楽しく対戦ゲームをしましょう」というものだった。
ガーネットとラズリスはチェスやトランプの勝負に燃え、熱いバトルを繰り広げたものだ。
熱中する二人の元に、離宮の使用人が幾度も飲み物や軽食を差し入れてくれた。
……どうやらその中に、果実酒が混ざっていたようだ。
ガーネットは酒に弱い。酒に酔うとやたらとウザ絡みをしてくることは、ラズリスも身をもってよく知っている。
今夜は元々テンションが高かったガーネットであるが、酒を口にした途端急ににこにこと笑い機嫌がよくなったかと思うと、「12歳の殿下を存分に抱きしめさせてください!」と執拗に絡み始めたのだ。
ラズリスも最初は抵抗したが、結局は婚約者の熱意に押し負けてしまった。
ガーネットは意気揚々とラズリスを抱きしめたり、頬ずりしたりとやり放題した後……疲れたのか満足したのか眠ってしまった。
なんとかガーネットを起こさないように彼女の腕から抜け出し、こうして一息ついた時にはもうこんな時間だった……というわけである。
「『今夜は寝かせませんわ』なんて言ってたくせに、自分が寝てどうするんだ」
苦笑交じりの言葉だったが、その声色が随分と優しいことにラズリスは気づいていない。
あと少しで、ラズリスは13歳になる。
思えば、母が亡くなってから、こんな風に盛大に誰かに誕生日を祝われるのは初めてかもしれない。
しかしこんなところで寝ていては風邪を引いてしまう。
ガーネットが泊まるということで既に部屋は用意させてある。
ラズリスは仕方なく婚約者を抱き上げ運ぼうとしたが……持ち上がらなかった。
……これは、かなり男としての矜持が傷つけられる。
ラズリスは躍起になってガーネットの体を持ち上げようとしたが、やはり持ち上がらなかった。
ガーネットは特段太っているわけではない。……というより、かなり痩せている方だろう。
それなのに持ち上がらないのは、やはりラズリスの力不足のようだ。
「くそっ……やはり筋肉不足なのか……!?」
普段は「もっと筋肉をつけるべきですわ」というガーネットの小言を聞き流していたが、明日からはもう少し真面目に筋トレをするべきなのかもしれない。
少々プライドを傷つけられたラズリスは、小さくため息をついた。
いつの間にか、時刻は午前0時の3分前にまで迫っていた。
……もうすぐ、日付が変わる時間だ。
あれだけ「ラズリス殿下が13歳になる瞬間を共にお祝いしたいのです」と張り切っていたガーネットだ。
一応日付が変わる前に、起こしておいた方がいいのかもしれない。
そう思いガーネットを揺り起こそうと手を伸ばすが、彼女の体に触れる直前にラズリスは手を止めてしまった。
ここでガーネットを起こせば、彼女は日付が変わる瞬間に喜んでラズリスの誕生日を祝ってくれるだろう。
だが、それで満足してしまうかもしれない。
もしも彼女が日付が変わる瞬間に眠ったままなら、当初の目的である「日付が変わる瞬間にラズリスの誕生日を祝う」という目論見は失敗する。
そうすれば……もしかしたら来年も、彼女はこうしてラズリスの元へやって来てくれるかもしれない。
「……何考えてるんだ、僕は」
馬鹿馬鹿しい、子供っぽい稚拙な考えだ。
もし他人がそんなことを口にしようものなら、ラズリスは鼻で笑うことだろう。
そう頭ではわかっているのに、ラズリスはどうしてもガーネットを起こすことができなかった。
彼女が離れて行ってしまうのが恐ろしい。
やっと手にしたぬくもりを、手放したくない。
自分の元に引き止めておけるのなら、どんな手でも使ってやろうかと思うほどに――。
その時、午前0時を告げる柱時計の音が鳴り、ラズリスははっと我に返る。
逡巡しているうちに、日付が変わったのだ。
「ぅん……?」
時計の音で意識が覚醒しかけたのだろうか。
むにゃむにゃと何事か口にしながら、ガーネットがもぞもぞと動き出す。
観念して、ラズリスはそっと彼女の肩を揺り起こした。
「ガーネット、起きろ。もう日付が変わったぞ」
「ラズリス殿下……? あれ、どうしてわたくしの部屋に――」
「いや、ここは君の部屋じゃない」
「んん……?」
緩慢な動きで体を起こしたガーネットは、やっと今の状況に気づいたようだ。
慌てたように周囲を見回し、時計を見て絶望的な声を上げた。
「0時を過ぎてる……!? そんな、わたくし……寝てましたの!?」
「あぁ、酒に酔ってぐうぐう寝てたな」
少し意地悪くそう言ってやると、ガーネットは恥ずかしかったのか手で顔を覆った。
「そんな……日付が変わった瞬間に殿下をお祝いする完璧な計画が……」
「残念だったな」
「もう、どうして起こしてくださらなかったのですか?」
「責任転嫁するなよ。気持ちよさそうに寝てたから、起こすのが忍びなかっただけだ」
そう言うと、ガーネットは少しむくれたような表情を見せた。
普段は取り澄ました彼女にしては、珍しい表情だ。
起きたばかりで、いろいろとガードが緩くなっているのかもしれない。
「こうなったら、来年こそはリベンジさせていただきますわ」
恥ずかしそうな表情でラズリスを見ながら、ガーネットは確かにそう告げた。
その言葉に湧き上がる歓喜を表に出さないように、ラズリスは努めて平静を装った。
「ほら、そろそろ寝室に行った方がいい。酔っぱらいの相手はご免被るからな」
「もう、意地悪ですね……あ、殿下」
渋々と言った様子でソファから立ち上がったガーネットが、ラズリスの目の前までやって来る。
そして、はにかんだ表情で告げる。
「ラズリス殿下、13歳の誕生日おめでとうございます」
その言葉を聞いた途端、ラズリスの胸に熱いものがこみ上げる。
「わたくしも殿下の婚約者として、よりいっそうの精進を――」
「わかったわかった。決意表明は明日聞くからもう寝ろ」
赤くなった顔を悟られないように、ラズリスは俯き気味にガーネットの背中を押すのだった。




