21 宮廷舞踏会当日
約束の宮廷舞踏会の当日……ラズリスは、来なかった。
だが、それでもガーネットは最後まで諦めなかった。
今からでも他のパートナーの手配を……と慌てる周囲を制し、たった一人で会場へと足を踏み入れる。
煌びやかな大広間へ一歩足を踏み入れた途端、あちこちから好奇の視線が突き刺さった。
高位貴族の娘――それも、少し前まで第一王子ナルシスの婚約者であったガーネットだ。
通常なら、パートナーもなしで舞踏会にやって来るなどありえない。
静かに壁の花となっていても、嫌でも周囲の視線を感じてしまう。
――きっと私、とても惨めに見えるでしょうね……。
侍女たちはいつもと同じように……いや、いつも以上に気合を入れてドレスアップを施してくれた。
明るいセレストブルーを基調としたシフォンドレスは、うまく伝統を重んじながらも流行を取り入れた、見事なデザインとなっている。
視線を下げれば、目に入るのはラズリスに合わせようと選んだ、ラピスラズリのネックレスやブレスレットだ。
まさに、フレジエ侯爵家の令嬢として――それに、第二王子の婚約者としてふさわしい華やかな装いとなっている。
だが、自身を飾り立てれば立てるほど……彼に見放された今の状況が惨めでならなかった。
――ラズリス殿下は、来ない。私との未来を選ばなかった……。
そう考え心が沈んだ時、ふと周囲のざわめきが一層大きくなる。
一体何かしら……と顔を上げて、ガーネットは思わず息を飲んだ。
誰かが、こちらへ向かって歩いてくる。
その相手を認識した瞬間、ガーネットの喉がひゅっと音を立てた。
真っすぐにこちらを見据えて、悠々と歩いてくるのは、ガーネットの元婚約者――第一王子ナルシスだったのだ。
逃げることもできずに、ガーネットは慌てて表情を引き締めナルシスを見据える。
ガーネットの目の前までやって来ると、彼はまるで長年の友人にでも会ったかのように声を掛けてきた。
「久しいな、ガーネット。元気そうで何よりだ」
周囲に聞こえるように大きな声で、彼はそう告げた。
だがその表情は、嘲るような笑みを浮かべている。
「ナルシス殿下もご機嫌麗しゅう存じます」
動揺を押し隠し儀礼的にそう返すと、すぐに彼は周囲に聞こえないような小声で囁く。
「無様だな、ガーネット。栄えある侯爵家の令嬢が、誰にも相手にされずに壁の花か」
一瞬、体が震えてしまったが、ガーネットは努めて無反応を貫いた。
下手に反応しても、ナルシスを喜ばせるだけだとわかっていたからだ。
ナルシスは軽く舌打ちをすると、更に畳みかける。
「相変わらず鉄仮面のようなつまらん女だな。そうやってお高くとまって……作り笑いが実に気に障る。誰にも相手にされないのも納得だ」
反応する必要はない。
傷つく必要もない。
そうわかっていても……取り澄ました表情とは裏腹に、ガーネットの心はズキズキと痛みを訴え始めた。
ナルシスはガーネットの方へ顔を近づけ、意地悪く囁く。
「態度をあらため、今までのことを謝罪するのなら……お前の処遇を考え直してやらなくもないぞ? そうだな、イザベルの侍女にでもしてやろうか。嬉しいだろう?」
いったい、何が言いたいのだろう。
少なくとも、ガーネットにとってナルシスに謝罪せねばならないことなど一つもない。
彼に許しを請い、手に入るのはイザベルの侍女の座とは。
……ふざけるにもほどがある。
ガーネットは最大限の皮肉を込めて、淑女らしい穏やかな微笑みを浮かべて見せた
「殿下の寛大なご配慮に感謝いたします。ですが……」
真っすぐにナルシスを見据え、彼を見習い声をひそめて告げる。
「私は決して、あなた様の施しを受けるつもりはございません」
ガーネットの視線と言葉に、ナルシスは一瞬たじろいだ。
だがすぐにイラついたように舌打ちし、ガーネットを睨みつける。
「どこまでも可愛げのない女だな! イザベルの爪の垢でも煎じて飲むといい」
そう捨て台詞を残し、ナルシスは去っていった。
彼の向かう先には、美しく着飾ったイザベルが待っている。
彼女はたった一人壁際に佇むガーネットを見ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
――私は、間違ってない。間違って、ないはずよ……。
ずっと、王太子妃候補として厳しい教育を受けてきた。
人前で弱みを見せてはいけない。大きな口をあけて笑ってはいけない。
結婚前の淑女が、みだりに殿方――特に他人の婚約者に近づきすぎてはならない。
感情を押し殺して、淑女らしい微笑だけを浮かべて……。
ガーネットが今まで守り続けていた教えは、間違ってはいないはずだ。
そのはずなのに、ひどく不安になる。
多くの者たちに囲まれて、嬉しそうに笑うイザベル。
たった一人で、壁際に佇んでいるだけのガーネット。
……いったい間違っているのは、どちらの方なのだろう。
ガーネットの知らない「本当の愛」を、イザベルは手に入れた。
それが正しい形なのだとしたら……今までの自分は、いったい何だったのだろう。
妃候補としてどれだけ努力しても、何の意味もなかったのかもしれない。
――馬鹿、みたい……。
急に何もかもがむなしく思えて、ガーネットは寄る辺なくきゅっと唇を噛みしめた。
そんな時、ふとこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
慌てて視線を遣ると、そこには見知らぬ青年が立っていたのだ。




