2 ガーネットの狙い
「ガーネット、ガーネットはいるか!?」
フレジエ侯爵邸のエントランスから大声が聞こえ、自室で優雅に夜のティータイムに興じていたガーネットは、そっとカップをソーサーに戻す。
どたどたと大きな足音が聞こえたかと思うと、大きな音を立てて部屋の扉が勢いよく開け放される。
はずみで、カップの中の紅茶がちゃぷんと揺れた。
「騒々しいですわ、お兄様。ノックもなしにレディの部屋に押し入るのはどうかと。それに、夜なのですからもう少し静かにしてくださいませ」
「それは済まなかった……じゃなくて! 何でそんなに冷静なんだガーネット!!」
やって来たのは、ガーネットの兄であるセルジュ・フレジエだった。
悠然とソファに腰掛けたガーネットを目にして、彼は目を白黒させた後……ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった。婚約破棄は誤報だったのか」
「いいえ、事実です」
「なにぃ!!?」
フレジエ家の者で今夜の夜会に出席したのはガーネットだけだったが、既に婚約破棄の情報は方々へ伝わっていたようだ。
冷静に肯定したガーネットに、セルジュは驚いたように目を見開くと、勢いよくガーネットの隣に腰を下ろす。
そして、ぎゅうぅ……とガーネットを抱きしめると、よしよしと頭を撫でてきた。
「あぁ、なんて可哀そうなネティ! 今夜は存分にお兄ちゃんに甘えるといい!」
「気持ち悪いです、お兄様。離してくださいませ」
「辛辣!」
大げさにショックを受けたふりをしたセルジュだったが、すぐにすっと目を細め、先ほどよりも真剣な声のトーンで問いかけてくる。
「……それで、王家は本気でナルシス殿下とお前の婚約を破棄するつもりなのか」
「えぇ、発端はイザベルにそそのかされたナルシス殿下のわがままでしょうが、王妃が承認したのは間違いないかと。ナルシス殿下との婚約を破棄する代わりに、第二王子のラズリス殿下との婚約をせよとの命も下りましたわ」
「ラズリス殿下……はぁ!? あの幽霊王子と!?」
兄の反応に、ガーネットは苦笑した。
やはり彼にとっても、ガーネットと第二王子の婚約など寝耳に水なのだろう。
「おそらく、わたくしが別の王位継承権を持つ者と結びつき、ナルシス殿下の地位が脅かされるのを恐れたのでしょう」
フレジエ侯爵家は国内でも有数の名家である。
当代侯爵の娘であるガーネットが有力な王位継承権者と結びつけば、国内貴族の情勢ががらりと変わる可能性もある。
わがままで人望のないナルシスなど、あっけなく蹴落とされてしまうかもしれない。
ナルシスの母である王妃――エリアーヌ妃は、その可能性を排除したかったのだろう。
「だが、王位継承順位で行けばラズリス殿下はナルシス殿下に次ぐだろう? それこそナルシス殿下を脅かすことになるんじゃないか?」
「その可能性をエリアーヌ妃が考えないはずがありません。それでもわたくしをラズリス殿下の婚約者に据えたということは……ラズリス殿下のことを、脅威とも思っていないのでしょう」
病弱で公の場に姿を現さず、その存在すら危ぶまれる第二王子――そんなか弱い存在に、ナルシスの地位が脅かされることなどないと考えたのだろう。
だからこそ邪魔者ガーネットを押し付け、他のライバルとの婚姻を封じた。
ガーネットが婚約を拒否すれば、それを理由にフレジエ侯爵家に罰を与え、その権力を削ごうとしたのだろう。
エリアーヌ妃やナルシス王子にとっては、どちらに転んでも美味しい展開だというわけだ。
「それでネティは、おとなしくラズリス殿下との婚約に応じたわけか」
「えぇ、わたくしにとっては好都合。まさに渡りに船と言ったところですわ」
ガーネットは優雅に肩に流れる髪を払うと、ぽかんとした兄に告げた。
「ナルシス殿下にはとても、王の資質が備わっているとは思えません。わたくしが王妃として、隣でお支えするつもりでしたが……その道は閉ざされました。かくなる上は――」
きっちりと部屋の扉が閉まっていることを確認して、ガーネットは内緒話でもするように兄に囁く。
「ラズリス殿下と婚約し、彼と共に……ナルシス殿下から玉座を奪い取ってみせますわ」
ナルシスのような者が王となれば、政治は腐敗し国が荒れるのは必至だ。ガーネットは一貴族として、そんな状況を見過ごすわけには行かない。
新たな婚約者であるラズリスは第二王子。順当に考えれば、ナルシスの次に玉座に就く可能性が高い人物である。
なんとかしてナルシスを失脚させれば、ラズリスを王位に就け、ガーネットが妃として国の中枢に関わることも夢ではない。
大胆にそう宣言したガーネットに、セルジュはにやりと笑う。
「……おぉ怖い。うっかり外で口を滑らせるなよ。首が飛ぶぞ」
「ご心配なく、わたくしはそんなへまはいたしませんから」
「だが、そんなにうまくいくか? ラズリス殿下は病弱と聞くし、お前より4つも年少でまだ子供だ。とても王位に就けられるような存在ではないと思うが……」
「そこは、わたくしの手腕の発揮どころですね。数年もあれば十分です、必ずや、ラズリス殿下を鍛え、ナルシス殿下以上の立派な殿方に育て上げて見せますわ」
公の場に姿を現さない第二王子の素顔は、神秘のベールに包まれている。
だが、いくらなんでもナルシスよりはマシだろうとガーネットは願っていた。
まだ幼いのも利点だ。ナルシスのような暴君へ成長してしまう前に、きちんと軌道修正を施すことができるのだから。
ナルシスとイザベルの、嘲笑うような笑みが蘇る。
……あんな、大勢の目の前で悪意を以て誰かを貶めるような真似をする者が、王にふさわしいはずがない。
おそらくはイザベルもナルシスと同類の人間だ。
そんな二人を王と王妃として敬わねばならない未来を思うと、頭が痛くなりそうだった。
「というわけですから、わたくしはすぐにでもラズリス殿下へ接触を試みます。いろいろと力をお借りすることもあるかと思いますので、バックアップはよろしくお願いいたします、お兄様」
「……可愛い妹の頼みとなれば、断るわけにはいかないな」
やれやれと肩をすくめる兄を見て、ガーネットはくすりと笑う。
そして、さっそく頭の中で新たな婚約者となる第二王子の育成計画を立て始めたのだった。