16 王妃エリアーヌ
「……久しぶりね、ラズリス。元気そうで何よりだわ」
エリアーヌの視線がラズリスの方を向いた途端、彼はびくりと体を震わせる。
――エリアーヌ妃を、怖がってるの……?
そう気づいたガーネットは、エリアーヌの注意を惹きつけようと笑顔を浮かべて話しかけた。
「ここのところラズリス殿下の体調も良いようで……ちょうど二人で散歩をしておりましたの」
「……ふふ、仲睦まじいのね」
「えぇ、ラズリス殿下のような素敵な方と婚約できて、私は幸せです。ナルシス殿下方の采配に感謝してもしきれませんわ」
あえて挑発するようにそう言うと、エリアーヌの瞳がすっと細められる。
だが、ガーネットは臆することはなかった。
ガーネットの最終目的は、ラズリスを使ってナルシスを玉座から引きずり落とすことである。
遅かれ早かれ、ナルシスや彼の母であるエリアーヌとの衝突は避けられないだろう。
だったら、必要以上に友好的に接するつもりはない。
――私は、決してあなた方に屈したりはしないわ。
ガーネットは名のある侯爵家の娘。
それ相応のプライドは持ち合わせている。
王妃であるエリアーヌにも最低限の礼は尽くすが、尻尾を振るつもりは毛頭ない。
穏やかに微笑むガーネットに、エリアーヌはくすりと笑う。
そのまま、彼女は意味深な視線をラズリスへと向け口を開いた。
「……そう、それはよかったわ。ガーネット、わたくしはあなたのことをずっと気にかけていたの。ラズリス、ガーネットを大切にするのよ。大切に……ね」
それだけ口にすると、エリアーヌは来た時の同じように優雅な足取りで去っていった。
その姿が見えなくなるまで、ガーネットはじっと彼女の背を見つめ続ける。
彼女の姿が見えなくなったところで、ガーネットはほっと息を吐いた。
「はぁ、いったい何だったのかしら。まあいいでしょう。ラズリス殿下、散歩の続きを――」
「帰る」
「えっ? 駄目です、殿下。まだ食事に対しての運動量が――」
「うるさい!」
ガーネットはラズリスの手を取ったが、その手は強く叩き落されてしまう。
呆然とするガーネットを睨みつけ、ラズリスは吐き捨てた。
「行きたいならひとりで行け。僕を巻き込むな」
そう言って、ラズリスはガーネットに背を向け一度も振り返ることなく離宮の方へと去っていく。
ガーネットはあまりに驚きすぎて、追いかけることもできずにその場に立ち尽くしていた。
ラズリスはガーネットに対しそっけない態度を取ることもあったが、こんな風に強く拒絶されたのは……初めてのことだったのだ。
◇◇◇
――きっと虫の居所が悪かったのよ。
迎えた翌日。
そう自分に言い聞かせ、ガーネットはいつものように離宮へと赴いた。
昨日はいつもとは違うラズリスの態度に驚いてしまって、何故だか彼を追う勇気が出なくて、そのまま屋敷へ帰ってしまったのだ。
だが、一晩かけてガーネットは自分を奮い立たせた。
ガーネットは何としてでもラズリスを篭絡し、彼を玉座へと導いてやらなければならない。
こんなところで怖じ気づいている場合ではないのだ。
「おはようございます、ラズリス殿下」
ガーネットが離宮に足を踏み入れると、驚いたことにラズリスはすでに起床していた。
「さすがは殿下、ちゃんと起きてえら~い!」と軽く声をかけようとして、ラズリスの顔を見たガーネットは言葉を失った。
応接間のソファに腰掛けたラズリスは、今まで見たこともないほどの無表情だったのだ。
「殿下……?」
おそるおそる声をかけると、緩慢な動きでラズリスはガーネットの方へ視線を向けた。
「……何をしに来た」
こちらに返ってきた声は、ひどく冷たかった。
「私は婚約者としてラズリス殿下の――」
「鬱陶しい」
「……え?」
「だから、鬱陶しいと言ったんだ。一体いつまで、このくだらない婚約者ごっこを続けるつもりなんだ」
その瞬間、まるでガツンと頭を殴られたような気がした。
言葉を失うガーネットに、ラズリスは続ける。
「はっきり言って、君のお節介は迷惑でしかない。第一王子に婚約破棄されたのも納得だな」
……目の前で嘲るような笑みを浮かべる少年は、本当にガーネットの知るラズリスなのだろうか。
あまりに現実離れした出来事に、怒りも、悲しみも湧いてこなかった。
ただガーネットは呆然と立ちすくみながら、小さな婚約者の言葉を聞くことしかできなかったのだ。
「もう君に振り回されるのは我慢ならない。機を見て婚約は解消させてもらう。……もう二度とここへは来るな。これは命令だ」
それだけ吐き捨てると、ラズリスは近くにいた使用人に顎で指図する。
「フレジエ侯爵令嬢のお帰りだ。見送って差し上げろ」
侍女のサラにそっと腕を引かれ、ガーネットははっと我に返った。
ラズリスは険しい、まるで邪魔者でも見るような目でガーネットを睨んでいる。
今までのガーネットだったら、とにかく何か言い返していただろう。
ナルシスに婚約破棄を言い渡されたその場でさえ、冷静にどんな行動を取るのが最善なのか考える余裕があったのだ。
それなのに今は……頭が真っ白になってしまって、何も思い浮かばなかった。
「……お目汚しを、失礼いたしました」
絞り出すような声でそれだけ告げると、ガーネットは静かにその場を辞した。




