15 失敗気味のお菓子でも
「……なんだこれは」
いつもの読書の時間中。
ラズリスは眉をしかめて、ガーネットが持参した焼き菓子を摘まみ上げている。
屋敷のメイドたちに教えを請い、手順通りにやったはずなのだが……何故だかガーネットが作った物は色も形も悪かった。
捨てようかとも思ったが、皆に「絶対にラズリス殿下は喜ばれます!」と太鼓判を押されてしまい、おめおめと持ってきてしまったのだ。
だがやはり、あんな粗悪品を出すべきではなかった。
しげしげと失敗作を眺めるラズリスに、ガーネットは無性に恥ずかしくなってしまった。
――私……結構不器用だったのね……。
ガーネットは王太子妃候補として様々な教育を受け、並大抵の事態には対処できると自負していた。
だが現実は違う。
ちょっと新しいことに挑戦してみれば、見事に失敗してしまった。
いったい自分は何を思い上がっていたのだろうかと、ガーネットは内心でため息をつく。
「質の悪いメイドでも雇ったのか? 採用担当を見直した方がいいんじゃないのか」
訝しむようにそう口にするラズリスに、ガーネットはおずおずと口を開く。
真実を告白するのは勇気がいるが、このままでは親切にお菓子づくりを教えてくれたメイドたちの名誉が傷ついてしまう。
それは彼女たちの主家たるフレジエ家の人間として、あってはならないことだ。
「いえ、その……色や形が悪いものは、私が作りました」
「…………え」
まさかガーネットのお手製だとは思わなかったのだろう。
ラズリスは驚いたように目を丸くしている。
途端に恥ずかしさが押し寄せて、ガーネットは一気にまくし立てた。
「こんなものを殿下が口になさる必要はございませんっ! 私が責任を持って処分して――」
「いる!」
焼き菓子の入ったバスケットを回収しようとしたが、慌てた様子のラズリスに先んじて取り上げられてしまった。
それどころか、彼は摘まみ上げていた菓子をぱくりと口にしてしまったのだ。
「殿下!?」
唖然とするガーネットの前で、ラズリスはもぐもぐと焼き菓子を咀嚼している。
そして、ごくんと飲み込んでしまった。
彼はまるで大切な宝物のようにバスケットを抱え込み、ぽつりと呟く。
「まぁ……見た目ほど味は悪くなかった」
その言葉は、ガーネットの胸にじんわりと染みていく。
今まではナルシスを支える王太子妃候補として、常に完璧を求められていた。
どんな時も失敗はできない。弱みは見せられないと、常に気を張っていた。
だがラズリスは……ガーネットの失敗を受け入れてくれたのだ。
その事実が、自分でも驚くほど嬉しく感じてしまう。
「ラズリス殿下、また私が殿下の為に作ったら……次も食べていただけますか」
「……廃棄するのはもったいないからな」
ラズリスは照れたようにそっぽを向きながら……確かに次も食べると言ってくれた。
その途端、ガーネットは興奮してがたりとその場から立ち上がっていた。
「これで、殿下の胃袋は私のものですね!」
「それは何の宣言だ!?」
「あっ、食事の後は運動が欠かせませんね! もっと食べたらお散歩に行きましょう!」
「わかった、わかったからそう急かすな!」
すっかりご機嫌になったガーネットは、さらに「はい、あーん」作戦も取り入れようと、ぴったりとラズリスに寄り添い手ずから食べさせてやったのだった。
◇◇◇
ラズリスがお手製の焼き菓子を食べてくれて、気分がよかったからだろうか。
ガーネットは普段よりも足を延ばし、人の出入りがある大きな庭園にラズリスを連れて行った。
「……人がいる」
「何も気にすることはありませんわ。堂々としていればよいのです」
すれ違う人たちは皆ちらりとこちらへ視線を遣るが、ガーネットが一緒にいる相手がまさか存在感の薄い第二王子だとは思わないのだろう。
わざわざ声を掛けてくるような者はいなかった。
――そういえば、ナルシス殿下とも何度かここを歩いたことがあったかしら……。
ガーネットは婚約者の務めとしてナルシスが退屈しないように、いくつも興味を引くような話を用意していたが、ナルシスはいつも生返事だった。
きっと、ガーネットといてもつまらなかったのだろう。
「……ラズリス殿下、私といてつまらないですか」
昔のことを考えていたからだろうか。
気が付けば、そんな言葉が口から出てしまったのだ。
はっと口元を抑えたが時すでに遅し。
ラズリスは驚いたように目を丸くして、ガーネットの方を振り返る。
――また……! 何で、ラズリス殿下の前だとこんな風になっちゃうのかしら……。
昔から、自制心も人並み以上に鍛えていたはずだ。
ナルシスと婚約していた間は、うまく取り繕えていたのに。
なのにどうして、ラズリスの前だと思ったことが口から出てしまうのだろう。
「あの、今のは――」
「別に……」
ラズリスがぷい、と顔を背ける。
だが彼の手は、きゅっとガーネットのドレスを掴んでいたのだ。
「別に、つまらないなどとは思わない。君といることで、学ぶべきこともたくさんある」
……また、だ。
ラズリスはいつも、ガーネットの欲しい言葉をくれる。
感極まったガーネットは夜会の夜のようにラズリスに抱き着こうとしたが、華麗に避けられてしまった。
「おい、ここではやめろ! 誰かに見られるだろ!!」
顔を赤くしたラズリスに諫められ、仕方なくガーネットは腕を組むだけで我慢することにした。
ラズリスはガーネットから視線を逸らし……ある一点を見つめて固まった。
彼の体がこわばったのに気づき、いったいどうしたのだろうとガーネットもつられて視線を遣る。
そして、思わず息を飲む。
向こうから、着飾った貴婦人がゆったりと歩いてくる。
見覚えのありすぎるその姿に、ガーネットもラズリスもその場に根が生えたように動くことができなかった。
「あらあら、随分と仲がよろしいのね」
すぐ近くにやって来た貴婦人が、扇で口元を隠しながらころころと笑う。
だがその目は、嘲るような色を隠してはいなかった。
「……ご無沙汰しております、エリアーヌ妃」
ガーネットはラズリスから腕をほどき、一歩前へ出て淑女の礼をとった。
――まさか、こんなところで遭遇するなんて……!
うっかり鉢合わせてしまった相手は、ガーネットの元婚約者ナルシスの母――現正妃エリアーヌだったのだ。




