13 あなたを抱きしめたい
深夜にも近いような時間に突然訪れたガーネットを、離宮の者たちは意外にもあっさりと迎え入れてくれた。
応接間でぼぉっと待っていると、やがて寝間着を身に纏ったラズリスがやって来る。
彼の様子から、「早寝早起きを心がけましょう」というガーネットの諫言を聞かずに、こんな時間まで起きていたのが見て取れた。
「今寝ようと思ってたんだ今……」
視線を逸らし、言い訳のようにそう口にするラズリスを見て、ガーネットはくすりと笑う。
「殿下はいけない子ですね、こんな時間まで夜更かしして。そんな風じゃ大きくなれませんよ?」と忠告しようかとも思ったが、もうそんな元気も湧いてこなかった。
端的に言えば、ガーネットは疲れていたのだ。
元婚約者であるナルシスの嫌がらせを受け、傷ついた心が助けを求めている。
だが、それを上手く言葉にできなかった。
昔からガーネットは王太子妃候補として、弱音を吐くことを自分に禁じていた。
だから、こんな時でさえ……どのように弱音を吐いていいのかわからないのだ。
困ったように微笑むガーネットを見て、ラズリスが訝しげに眉をしかめる。
「……何か、嫌なことでもあったのか」
心中を言い当てられ、ガーネットは驚きに目を見開く。
そんなガーネットを見て、ラズリスはくすりと笑った。
「意外と、表情に出やすいんだな」
……そんなことを言われたのは、初めてだった。
どうやらラズリスの前では、ガーネットも素直な感情が顔に出てしまうようである。
決して敵に弱みを見せるなと教えられ、ガーネットはどんなに辛い時にも微笑んで見せるように心がけていた。
自分の感情も制御して、激しく怒ることも、大笑いすることも、人前で涙を流すことも禁じてきた。
そんなガーネットのことを「何を考えているのかわからない」「鉄仮面を被った女」などとけなす者がいるのも知っている。
それなのに……。
――どうして……ラズリス殿下の前では感情が出てしまうのかしら。
ここのところガーネットは、この小さな王子の前だとどうにも表情が取り繕えなくなってしまうのだ。
彼の愛らしい様子につい頬が緩んでしまい、「なににやにやしてるんだ……!」と怒られたのは記憶に新しい。
彼が、まだあどけない子どもだからだろうか。
それとも、彼の境遇に自分と似たものを見出しているからなのだろうか。
なんにせよラズリスの前では、無理に自分を取り繕わなくてもいい気がしてしまうのだ。
そんな思いに従うまま、ガーネットは真摯にラズリスを見つめ口を開く。
「ラズリス殿下、一つお願いがございます」
「……内容による」
ラズリスは警戒した様子を見せつつも、深夜にいきなりやって来たガーネットの言葉を無下に拒絶したりはしなかった。
その様子に胸がじんわりと暖かくなる。
初めて会った時のそっけない態度から考えれば、少しは歩み寄れているのだろうか。
ゆったりと微笑みながら、ガーネットはそっと口を開いた。
「私に……殿下をぎゅっと抱きしめさせてはいただけないでしょうか」
「…………は?」
ラズリスは「冗談だろ?」とでも言いたげに口をあんぐりと開けている。
だがガーネットは決して冗談を言っているつもりは無い。
今はとにかく、小さな婚約者をぎゅっと抱きしめたくて仕方がなかった。
以前膝枕をした時の暖かなぬくもり、そして充足感が欲しかったのだ。
「殿下をハグさせてください。子ども体温に癒されたいのです」
「君は……僕のことをぬいぐるみか何かだとでも思っているのか!?」
ラズリスは顔を赤くしてキャンキャンと子犬のように怒ったが、その様子すら可愛く見えてしまう。
申し訳ないと思いつつも、ガーネットはわざと悲しそうに手で顔を覆って見せる。
「あぁ、私……今日とっても嫌なことがありましたの。殿下が一緒に来てくだされば、あんな思いをすることもなかったかもしれないのに……」
「っ……わかったわかった! ただし、今日だけだからな!」
ガーネットの誘いを断ったことを負い目に思っていたのか、ラズリスは案外簡単に言うことを聞いてくれた。
ガーネットのすぐ隣に腰を下ろし、顔を赤くしながら彼はぼそりと呟く。
「ほら……好きにしろ」
お言葉に甘えて、ガーネットはそっとラズリスの小さな体を抱きしめた。
すっぽり腕に収まる小さな体に、ぬくい子ども体温。
まるで大きなぬいぐるみのような、極上の湯たんぽのような……。
「あぁ、たまりません……」
相手が自国の王子だということも忘れかけて、ガーネットは彼の小さな頭にすりすりと頬ずりした。
「……おい、そろそろ……ってこら! 寝るな! 起きろ!!」
どうやら自分は思ったよりも疲れていたらしい。夜会の場で、緊張を紛らわそうといつも以上にシェリー酒をあおったせいもあるだろう。
うつらうつらしながら、ガーネットは何とかラズリスから体を離す。
「ほら、そんな恰好じゃ寝られないだろ。今日は大人しく帰って、侍女に寝支度をしてもらった方がいい」
宥めるようにそう言われ、ガーネットは素直に頷いた。
今のガーネットはかっちりとしたドレスを身に着け、長い髪を複雑に編み込んだ形にセットしてある状態なのだ。
この状態でうっかり寝てしまえば、翌日の惨状に苦労するだけだろう。
「……ラズリス殿下は、こういった格好をどう思われますか」
頭に派手なドレスを身に着けたイザベルの姿がよぎり、ガーネットは気が付けばそう口にしてしまっていた。
慌てて取り消そうかと思ったが、その前にラズリスの穏やかな答えが返ってくる。
「僕はその、あまり女性の装いには詳しくはないが……君には、良く似合ってると思う。いや、別にいつもの格好が似合ってないというわけではなく――」
気が付けば、再び強くラズリスを抱きしめていた。
驚いたように身を固くするラズリスの耳元に、ガーネットはそっと囁いた。
「……ありがとうございます、殿下」
耳まで真っ赤に染めたラズリスは、ぼそりと呟いた。
「酒臭い。早く寝ろ」
そんな可愛くないことを言う婚約者に、お仕置きの意を込めてガーネットは再びぎゅうぎゅう抱きしめてやるのだった。




