10 願いを込めたハンカチ
ラズリスは空き時間には無心に本を読んでいることが多い。
それは、読書の場所が離宮の自室から温室庭園や屋外になっても変わらなかった。
何とかなだめすかしてラズリスを部屋から引っ張り出し、ガーネットは今日も今日とて手元の本に夢中になっている小さな婚約者を観察する。
――読んでる本は年齢と比べると高度なものばかりね。一度、どの程度知識が身についているのか確認してみようかしら。
手持無沙汰に刺繍に興じながら、ガーネットはあらためて今後の彼の教育について思いを馳せた。
もう少し体力がついたら、武道や剣を習わせるべきだろう。
勉学についても、いつまでも独学を続けるよりもきちんと教師をつけた方がいい。
あとは、王族としての作法や、社交の場でのマナーやダンスも教えていかねば……。
――というよりも、仮にも第二王子なのにろくに教師もついてないなんて……。いくら陛下が教育に無関心だからって、こんな現状がまかり通ってるのがおかしいわ。
ガーネットとて彼の婚約者となるまでは、第二王子は病弱で静かな離宮で静養しているものだと信じ切っていた。
だが、噂と現実は異なるものだ。
ラズリスは小食で引きこもりで生活習慣もめちゃくちゃだが、見たところ大きな病をわずらっている様子はない。静養の必要もないだろう。
だったら、何故彼はこんな生活に文句も言わずに、一人離宮で過ごしていたのだろう。
年頃の少年なら、もっと大きな世界に目が向いてもよさそうなものを。
――公の場に出してはいけないような致命的な欠点があるわけでもないし……不可解ね。
まぁ、問題がないのならばそれでいいのだが。
彼はガーネットの婚約者として、そしてナルシスをも凌ぐ優秀な王子として、華々しく社交界に羽ばたいてもらわなければ困るのだ。
そんなことを考えながら針を通しぷつりと糸を切り、ガーネットは完成したハンカチの刺繍を満足げに眺めた。
「できましたわ」
「何が?」
「ラズリス殿下へ贈るハンカチの刺繍です」
「ぇ…………?」
ぽかんとしたラズリスに向けて、ガーネットは完成したばかりのハンカチの刺繍を披露した。
「これは、何の模様かわかりますか?」
「首の長い、この動物は……キリン?」
「えぇ、自分でもよくできたと褒めたくなるような一品です」
純白のハンカチに刺したのは、異国のサバンナに生息するという動物――キリンの姿だ。
そっとハンカチをラズリスに手渡し、ガーネットは自信満々に解説を加える。
「小さなラズリス殿下がキリンのように大きくなれますように、という願掛けを込めて作り上げたものです」
「小さいって言うな! くっ、無駄にクオリティ高いのが腹立つ……」
「殿下、ご存じですか。心を込めて刺した刺繍はお守りになると言われており、女性は皆ハンカチなど身につけられるものに刺繍をして、大切な者に贈るのです」
「…………そうなのか」
「どうかこのハンカチを私だと思い、肌身離さずお持ちくださいな」
ラズリスはしばらくの間じっとハンカチを見つめていたが、やがて小さな声でぽつりと呟く。
「……あり、がとう」
そう告げた彼の頬が赤くなっているのに気が付いて、ガーネットはにまにまと頬を緩める。
――もしかして、照れてるのかしら……。ふふ、ラズリス殿下って本当に小動物みたいで可愛いのね。
何にやにやしてるんだ……! と小さな婚約者が怒り出すまで、ガーネットはゆるゆると頬が緩むのを止められなかった。




