93. 演目:駅で別れを惜しんでついには電車に飛び乗る映画のワンシーンっぽいやつ。
現在時刻、十四時五十分前。東京行きの新幹線がもうすぐ到着すると耳にしたので、寝ている恋人を揺り起こして待合室を出た。
キャリーバッグをからから引きずり、新幹線搭乗口用の改札を抜けてホームに出れば、先ほどから構内で流れていたアナウンスが鮮明に聞こえてきた。吹き付ける風には雪が混じり、ホームの縁や線路周りに雪が積もり、雪の日特有の澄んだ香りが鼻をよくくすぐった。ずっと暖かいところにいたせいか、ずいぶんと寒く感じる。
「うー、寒い。郁弥さん――あ、目、覚めた?」
「……うん。はっきり。急に叩き起こされた気分だよ」
苦そうな顔してる。可哀想だけど可愛い。
平日の昼下がり、午後の十五時前なんていう微妙な時間でも待っている人はちらほらと見える。列は一切ないから本当にちらほらだけど。
「電車、普通に動いてるのね」
今さらだけど、と付け加えて伝えた。
恋人の顔から目を逸らし、電光掲示板を見る。"15:03"の数字と"13号車"の文字数字。"乗車口案内"と上にちっちゃく書かれている。
「そうだね。動いていなかったらもう一泊するはめになったかも」
僕はそれでもよかったけど、といった呟きを聞いて同じ話をしたようなしていないような、曖昧な感じに記憶を探ることになった。とりあえず郁弥さんには、あたしもそれでもよかったとは伝えておく。
電光掲示板を眺め終えて、それからもう一度隣を見る。こちらを見つめる瞳が一対。じーっと見ていたらふにゃって微笑んでくれた。好き。
「郁弥さん郁弥さん」
「はい、はい」
「好き」
「ふふ、僕も日結花ちゃんのこと好きだよ」
「えへへー」
心がぽかぽかするやり取りはさておき、駅のホームで浴びる風は一段と冷たかった。寒い。
そそーっと隣に身を寄せ、優しく抱きしめてもらう。しあわせ。
幸せは幸せだけど、やっぱりちょっと寒いかな。気温が低くて外の空気と風が冷たくて、それでいて旅行から帰る途中のこの感覚。感傷的になっちゃうのは仕方ないことだと思う。何をどう繕っても、寂しいものは寂しいし切ないものは切ない。
一人で物寂しさに浸っていたあたしの雰囲気を察したのか、ふわふわと頭を撫でてくれる。恋人の手つきが優しい。いつも優しいけど、今はまた一段と優しい。こういうところが……あたしは好きなのよね。
『間もなく、一番線に電車が入ります』
恋人に甘えている間にも時間は過ぎて、もうすぐ電車が来るらしい。そっと後ろを見ても人はおらず、もしかしたら山形駅発で同じ車両に乗る人はいないのかもしれない。
「……」
ふ、っと辺りを軽く見回してみる。
どこを見ても雪、雪、雪。雪だらけの駅でも柱に取り付けられた看板?表札?には"やまがた"のひらがなとちょっとしたイラストが"山形日和。"の文字と共に描かれていた。
来たときに写真は撮ったからもう一度撮る必要もないし、これで本当に見納め。
新幹線に乗ると思うと、これでほんとに終わりなんだなーって、どうしてもそんな風に思っちゃう。帰りたくない……わけじゃない。帰りたいは帰りたい。早く帰ってゆっくりしたい気持ちはある。旅を終わらせたくない感じ。たぶんこれ。
「ねえ日結花ちゃん」
「ん……なに?」
ちょっぴりの間を置いて返事をした。顔は見ない。軽く横抱きされたままでいたいから。
「この状況さ。ドラマか映画みたいじゃない?」
「……」
この状況っていうと、この状況か。
寒くて雪いっぱい降ってる中、黄色い線より数歩分は下がって雪に濡れないようにしている状態。抱きしめられて抱きしめて、寄り添ってじっと外を眺めていて……。たしかに、それっぽさはあるかもしれない。
「そうかもだけど……ドラマでも映画でも、それっぽいのは電車の中と駅のホームで分かれてるときじゃない?」
「あぁ、うん。そっちの方がぽいか。そうだね」
"新幹線来たらやってみる?"との言葉にちょっと笑っちゃった。
「ふふ、いいわよ。人いないし誰にも迷惑かからなさそうだもの」
少し話して、どっちがホーム側で、どっちが電車側が決めた。
映画もドラマもシチュエーションとしては割と男女問わずどっちもあるって気づいちゃったから、やりたい方で決まった。あたしが駅ホーム側で、郁弥さんが電車側。色々考えはしたんだけど、あたしが追いかける側になった。
だって、郁弥さんがホーム側だったらの展開予想できちゃったんだもん。
『君がそうしたいなら応援するよ。僕は待ってるから。いってらっしゃい』
とか。
『いつか逢いに行くから。それまで待ってて……大好きだよ』
とか。
『今は見送る側だけど、いつの日か君を迎えられる側になるから』
とか。
全部残っちゃうパターンだった。追いかけてって言ったらちゃんと追いかけて電車まで乗り込んで来てくれるとは思うけれど、郁弥さんの性格的に完全にお別れムードなんだもん。
追いかけて来てくれる方だと。
『君と離れるなんてやっぱり無理だよ。もう離さない。大好きだ。愛してる』
……うん。
まあ、ね。嫌いじゃないわ。言われたら嬉しいし、あたしもよ!大好き愛してる!ぎゅ!くらいは返すけど、なんか違う。郁弥さんっぽさがないというか、キャラ作ってる感が否めない。今現在のあたしの恋人の自然体な郁弥さんだったら。
『っと、ふふ、どうして普通に乗ってるか気になる?あはは、そりゃ一緒に行くからだよ。荷物はもう郵送してあるから大丈夫。日結花ちゃんが別れたくないのは知ってるし、僕も離れたくなかったからね。一緒に頑張ろうよ。もちろん気持ちだけじゃないよ?君のお父さんに話して仕事のこととか聞いてるし、向こうでの生活もちゃんと二人で暮らせるように考えてあるから。嫌なら――うん。そうだよね。嫌なわけないよね。知ってる。ありがとうね。大好きだよ』
みたいな!
状況がどうとかこうとかは全部置いておいて、とりあえず今の郁弥さんなら離れる前に着いてきてくれるスタンスだからこんな感じになるとは思う。それもこれも積み重ねた時間と信頼と愛情の重みよね。
ぽやぽやと、そんなどうでもいいようでどうでもよくないことを考えていたら新幹線がやって来た。
意外と音も少なく、スーッと動いて停車した。アナウンスと共に扉が開き、幾人かが荷物を持って新幹線を降りてくる。比較的大きめの荷物が多いのは、やっぱり遠出している人が多いからかもしれない。
「じゃあ、やろうか」
「ん」
頷き、一応と周囲を確認しておく。特に待っている人はいないし、こちらに向かっている人もいない。
鞄は郁弥さんに渡して先に新幹線内に置いてもらった。
立ち位置はさっき決めた通りで、郁弥さんが新幹線のドアのところ。入ってすぐ、振り向いて外を見ている形。あたしは駅のホーム、黄色い線の上くらい。近すぎず遠すぎず、ちょうどいい場所。
見つめる先には好きな人の姿。紺色が大人っぽくてかっこいい。
「――僕は、だめな男だったよ」
「ちょっと待って」
「え、うん」
「ええと……その、どこまでちゃんとやるつもりだった?」
ごめんなさいね。つい止めちゃった。なんていうか、郁弥さんの表情とか口調とかが本気過ぎて。雰囲気にのまれちゃうくらい"ちゃんと"してたから。そこまでやるとは思わなくって、つい。
「どこまでって……全力?」
「……そう。わかったわ。あたしもそうする」
「ふふ、うん。よろしくね」
ふわって微笑みが目に優しい。癒される。……よし頑張ろう。話は全部アドリブで。あたしだって演者の端くれ。本気でやるなら本気の本気で、声者としてやりましょう。
郁弥さんの恋人としてでもあり、声者の咲澄日結花としてでもあり。両方の役として演じてみようじゃない。
「――僕はさ、だめな男だったよ」
「そんなこと……」
「ううん、いいんだ。ずっと僕はだめだったから。そのことは、僕自身が一番よくわかってる」
きっとそれは、彼が現実に苦悩し藻掻き苦しんでいた頃の話。
「嫌なことから逃げて、現実逃避して、見ていた夢も諦めて。最初から無理だったって、自分には不相応な夢だったって。そう思うようにしてた」
「そう、ね。……隣で見ていて、どうしてこの人はこんなにも自信がないんだろうって、そう思ったわ」
「あはは……。そうだよね。自信なんてなかった。いろんな"現実"にぶつかって、何度か立ち上がろうとしたけど、その度に足を折られてもう立てなくなっちゃったから」
懐かしむように、苦笑を滲ませた顔で言う。
その顔は、声者を目指そうとして"力"っていう最初で最後の壁に打ちのめされた人の顔に似ていて。本当に夢破れて諦め切った誰かの姿に重なる。
「なら、どうして立ち上がったの?」
「あはは、それを君が言う?」
「ふふ、そうね」
二人で笑って、それからと彼がまた口を開く。
「もう一度立ち上がれたのは、君が僕の手を引いてくれたからだよ」
「ん」
「同好会のみんなで撮った映画。所詮は個人もので、プロのものには到底届かないけど、それでも僕らにとっては最高の出来だったよね」
「そうね。あのときは、まさかあたしがヒロイン役だなんて思いもしなかったわ。他に適役の人いっぱいいたじゃない」
「どうかな。僕だって主役になるなんて思ってなかったよ。ヒーローなんて柄じゃないから」
「それこそ適役よ。みんな揃ってあなたを主役に推していたじゃないの。あたしだってあなた以外考えられなかったわ」
「それは……僕が"力"を持っていたからだよ」
彼の言う"力"は、きっと声者やエイシィの持つものと同種のもの。
「力も才能の一つよ。今ここで、前を向いて立っていられるのも、あなたがその力を持っていたからでしょう?」
「まあ、うん。そうだね」
苦笑して、それでも軽く笑って答える。
「二人が主人公の映画でさ。最初はあんまりやる気なかったこと、覚えてる?」
「ええ。もちろん。覚えてないわけないわ。あたしが怒ったことこそ、覚えてる?」
「うん、覚えてる。怒られて、なんで演劇なんてやってるのって。まだ未練たらたらだったこと見透かされたよね」
「ふふ、すっごくわかりやすかったもの」
「……本当、昔の僕はだめだめだったなぁ」
呟き、改めてあたしに目を合わせて微笑む。
「だめだめだったけど、君に引っ張られて映画の主役を演じて、すごく楽しかった。やっぱり演劇大好きだって、演じることの楽しさをもう一度知れたんだ。諦めて無理だって思ってたけど、君のおかげでまた夢に手を伸ばすことができた」
「全部あなた自身の力よ。"力"を磨き続けたことも、両親が亡くなっても気丈に生きていたことも、心の底では諦め切れずに演劇の同好会入っていたことも。全部全部、あなた自身のおかげ。あたしは何もしていないわ。ちょっぴり、背中叩いてあげただけね」
そのちょっぴりが大きかったんだけど、とぼやく彼に微笑みかける。
本当にあたしは、何もしてあげられていないから。背中を叩いて――押してあげられただけ。
「まあ、さ。なんだかんだでこうやって東京行く決心ついて、今こうしているわけだけどさ」
「ん」
「本当に、ありがとう」
「……」
「君に会えてよかった。君のおかげで、僕は自分の人生と向き合うことができた」
「…………」
「僕は東京で。君は山形で。家業を継ぐ君に僕から何か言えることはないけれど、きっとお互い大変だろうとは思う。それでも、お互いに頑張っていけたらって思うんだ」
「……うん。ええ。そうね。頑張らないとね」
「それでいつか、僕が誰かを演じることになったら見に来てくれたら嬉しい」
「ふふ……そこはテレビでも映画でも、ものすごい有名になってやるー!って言わなくちゃ」
「そこまでなれるかな……なれたらいいなぁ……」
自信なさげな姿と声にくすりと笑って、あたしに釣られてか彼もまた笑みをこぼす。
少し笑い合って、そうして。
「――それじゃあ、お別れだ!」
「……そう、ね」
「別れに涙はいらないって、よく言うよね。今生の別れじゃないし、笑ってさよならを――ううん、またねって言おう」
「……ん」
「そんな泣きそうな顔しないでよ。僕だって頑張って表情作ってるんだから、ほら耐えて。未来の……未来の美人さん?」
「――ふふっ。もう、どうしてそこで詰まるのよ」
目元を指で拭って、雫を落として彼に向き直る。聞いた通り、表情は頑張って作っている様子だった。というより、もう半ば崩れていて。
「それはほら、美人さんになるかわからないから?」
「なるわよ。たぶん」
「そっか」
「そ」
「……」
「……」
沈黙の時間は本当に短くて。ほんの数秒だけ。ふわりと風が吹き、躍る雪に混じって髪が揺れた。
「ねえ」
「うん」
「あたし、あなたのこと好きよ」
「――そっか」
「そう」
「僕も、君のこと好きだよ」
「ふふ、知ってたわ」
「そっか」
「ん……。もしも、あたしが……」
行かないで、は言葉にできなかった。それだけは、言っちゃいけないと思ったから。
「……いえ、なんでもない―ー」
「――もしも、さ」
「え?う、うん。もしも?」
何を言われるのかと、焦燥感と戸惑いで言葉を返す。
彼の顔には感情があふれていて、嬉しそうで楽しそうで悲しそうで泣きそうで。けれどどこか、ひどく緊張している様子だけは伝わってきた。
「僕が君に、一緒に来てほしいって言ったらどうする?」
「――え?」
とくりと、心臓が跳ねる。今、彼はあたしになんて言った。一緒に来てって言った?来てってどこに。新幹線に。東京に?一緒にって。あたしが?あたしが彼と?
「い、いやいいんだ。聞かなかったことにして!気の迷いだから。ただの気の迷い――」
「待って!もう一度……もう一度だけお願いっ!ちゃんと聞きたいの。今聞かないと、絶対後悔するから!!」
「……うん。わかった」
夢なんじゃないかって思うから。期待したくなかったけれど、そんなことを言われたら期待しちゃう。もしそれが、彼の気持ちが本当なら。あたしは、あたしは――。
「――君に一緒に来てほしいんだ」
「ぁ……っ」
「え、ど、どうして泣いてっ!?」
「う……っあ……な、泣いて……ぐす……ないん、だからぁっ」
「それで泣いてないは嘘だ――」
こぼれる涙をそのままに、たん、っと地面を蹴る。跳ねるように足を動かして、真正面から彼の身体を抱きしめた。
「っ……一緒に、来てくれるんだ」
「ばか……っぐす……言わせ、ないでよ……」
「……うん。ありがとう」
彼の首筋に顔を埋め、背中を撫でられるままに落ち着くまでと待つ。少しして、涙も収まり羞恥心に襲われる中、一つだけ伝えたい言葉があったから。だから、顔を離して、しっかりと目を合わせて口を開く。
「あたし……あなたに会えてよかった。大好きよ」
「僕も、君と出会えてよかった。大好きだよ」
そっと、どちらからともなく唇を近づけて。触れるような柔らかな口づけを交わした。
それから。
それから……。
「…………」
「…………」
「……ええと、日結花ちゃん。終わった、よね?」
「……ええ。終わり、よね?終わり。一応それっぽい感じには、できた?」
なんていうのかな。うん。すごい本格的?いやちょっと、頑張りすぎた感ある。役に入り込み過ぎたかも。普通にちゃんと涙出ちゃったし。ママに舞台の話とか聞いてたし、声だけじゃない演技指導もちょこちょこ前は受けてたから。そのせいかわかんないけど、めちゃくちゃ本気でやっちゃった。時間もかかって――。
「――郁弥さん。今何時?」
「あ。ちょ、ちょっと待って!」
急いで携帯を取り出して時間を見る恋人さん。こういうとき、腕時計してたらよかったなぁって思う。まあこれからもしないとは思うんだけど。
「日結花ちゃん、十五時ぴったりだった」
「ぎりぎりじゃない……」
「早く席行こう」
「ええ」
鞄を持って新幹線の通路を進む。あたしたちがいる十三号車には人が一人も乗っていなかった。荷物を棚に乗っけたりと済ませて椅子に座り、ほっと一息。あたしに続いて座った郁弥さんも同じように安堵の息をこぼしていた。
さすがにしょうがない、と二人で笑い合う。うん。ほんとにしょうがない。もっと短い予定だったのに、こんなぎりぎりになって危なかった。
『お客様へご連絡いたします――』
と、音楽と共に唐突に入ってきたアナウンスに耳を澄ませる。アナウンス曰く、一番線の駅のホームにいた人と駅員の一部が急激な眠気を訴えたそう。すぐに眠気は収まったみたいだけど、念のため駅員さん交代するから新幹線の発車が遅れるって。申し訳ございません。お待ちください、だって。
「……」
「……」
うん。
「……これ、もしかしてあたしのせい?」
「……もしかしなくても日結花ちゃんのせい」
ちょっと駅員さんに伝えに行こうかな……。"力"を使った覚えないけど、もしかしたら目を覚まさせるための力を聞かせないといけないかもしれないし……。
「一緒に行くよ?」
「……うん、ありがと」
うー、郁弥さんが頭撫でてくれた。いてくれてよかったぁ。頼もしい嬉しい助かる大好き。ちゃんと言っておかないとね……うん。罪悪感抱えたままなのは嫌だもの。郁弥さんも一緒だし、謝るならちゃんと謝らなくっちゃ。まだあたしのせいかわかんないけど!……あたしのせいじゃなかったらいいなぁ……。




