91. お揃いのもの
人は、意外と簡単に落ちるもので。また立ち上がるのも簡単で。五分……十分もあれば身体は元通り、絶好調になった。
充足感に満ちあふれているとでも言えばいいのか。気分がすっきりしている。
それもこれも、あたしの郁弥さんが抱きしめてキスをしてくれたから。ぎゅぅーって強く抱きしめてくれて、唇を合わせるだけじゃない、軽く擦らせたり下唇挟んだり吸ったりと……思い出せば頬が熱くなるくらいには大人なキスだった。昨日はこれくらいのちゅーを結構した記憶もあるんだけど、閉鎖された二人だけの世界でするのとはまた色々と違った。緊張感とか、背徳感とか。あと味とか。今日のキスは爽やかなミント味だった。とりあえず、なんか悪いことしてる気になっちゃった。嫌いじゃないけど、あたしは二人だけの場所でする方が好きかもしれない。……まあ、あたしから頼んだんだけどね。
心身ともに満たされたところで、地面に置いてあったキャリーバッグを拾ってショッピングモールに戻っていく。途中、隣を歩いていた恋人が足を緩めて止めたので声をかけた。
「山形駅、見てるの?」
「……うん。もう見納めだから」
「……そうね」
しんみり。
この駅は、きっと当分来ることがないと思う。バスのロータリーも、雪の中を歩いている人も、広い歩道も。あたしたちにとっての旅先だからこそ、そう訪れることのない場所。すきま風みたいな寂しさは、よくわかる。今朝から今にかけて、あたしもよくよく味わってきたものだから。
雪に塗れた街を眺めて十数秒、恋人が手を引くのに合わせて歩いていく。
さようなら山形駅。雪のおかげだと思うけれど、冬化粧のよく似合う綺麗な駅だった。
「日結花ちゃんさ」
「ん、なに?」
「僕のこと好き?」
「えー?大好きー」
「そっか。ありがとう」
「あなたは?あたしのこと好き?」
「好きだよ」
「そ。知ってる」
「知られちゃってたか」
「ふふ、ええ。知っちゃってた」
からからと鞄を引きずって、エスカレーターで二階に向かいながらの一幕。
感傷的になっているらしい郁弥さんが寂しんぼで可愛かった。この人、あんまり自分から好意をねだってこないから、今みたいなのも結構嬉しかったりする。
二階に上がり、お土産物見物と洒落込む。
お菓子、化粧品、お酒、お菓子、蒲鉾、麩、漬物、食べ物、雑貨。
見て回って歩いて、一度ショッピングモールから駅側に移動する。改札を出入りする人を眺めながら、壁際に寄って話をする。
「何か欲しいもの見つかった?」
「全然。郁弥さんは?」
「僕もちょっと。悩み中」
困ったさんな顔が愛おしい。
恋人のお顔を眺めているのもいいけれど、冷静に考えないといけないこともある。それはやっぱり買い物について。
あたしたちが探しているのはペアルックならぬペアグッズ。イヤリングとかネックレスみたいなものでもいいかなって思ったんだけど、もっと日常的な物の方がいいかもと思い直して探してる。具体的に"これ"っていうのがないから余計に探すのが大変で困ってる。それに、そもそもここにあるお土産屋さんはお菓子が多くて。あんまりそういった、形に残るようなものは少ない。ここが駅直結のショッピングモールだからかもしれない。需要と供給ってやつ。
眉根に皴を寄せている恋人さんがあたしの視線に気づいて、表情を緩めてふわって微笑んでくれた。好き。
「うーん、どうしようか。まだ時間はあるし、雑貨系のお店だけに焦点を絞って見てみる?」
「うん、そうする」
郁弥さんの提案に頷く。携帯で時間を見れば、今は十四時を過ぎてまだそんなに経っていない。余裕があると言えばあり、ないと言えばない。まあ、この後やることなんてお手洗い済ませたり待合室に行くぐらいだから全然大丈夫ではあるんだけど。
改めて、と足を動かしていく。からから荷物は引きずって、手はにぎにぎと繋いで。
建物は大きく、フロアは広く。入っている店舗ごとの規模が大きいので、真面目に全部を見て回ろうとしたら時間は足りなくなっちゃうと思う。さっき適当に流し見して、今度は雑貨屋さんっぽいところだけに足を向けることにした。
「日結花ちゃん」
「ん」
「実際何が欲しいとかある?」
「えー」
それ聞いてくる?
ちらっと隣を見たらこちらを見ずに、通り過ぎるお店に置いてあるお土産を流し見していた。お菓子とかお酒とか、郷土品とかそういうの。
何が欲しいって、とても難しいことをさらりと聞いてくれる。
「んー」
いくら考えても欲しいものはない。そりゃ本気で欲しいってなったら指輪とか……うん。頬熱くなってきちゃうからやめましょ。今はそういうのじゃないから。
アクセサリー系はないでしょ?文房具系も……あんまり。ボールペンとかよくあるけど、普段使いしなそうだし。服はお土産にするには向いてないし、ノートかブックカバーもまあ……ないわね。化粧品はもう同じの使ってるし、ファンデーションとかアイライナーなんて郁弥さんには必要ないし、あるとしたらリップクリームくらい?でもそれだと消耗品だし。こう考えていくと、意外とペアグッズっていうのはないのかもしれないわね。
「……逆に、郁弥さんは欲しいものないの?」
「え、うーん……」
考え中な感じ。
タオルとかハンカチもイマイチピンと来ないし……手袋とか靴下は、って今一瞬思ったけど、サイズとかアレコレあるものね。
「そもそも足りない物ってあんまりないからねぇ。都度買ってるし」
「そうよねー」
「あるとしても、シャンプーとかリンスとかかな」
「……それ、もう同じの使ってるじゃない」
「ふふ、そうなんだよね」
そんなの旅行先で買う物じゃない、というツッコミは置いておいて、シャンプーとリンスはとっくに同じものを使っている。ていうかそれも消耗品だし。
「普段使いするもので、消耗品じゃない――なくならないものだったら?」
「なんだろう……普段使いで消耗品じゃないって言ったら食器ぐらいしか思いつかないけど」
「……ふむふむ」
食器、食器か。
「……だめだった?」
心配の眼差しが向けられる。その表情、申し訳ないけど好きよ。瞳の揺れとか、あたしに好きになってって言ってるようなものじゃないの。
「ふふ、ううん。いいわね。あたしも頭の中になかったって言ったら嘘になるから」
「そっか。よかった」
ほっとして口元を綻ばせる。
どうでもいいんだけど、郁弥さんのこういう表情の変化って見惚れちゃう人多いと思うのよね。本当、罪な人。
「食器があったお店は……あったかしら?」
「確かあったと思うよ。日用雑貨のコーナーに置いてあったと思う。どのお店だったかは……うん。わからないけど」
恋人の言葉に頷きを返し、食器探しへと方針を変えた。あてどないお土産探しよりも、一応の目的があった方が捗るというもの。
フロアマップを見に行き、店舗の簡単な説明を眺める。お菓子とか、食品とか、日用品とか。
食べ物系を省き、いくつかのお店に目星をつけて歩いていく。
「なんか、こうしているとあれね」
「うん?」
「銀山温泉のお土産屋さんの方が小物とか多かったなーって」
「あー、そうだね」
あっちで買うのもよかったねぇ、と付け加える恋人に頷く。
意外と、といったら変な話だけど、こういった大きなお店がいくつも入っている場所よりも、ペアグッズにするような小物用品は温泉街の地元にあるお店の方があったりするらしい。手狭なお店だったけど、色々と置いてあったことはよく覚えている。爪切りとか、お財布とか、ブレスレットとか。
数分歩いて、見つけたのは食器コーナー。もっとこぢんまりとした区画かと思ったら、意外とちゃんと場所を取って種類も豊富に並べられていた。
漆塗りっぽい食器もあれば、一般的な金属製の食器もある。さすがにフライパンとかお鍋はないけれど、お皿から箸、フォーク、スプーンなどは一通り揃えられていた。
「日結花ちゃんやい」
「なんにゃい」
「……」
「な、なによ。何か言ってちょうだい」
「僕の恋人は可愛いなぁ」
「ん、あ、頭撫でないで――やっぱり撫でていいわよ」
「うん」
「それ、で。お話はなに?」
「あぁうん。箸とフォークとスプーンだったらどれがいいか聞こうと思って」
「……ちょっと待ちなさい。考えるから」
恋人に撫でられながら考える。
目下の食器類を見る。彼の言ったように、箸とフォークとスプーンがまとめられて置かれていた。お皿は横だったり壁の上棚だったりと、場所ごとに大雑把に分かれている。
まず、箸はない。嫌いじゃないけど、木製しかないし。あと折れちゃうと嫌だし。となるとフォークかスプーン。せっかく山形にいるのだから、漆器系のスプーンとかお箸とかにしたいところだけれど、今の目的はペアグッズなので見なかったことにする。選ぶべき材質は金属ね。
一般的なステンレス製?かな。そのスプーンかフォークか。一般的と言ってもお土産屋さんなので、そこはデザインがちょっぴり凝っている。持ち手の部分に彫りがあったりとか、花柄、星柄、ハート柄と。派手じゃないアクセント程度のデザインがいくつか。形は特別じゃなく基本真っ直ぐの普通のやつ。
フォークかスプーンか。やんわり撫でられるのが気持ちよくて、うっとりしそうな気持ちを抑えながら悩む。と、考えている中でとある商品の説明文が目に留まった。
「……ティースプーン?」
「ん?あぁ、ティースプーンか」
お隣からの呟きにこくりと頷き、持ってる?と聞いてみた。首を振って持っていないと返ってくる。かき混ぜるときは普通のスプーンやマドラー使って、何かを入れるときは目分量で適当にしているとか。前に聞いた覚えがある。ていうか実際にそんな光景よく見るし。あたしも郁弥さん側だからよくわかる。
お砂糖とかは小分けされてるし、普段はちゃんと計量して飲み物作ったりしないのよね。
「いいかもしれないね。持ってないし、あったらあったで使うかもしれないし」
「そうね。そうよね」
デザインは他のスプーンと同じく複数ある。その中で気になったのは、刻まれた線が流れるようにくるりと円を描いているもの。一筆書きで作ったみたいなさくらんぼが描かれたやつ。ちょっぴりあたしのサインっぽさもあり、ちょこんとくっついた柄が可愛い。
二つで一つのスプーン。さくらんぼが左右対照的に描かれていて、二つ一組の印象があるさくらんぼらしい商品だった。
「これ、気に入った?」
「気に入った。郁弥さんも可愛いの好きでしょ?」
「僕が好きなのは可愛いものというか可愛いものを好きな日結花ちゃんだから」
「も、もう。ばかなこと言わないでよね」
「でも好きって言われるの嫌じゃないでしょ?」
「う……あ、当たり前じゃない」
「ふふ、そうだよね」
巧妙な罠にはめられた気分だった。それも甘くて甘酸っぱくてとろけちゃいそうな罠。あんまりよくない罠だと思う。人をだめにする言葉よ、それ。
「これ一つ買おうか。ペアだし、僕の家に置けばいいよね」
「う、うん。……でも買うのは二つにしましょ?」
「まさか、予備?」
「……だめ?」
「いやいいけど。買おうか」
「うんっ」
そうして、お会計をして包装してもらったスプーンを鞄に入れてお店を後にした。
一組は郁弥さんの家に。もう一組はひとまずあたしの家に。まるでペアグッズというより誰でも使っていいスプーンみたいな立ち位置になっちゃったかもしれないけれど、それはそれでいいかなとも思う。家族が使っても、それはあたしの家で使われているってことには変わりないから。郁弥さんの家でも使われていて、お互いの家で同じものを使っているってだけで十分な気がする。ティースプーンだから、そう頻繫に使うものでもないし。
ペアルックとかペアグッズとか、お揃いのものって気持ちが大事とか聞いたことあるけど、本当にそうなのかもしれない。だって今の時点であたし、もう十分嬉しいんだもん。




