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90. お昼を終えて、その後のこと。

 食事は、人生に彩りを与えるものだと言う。

 人間の三大欲求は睡眠欲、食欲、性欲の三つからなる。そのうち最も幅が広いのは食欲、つまるところの食事なわけで。世界中の人の食事情や食文化の歴史を見ればよくわかる。

 日本の食文化は独特で、他の国じゃ見られないものが数多くある。もちろん、他の国にも日本じゃ見られないようなものがたくさんある。……別に、日本の文化って独特じゃないかも?

 だって、ヨーロッパはヨーロッパにしかない料理いっぱいあるし、東南アジアも東南アジアでそこにしかない料理いっぱいあるし。そう考えると、どこが特別とかそういうことはないのかもしれない。

 でもやっぱり、あたしの目の前にあるお蕎麦は他国じゃ食べられないし(たぶん)、珍しいことには変わりないと思う。


「揚げ茄子おろしそばって、僕見たことなかったんだよね」

「ふーん、あたしも」

「じゃあ僕と同じだ。初めて食べるでしょ」

「ええ。お蕎麦屋さんって結構見るけど、揚げ茄子の入ったものって聞いたことなかったから」

「意外と珍しいのかな」

「そうかも」


 と、目前に座る恋人と話をする。お互いに"揚げ茄子おろしそば"は初実食らしい。

 いただきます、と小さく口にし、薄っすらと白い湯気を立てるおつゆにレンゲを差し入れる。口に運ぶとあったかいお汁に揚げ茄子の油が溶けていて美味しかった。汁の味もそんなに濃くはない。割り箸でお蕎麦を食べる。美味しい。美味。

 蕎麦ってあんまり食べる機会ないからあれだけど、結構ちゃんと蕎麦の味するのよね。蕎麦粉?蕎麦の実?わかんないけど、美味しいものは美味しい。


「……んー……あ、郁弥さん。そういえばだけど」

「うん」

「蕎麦アレルギーってあるらしいわね」

「あー、うん。らしいね。僕は違うけど」

「あなたって何かアレルギー持ってたっけ」

「花粉症くらい?日結花ちゃんは」

「あたしも花粉症くらい?」

「ふふ、お揃いだね」


 ぽやぽやと話を続けながら食べ進めていく、

 いくら珍しい蕎麦だと言っても、蕎麦は蕎麦。あたし、お米の方が好きなの。

 食べていて思うのは、普通に美味しいっていうのとあったかいっていうの。建物内があったかいのに加え、お蕎麦があったかくて身体が芯から温まる。寒いところで食べたらもっと美味しく感じられたのかなって、ふと思う。


「日結花ちゃん」

「んー」


 もぐもぐしながら声だけで返事をする。

 器から視線を上げると、郁弥さんがあたしのことを優しい目で見てきていた。ちょっぴり羞恥。


「ふふ、美味しい?」

「……うん、美味しい」


 なんか、ママとパパがたまにあたしのこと見る瞳に似てる。むずがゆい。


「え、ええと、何か用があったんじゃないの?」

「あぁ、うん」


 微笑んで頷いて、一度言葉を止めて続ける。


「このあとさ、お土産屋さん見て回るでしょ?」

「ん、そうね」

「二人でお揃いの物買わない?」

「え!買う買う!!」

「あはは、反応早いなぁ」

「――こほん……買いましょう?」


 すごいほんわかした眼差しを向けられたけれど、気にしないわ。こういうのは勢いが大事。気にしたら負けよ。


「ふふ、うん。買おうか」

「ん」


 こくりと頷いて、いったんお話は終わり。食事中は延々と昨日今日のご飯の話を続け、頭の隅では別のことを思う。

 お揃い。そう、お揃いの物について。

 あたしたちって、割とちゃんと恋人やってるけどペアルックとかはあんまり持ってないのよね。こんなにも仲良しで好き合っている人たちって他にそういないと思うのよ。それでもペアルックとかは買ってない。洋服も、アクセサリーも、指輪も。

 別に、買わなかった理由はないと思う。

 贈り物はそれぞれ渡し合って、お互いの買い物には付き合って、欲しいと耳にしたことを覚えていていつかのプレゼントにはした。

 そういえば、今までお揃いの物を欲しいとも思わなかった。どうしてかって、それはきっと、いつも傍にいたから。何か形に残る物以上に、隣に居てほしいと思った瞬間に寄り添っていてくれたから。

 だからきっと、それ以上の"物"は欲しくならなかった。だって、他の何物にも変えられない存在が一番近くにあったから。

 ペアルックなんてものは、相手との繋がりを意識するために欲しがるものなんだと思う。心のどこかで物足りないから、"物"としての形を求めて、同じものを揃えて飾ったり身に着けたりする。あたしは、満ち足りない心を郁弥さん本人が埋めてくれたから。形としての何かなんていらなかった。当の恋人本人が、郁弥さんがいてくれたし。

 でも、買おうって言ってくれたらなら話は別。あったらあったで嬉しいし、楽しい。あと自慢になる。


「――ごちそうさまでした」


 そんな声が前方から聞こえてきて、思考が途切れる。途中からすごい適当な返事をしていた気がする。ていうか全然お話聞いてなかったかも。


「日結花ちゃん、考え事してたでしょ?」

「う」


 ぴくりと肩が揺れる。ちゃんとばれてた。

 ちらっと目線を上げると、いつも通りの優しい顔があった。微笑みがあったかい。安心する。


「どうしてわかったの?」

「あはは、あれだけわかりやすい生返事していればね」

「うぅ、ごめんなさい。考え事しちゃってた」

「いいよ、別に。ぼんやりしている日結花ちゃんも可愛かったから」


 にやにや、じゃなくてにこにこしてる。恥ずかしいのと申し訳ないのとが混ざってどんな顔すればいいのかわかんない。


「それで、どんなこと考えてたの?」


 言いたくないなら言わなくていいよ、と続けながら尋ねてくる。

 ひとまず心を落ち着けて、ゆっくりと話させてもらった。つらつらと、さっきまで考えていたこと。

 話し終えて、席を立って支払いを済ませてお店を出る。お金は郁弥さんが払ってくれた。ごちそうさまついでにほっぺにちゅってしてあげたら、顔赤くして照れちゃった。可愛い。

 お腹もいっぱいになって買いたいものもできて、時間を見れば十四時過ぎ。そこそこに良い時間だった。


「今、十四時過ぎよ」

「そうなんだ。時間はちょうどいいかもね」

「ん」

「どうしようか。先に荷物取りに行く?」

「んー……」


 荷物かー。どうしよう。今は大きい荷物持ってなくて身軽だけど、本当は重たいのずるずる引きずってるのよね。散策は終わったし、お土産買うなら鞄持っておいた方がいい気もするけれど……。

 悩ましいので、アイコンタクトで恋人に聞いてみた。目が合ってぽやって微笑んでくれた。好き。


「好き」

「ふふ、僕も好きだよ」

「えへへー」


 嬉しい。照れる。でもやっぱり嬉しい。

 いちゃいちゃとしながら歩き、一度お手洗いに寄る。口内ケアだけささっと済ませて、なんとなくの流れで外に出る。荷物をどうするかは。

 "どうするのー郁弥さぁん。どうしよっかー。もう持ってっちゃおっか。うふふー、そうねー。鞄なら両方僕が持ってあげるからさ。きゃー頼りになるぅ。代わりに手は離すけどね。それはやだ。"というやり取りを経て持ち運ぶことになった。

 建物内外の寒暖差に震え、変わらず降り続き積もっていく雪を踏みコインロッカーに向かう。キャリーバッグを取り出して、ほっと息を吐くと薄く空気が白に色づいた。


「……」


 少し、思ったことがある。


「ねえ郁弥さん」

「うん?なに?」

「外寒いから、息吐くと白くなるでしょ?」

「なるね」

「あなたの息、あたしに吐いてもらえる?」

「え、嫌なんだけど」

「え?なんで?」


 意味わかんない。なんで嫌がるのよ。

 ぴっと恋人を睨む。困った顔がまた好きであたしが困る。目元が緩んじゃう。なんて卑怯なことをしてくれる人。


「なんでって、普通嫌じゃない?」


 普通!この人普通って言ったわね!!その普通、あたしにとっての普通じゃないから。


「じゃあ逆ならいいの?」

「逆?」

「あたしがあなたに吐息あげる方」

「それならいいよ」

「いいの!?」


 なんでそこで肯定してくるかな。あたしの方が驚いちゃったじゃない。当たり前のこと言ったけどなに?みたいな顔するのやめて。頭の中こんがらがってくる。


「な、なんでそれならいいの?」

「僕、日結花ちゃんのこと好きだし」

「そ、それは知ってるけど……」

「好きな子からされることなら大抵は受け入れられるに決まってるよ」

「んぅ……」


 そこでっ、そこでハグはずるい……っ。

 あぁやばい。ちょっとこの感じだめかも。おかしくなっちゃいそうなくらいドキドキする。好き。好き好き好き……大好き。大好き大好き。ほんとによくないよくない。すっごくよくない。心臓にだけじゃない。絶対身体に悪い。心に悪いのもそうだし、脳にもよくない。今の気持ちだけでもう結構気持ちいいし、快楽物質的なあれこれ絶対盛りだくさんだし、頭の中郁弥さんでいっぱいになっちゃってるし。今すぐキスしてほしいし、たくさんちゅーしたい。なんならこのまま一生抱きしめてもらったままでいてほしいくらい。むしろそれ以上のこともしてほしい。強引にこう、ぎゅぅぅってして、連れ込んで押し倒して――――。


「――はい終わりっ」

「……………え、っと……」


 ……うん。

 わかってる。落ち着いてるわよ、あたし。いい感じに落ち着いてる。外が寒くてよかった。雪降っててよかった。火照った身体に優しい。冬の自然がとっても全身に優しい。

 でも、葛藤があるのよ。落ち着いてはいても、物凄い迷いがある。十分――ううん、五分もあればたぶんいつも通りに戻れる。それからさっきみたいに手繋いでいちゃいちゃして、お買い物して新幹線待ってってなる。なれる。

 だけど、今は別なのよ。この理性と本能の狭間みたいな感じ。郁弥さんに甘えたい欲。相手が郁弥さんだからこそ、許してくれるってわかってるからこそ悩ましい。とてつもなく悩ましくて……。


「ふむ……。ふふ、いいよ。なんでも言って」

「――っ」


 それ、は。そのセリフはだめよ。郁弥さん。よくない。あぁもう、よくないけどいいのね。いいなら言っちゃうから。


「……ね、ねえ」

「うん」

「ぎゅってしてね。それで」

「いいよ」

「ぁ……っ」


 ぎゅってしてくれた。好き。好きだけど、まだ。


「ぎゅ、じゃないから。ぎゅぅぅって、して?」

「任せて」


 はぁぁぁぁ……しあわせ。あぁでも、まだ。もう一つ。


「それから……ちゅー、して?」

「うん」

「……ふぁ……ちゅ」


 …………はぅ。


「――……ん、これでいいかな」

「……んん……」


 はぁ……。夢みたい。幸せ過ぎて、もう、このままで……。


「じゃあ離すけど――っと、危ないな。日結花ちゃん大丈夫?」

「にゅへへ……えへへ……」


 ……はぁぁぁ……少しだけ、冷静になったかも。とりあえず一個伝えないと。郁弥さん心配そうな顔してるもん。あぁでもそんな顔も好き。


「……え、と……ご、ごめんね。郁弥さん……あたし、腰、抜けちゃったっ」


 目を丸くして聞き返してくる恋人に、しょんぼり頷いた。

 ほんとに、キスだけで全身に力入らなくなることなんてあるのね。……勉強になったわ!

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