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86. 展望ロビー

 "霞城かじょうセントラル"の二十四階、展望ロビーから眺める山形市の景色は真っ白な雪に塗れていた。横長の丸椅子から立ち上がり、窓ガラスに近寄る。

 分厚い雲に覆われた空は薄暗く、大粒の雪が視界にちらつく。

 眼下に見える駅と、市街の中心部と思われる建物の群れ。どれもが白雪を被り、冬の色を表していた。遠く遠くへと視線をのばせば、建物の規模は小さくなり、田畑が広がり、果てには霞がかった山々が見えた。

 雪煙に紛れ、横長く連なる山が現実離れしたものに見える。

 目を見張るほどに美しい、一面の銀世界だった。


「……」


 小さく足音を立て隣に並んだ恋人をちらりと見て、そっと手を伸ばす。

 触れた手に力を込める前に、先んじて繋いでくれた。無言で指を絡めて、人の温もりに目を細める。一歩、二歩と身体を寄せて、少しだけ体重を預けた。受け止めてくれる恋人が一際暖かく感じる。


「……ね」

「……なに?」


 ぽつ、と、囁くように言葉を交わす。他の誰にも届かない声で、二人だけの言葉で。


「雪の街って、綺麗なのね」

「そうだね」


 あんまり見る機会がなくて、高いところから見る機会なんてもっとなくて。知らない街の、知らない山の、知らない空の。雪色に染まった知らない景色を見るのは、ずいぶんと新鮮だった。


「あの山さ。なんて名前かわかる?」

「ううん、知らない。知ってるの?」

「うーん、たぶんなんだけどね。蔵王連峰ざおうれんぽうじゃないかなーって」

「ざおうれんぽう?」


 ちょっと聞き覚えのない言葉ね。


「うん。蔵王は知ってるよね?」

「……」


 まあ、ね。そういうこともあるわよ。


「ふふ、そっか。えっとね。僕も詳しくはないんだけど――」


 やんわりあたしの頭を撫でて、詳しく教えてくれた。

 なんでも、宮城県と山形県を跨ぐように連なる山々があるんだとか。位置としては東北でも南の方で、スキー場で有名なんだって。郁弥さんも行ったことないらしいから、見聞きした話だけみたいだけど。いつかスキーもしたいね、なんて言ってくれた。こくこく頷かせてもらった。ぜひ一緒に行きたい。

 そんな蔵王連峰が、あの遠くに見える山たちらしい。距離が遠いからスケール感全然わからないけど、近づいたらたぶんめちゃくちゃ高いんだろうなーって思う。ていうか絶対高いでしょ。何百メートルじゃなくて、何千メートルって話よね。山だし。


「ねえ郁弥さん」

「うん」

「……」

「……?」


 頭の上に疑問浮かべてこっち見ないで。あたしも困ってるから。

 今、勢いでキスして?って言おうとしてたの。あぶない。話の流れぶった切ってのそれは意味わかんないじゃない。ちゅーして?ならいい――わけないわね。いいわけない。同じ意味だし。抱きしめて、もだめ。うん、だめ。あたし、他に何か聞こうと思ってたはずなんだけど……あ。


「思い出した。ねえ郁弥さん」

「うん?うん、なに?」

「今何時?」

「ええ……うん、ちょっと待ってね」


 微妙に変な反応だった気もするけど、気のせいよね。普通にポケットから携帯取り出してくれたし、全然おかしくないもん。


「十二時過ぎだよ」

「ふーん、何分?」

「十分くらい」

「へー」


 十二時十分か。なんか時間聞くとあれよね。いっきに現実に引き戻される感じあるわね。


「一応お昼は過ぎたけど、お腹はどんな感じ?」

「あたしは……あんまり変わってないかも。郁弥さんは?」

「僕も。あんまり減ってないな」


 意外とお腹減らないのよ。朝ご飯ちゃんと食べたのもあるかもだけど、バス乗って電車乗ってただけだからっていうのもあるかも。場所は移動しても運動って意味での移動は全然してないもの。


「んー、とりあえず写真だけ撮りましょ?」

「そうだね。撮ろうか」


 さっきドキドキしすぎたからか、今はもう最高に冷静だった。普通に今の状況と場所を楽しめる。写真撮影タイムよ。たぶんもう二度と来ることない……ないわよね。たぶんないし、しっかり残しておかなくっちゃ。


「でもどう撮る?いくら僕でもこの状況でカメラセットして撮るのは無理だよ?」

「えーなんでよー?」

「僕もまだ、羞恥心、ってやつを持ってるのさ」

「そ」


 適当に流したら傷ついた顔しちゃった。可愛い。撫でてあげた。ほっぺた赤くして恥ずかしそうにしてる。好き。

 適度にイチャつきながら、カメラが無理とわかった段階で決めていた携帯電話を取り出す。別名撮影機材。

 手慣れた流れで二人横に並んで、雪色の街並みを後ろに写真を撮っていく。ぱしゃぱしゃと写真を撮って、外の写真だけもそれなりに撮って、人の座っていないところに移動して写真を撮って。雪景色であることには変わりなくても、それぞれ建物が違って面白い。すぐ近くから田んぼが広がっているところもあれば、遠くの果てが高い山並みじゃなかったりと。さすがに二十四階ともなれば全方位遠くまで見渡せる。

 飽きちゃうくらいには写真をたくさん撮って、満足の一息。


「――満足したわ!」

「それは何より」

「蔵王連峰とか昇ってみたくなったかも」

「お一人でどうぞ」

「なんでよ!一緒に行きましょうよ?ね?」

「僕、高所恐怖症なんだ」

「嘘ね」

「ほう……根拠は?」

「前に高いところ好きって言ってたもの」

「……僕、低酸素状態が苦手なんだ」

「二人で高所トレーニングね!」

「僕、山登り嫌いなんだ」

「あれは連峰だから大丈夫よ」

「じゃあいつかね。ロープウェイで登れるはずだから、それで行こう」

「えっ」

「蔵王ロープウェイって有名なんだよね。実は」

「ええー。さっきまでのやり取りは?」

「僕なりのマウンティングってやつ?」

「……それ、もしかしてマウンテンとかけてる?」

「あ、よくわかったね」

「あなたの恋人だし。それくらいはわかるわよ……。あんまり上手くなかったけどね」

「じゃあ山登りコミュニケーションで」

「直球ね。ていうか山登りコミュニケーションって何よ」

「登山コミュニケーションとも言うかもしれない」

「それ同じ意味じゃないの。まったくもう」


 何か結構なくだらない話をした気もする。忘れましょう。

 気持ち入れ替えて、これ以上霞城セントラルに居座っているのもなんなので、華麗に去らせてもらうことにした。

 一見ドキッとする空間も見納めで、ガラスの外に広がる綺麗な銀世界を目に焼き付ける。次に似たような景色を見ることになるのは、早くて来年。遅ければ数年後にはなるから。

 なんだかんだ楽しませてもらった展望ロビーに別れを告げ、エレベーターに乗り込む。他のお客さんはいなくて、ちょうどあたしと郁弥さんだけの二人きり。

 ふと、思いついた。


「郁弥さん郁弥さん」

「うん、うん。なに――」

「――ちゅ」

「んっ!?――え、い、いきなりすぎない!?」

「うふふー、不意打ちキス成功っ」


 はー。やっちゃったやっちゃった。顔熱い。郁弥さんも顔赤くなってるー。えへへ、ちゅーしちゃった。ほっぺたなんかじゃないし、ちゃんと唇にちゅーってしちゃった。

 あたし、よくやったわね!


「えへへ、ねえねえ。嬉しかった?」

「いやまあ……嬉しかったけど」

「えへへへぇ」


 照れながら口元もにょもにょさせて、眉下がってるの郁弥さんらしい顔。これを見られただけでキスしてよかったってものよ。


「……はぁぁー。うん。おーけー。まあいいや。驚いたけど全然嫌とかじゃないし。うん。日結花ちゃんが楽しそうだからいいや」

「えへへ、だから郁弥さん大好き」

「はいはい。僕も日結花ちゃんのこと大好きだよ」


 幸せオーラを振りまいて、気分ふわふわなあたしと郁弥さんを乗せてエレベーターは下っていく。

 エレベーターが一階に着くまで、あとほんの少しの時間。恋人の顔を見るのがなんだか照れくさくて、ぎゅーっと彼の腕を抱きしめたままでいさせてもらった。

 恋人とする甘ったるい旅行の醍醐味をまた一つ味わったような、そんなこそばゆい気分だった。

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