81. 空の話、雪の話、春の話。
雪に囲まれた町、大石田。山形県北東に位置する町で、昨日から今朝にかけて滞在していた銀山温泉のある地域とは異なる。銀山温泉は尾花沢市の一部に属しており、大石田駅は大石田町という自治体に入っている。
今さらながらに地名を調べて発覚した。
「――らしいけど、知ってた?」
「僕が知ってたと思う?」
「ううん、ふふっ」
お隣に座る恋人がきまり悪そうな顔で答える。可愛い。
携帯を眺めつつ時間を見たら時刻は朝の十時十分を過ぎたところだった。銀山温泉から送迎車で大石田駅までやってきて、雪に降られて寒い中も写真を幾枚か撮った。あたしたちらしいと言えば、かなり"らしい"写真を撮っておいたので、NEMUのグループチャットに貼り付けさせてもらう。昨日からの返事が色々と来ていて、"自慢かしら?不快なのだけれど"とか"私も貼っちゃおうかなぁ"とか"あなたには相手がいないのだから無理じゃないかしら?"とかとか、あたしを抜きにして話が進んでいた。特に返事はせず、写真だけ放り込んでアプリを閉じる。
横を見たらなんとも言えない顔をしてあたしを見つめる恋人さんが。
「なあに?」
「……ううん、なんでも」
笑顔で封殺させてもらったわ。
先に進んでいた他の宿泊客は待合室に座っていたり、もう駅のホームに行っていたりと分かれていて、あたしと郁弥さんはお土産屋さんに進ませてもらった。駅の外で写真撮っている人もいたけれど、さすがにそんな寒い中でずっとぱしゃぱしゃイチャイチャなんてしていられない。ええ、いられないわ。二人で雪についた足跡撮ったりツーショット写真撮ったりしてたのはノーカウントよ。そんな時間かかってないもの。
大石田駅は新幹線が止まるからといってそう大きな駅ではないので、待合室も言うほど待合室っぽくはない。改札と一体化しているというか、券売機のすぐ近くに座るスペースがあるだけ。その改札からお土産屋さん件観光案内所に通じているのが特徴と言えば特徴かもしれない。
券売機で山形駅までの切符を買い、二人でお土産屋さんに入り、設置されていた長椅子に座った。他のお客さんもいるので、割と距離は近め。いつもより近い――ううん、いつもと同じ距離感かも。
「ところでダーリン」
「……なんだい日結花ちゃん」
「……」
「な、なにかな」
「……むぅ」
じーっと郁弥さんの瞳を見つめる。動揺してゆらゆらしている瞳が愛おしくて、ついつい意識が持っていかれそうになる。あぶない。
結構ちゃんと小声で話しているのだから、軽く呼び返してほしかった。でもま、ここは寛大な心で許してあげましょう。
「まあいいわ。それより、ね。お話しましょ?」
彼自身の太ももの上に置かれた手に手を重ねて、指同士の隙間を埋めて肩を預ける。ゆっくりと身体から力を抜き、受け止めてくれる心地よさに身を任せる。
ただただ、ゆったりのんびりしていたかったから。なんとなく、バスの中にいるときからずっと思っていたこと。
「……うん」
どうにもあたしから話を広げる気分じゃなくて。眠くはないけど、部屋は暖かくて郁弥さんも温かいから気持ちよさがすごくて。このまま電車が来る時間までぼんやりしているのも悪くないかも、なんて思っちゃう。
「雪、降ってたね」
そっと、それこそ音なく降る雪のように静かな声の呟きを耳が拾った。
「ん……ええ、降ってたわね」
口元を緩めて、呟きに言葉を返す。
「僕、やっぱり雪の空って好きだなぁと思って」
「雪の空?」
「うん。薄暗くて灰色で、でも曇り空よりも白っぽくて冷たくて、空の色も降ってくる雪も、空気一つ取っても冷たくて。徐々に眠くなってくるような静けさがある空」
「ふーん……」
目を閉じたまま聞いていると、彼の話す情景が目に浮かんでくる。
さっきまで見ていた空。白雲とも言えそうな雲の塊。それでも青空に点在する雲よりはずっと暗くて、雪の日特有の雰囲気をまとった空の色。
いつかどこかで、好きな空の話はした覚えがある。郁弥さんとは、もういっぱいに話をしてきたから。好きなもの、嫌いなもの、苦手なもの。好きな空の色や天気だってもちろん話した。そのときにどんな答えをしたかはあんまり覚えていないけれど、少し考えれば答えは出てくる。
「あたしも雪の空は好きよ」
青一色の空も、鰯雲のように白雲で彩られた青空も、深く濃い空の重さを感じさせる雨空も、時折陽光が差し込む曇り空も。どんな空も好きで、もちろん雪の空だって好き。
でも、一番好きな空は一つしかない。いつだって想い馳せれば脳裏に浮かぶ。暖かで穏やかで、それなのにくすぐったさを感じる柔らかな風を運んでくれる空。
「でもね、それ以上に春の空が好き。桜の香りに満ちた、春風吹き渡る一面の暖かな青空」
瞼の裏に景色が広がる。何度も訪れた公園で、桜の木の下で春の淡い風を浴びながら二人寄り添って座っているの。横になっているのでもいい。仰向けで、手を繋いで。桜の枝の隙間から差し込む光が眩しくて、顔を逸らした先に好きな人の顔があって。少しだけ照れくさくて、でも楽しくて笑っちゃって。ひらひらと舞い降りてくる桜の花びらを捕まえようとして届かなくて。待っていたらあたしか、郁弥さんかの髪に落ちてくっついて。実はお互いの髪についてて二人でくすくす笑い合ってもう一回ピクニックシートの上に横になって――ううん、芝生の上に直接でもいいかな。
二人で横になって、見上げた空は桜色で。遠くに青色が映って見えて、繋いだ手の温もりがどこまでも優しくて。本当の本当に、幸せで幸せで、どうしようもないくらいに幸せで。
そこで、プロポーズされるの。
昔はもうちょっと定番だったりロマンチックなのがいいって思ってたけど、今は違う。当たり前の生活の中で二人でいられる幸せを感じるような、そんな瞬間にプロポーズされたい。前置きなんてなくていい。特別な言葉も、特別なプレゼントもいらない。これからもずっと一緒にいてほしいって、今のままの幸せをずっとって、そう言ってもらえればいい。
二人で得られる幸せを、ちゃんと幸せだと感じながら一生を過ごしていきたい。郁弥さんと、あたしの二人で。
「……あー、ええと、うん。日結花ちゃん」
「ん、なに?」
巡らせていた思考を止めて、自然と緩んでしまっていた頬を軽く引き締める。軽くでいい。今はそこまでしゃんとしなきゃいけない時間じゃないから。
「いや、うん。なんて言えばいいのかな」
「?なあに?」
やけに歯切れが悪い。身体預けたままだから顔をは見えないけど、それでも声音から表情が想像できる。
「えっと……ほら、全部聞こえてたから」
「…………?」
「いやだから、桜のこととか、公園のこととか」
「っ?!?!」
なんでっ!?!?
「っと急に起き上がったら危ないよ」
「きゃぅっ、きゅ、急に抱きしめなないでくれるかしらぁ!?」
「言葉絡まってるよ。ほら落ち着いて?深呼吸深呼吸」
「う……すぅ……はぁぁぁ……すぅぅ……はぁぁ……はぁ……ん。もう、平気」
ほんとは全然平気じゃないけど。さっきよりはましになったから大丈夫。たぶん。
「そ、それで、どこから聞こえてた――いえ、あたし、大きな声で喋ってた?」
まったく記憶にない。困った。
こっそり身体を起こして周囲を見渡すと、買い物客と店員さんはそのまま、近くに座っていた老夫婦がなんかものすごい優しい目であたしのことを見ていて、同じくらいの距離にいた女の子二人組が顔を赤くしてあたしを見ていた。もうめちゃくちゃに見られていた。自分の顔に猛烈な勢いで熱が灯るのを感じる。
「そこまで大きな声じゃなかったよ。でも近くの人には聞こえてそうな――あぁ、うん。もうお分かりのようで」
既に抱擁を解いていた恋人に、勢い良く身体を寄せて彼の胸に顔を埋める。久しぶりの結構な恥ずかしさだった。
頭の隅が冷静なのは、きっと羞恥心が一周回って冷静に変わったってやつだと思う。うん、もう堂々としていいような気がしてきたもの。絶対やらないけど。
「ふふ、僕は嬉しかったよ。春空か。いいよね。今度さ、二人で行こうよ。今年、じゃないか。来年の春。またいつもの公園で、満開の桜の下でお花見しよう?」
優しく柔らかく。ゆったりと髪を撫でつけてくる郁弥さんに、羞恥心と同じくらいの温かな気持ちがこみ上げてくる。
「プロポーズはまだできるかわからないけど、楽しくて嬉しくて、幸せいっぱいなのは間違いないだろうから。君の好きな桜色の空の下で、君の好きな景色を見ながら、君のことを世界で一番に大好きな僕と一緒にさ」
穏やかな声が降り注いでくる。あたしの大好きな人の大好きな声。
ちょっとした妄想だったのに、全部包み込んで抱きしめて本物にしようって言ってくれた。恥ずかしさを上塗りするように嬉しさで胸がいっぱいになって、自分でもわかるくらいに口角が上がって目尻が下がる。
それでもまだ、あんまりたくさんの言葉を言えるような気がしなかったから。だから。
「うんっ!」
顔を上げて、真っ直ぐに恋人の顔を見つめて頷いた。彼の瞳に映ったあたしの顔は、これ以上ないほどに緩み切って、桜の色なんて振り切るくらいに赤く染まっていた。




