80. 帰りのバス、大石田駅前
「――ちゃ…ん」
……う。
「――ゆか……ちゃん」
……なんか……身体が重い…かも。
「――日結花ちゃん」
「……んぅー」
あー……なんとなく、うん。なんとなく、頭はっきりしてきた。
「日結花ちゃん、起きた?」
好きな人の声が聞こえるおかげで、やっと目が覚めてきた。あたし、寝てたのかな。
「ん……おきた」
まだちょこっと寝てるけど、だいたい起きた。
「ふふ、おはよう」
「……えへへ、おはよ」
にっこり笑顔が眩しい。かっこいい。すき。
「気分はどう?悪くない?」
聞かれて、ちょっぴり考え込む。
寝起き?だからあんまりよくわかってないの。とりあえず目の前には郁弥さんのお顔。姿勢的にはあたし、もたれかかってる感じっぽい。寝る前は後ろから抱きしめられてたけど、今は横抱きになってるみたい。
なんとか顔だけ向きを変えて窓を見る。寝る前と変わらず暗い空と雪色の景色が広がっていた。まだ駅には着いていないらしい。顔を戻して、見下ろしがちで首が辛そうな恋人さんと目を合わせる。
「……えへへ、郁弥さんすきー」
「あぁ、うん。僕も好きだよ」
やわやわ頭を撫でてくれた。しあわせ。
まだ着いていないみたいだし、もうちょっとこのままでもいい気がする。うん。このままでいいと思う。
「郁弥さん郁弥さん」
「うん、なに?」
「今どこ?」
「うーん、バス乗ってから二十分は経ったからね。もうすぐ着くと思うんだけど……ほら、街っぽくなってきてない?」
「えー……」
優しく髪を撫でつけられながら、のそっと首を動かしてもう一度窓の外を見る。雪いっぱい。灰色いっぱい。遠くに針葉樹の森っぽいの見えるけど、雪で霞んでその先はもうなんにも見えないくらいになっている。畑か田んぼか。どちらかはわからないけれど、どちらにせよ街は全然見当たらない。
「……街?」
視線を動かして、恋人の顔を見上げて尋ねたら目を逸らされた。髪を撫でつけてくれていた手も止まる。街どうこうはともかく、そっちは許せない。
「む、ちゃんと撫でて」
「え、うん」
抗議は成功した。完璧。
目も覚めて気分もぐんぐん上がってきたので、もそもそ動いて姿勢を変えた。寝る前と同じ、郁弥さんに背中を預ける形。やっぱりこの体勢が一番安定する。
「……」
「……」
なんか途中で話すの止めちゃった気がするけど、まあ別にいいわよね。それより、郁弥さんの話だとバスに乗って二十分だったかしら。たしかこの送迎バス、銀山温泉から大石田駅まで三十分かからなかったはずでしょ。ならもうすぐ着くのもわからなくはないけれど……窓の外の景色ずっと雪畑が続いているせいでよくわかんない。
そのうち着くからいいかな。ていうか、あたしこんな短い時間で寝ちゃったってことよね。どれだけ疲れてた――わけはない……あぁでも、ちょっぴり寝不足感はあったかも。単純に睡眠時間短いし。でもそれ以上に恋人枕が気持ちよすぎて。昨日の夜も思ったけど、郁弥さんと一緒だと安心しすぎてだめ。すぐ眠くなっちゃう。
「……ふぁ……ふぅ……」
ついあくびが出てしまった。
口元に手を当てて上品さを保ちつつ、今さらながらに周囲の物音へ聞き耳を立てる。
"今日さー、これから秋田まで行くじゃん?""写真、良いものが撮れましたか?""宿に泊まって寝て起きただけなのに、結構疲れてるんだけど。年かな?""秋田ねー、あんま予定立ててなかったよね?どうするんだっけ?""寄る年波には勝てないと言いますが、ふふ、まだそんな年でもないでしょう?"
適当に。適当に聞いていたら、案外みんな普通というか。あたしたち、結構ちゃんとらぶらぶしたお喋りしちゃってた気がしたからどうかと思ったけど、別に全然気にしなくてよかったみたい。まあ、声量的に聞こえてないと思えばね。それに、普通旅行中にわざわざ他人の会話じっくり聞いたりしないわよ。
「外、綺麗だね」
「ん……ええ、綺麗」
雪と、空と。
遠く遠く、果てまで続く雪の空が綺麗で。こんなにも綺麗なものを心穏やかに見つめていられることを幸せに感じる。ありふれたものなのかもしれない。わざわざ帰りのバスでじっと見るものでもないのかもしれない。でも、あたしは郁弥さんとこの景色を共有できてよかったと思う。二人で見ることに意味がある。二人で見られたことに意味がある。
きっと、冬によく見られるこの景色を美しいと感じて見入っているのはあたしたちしかいないから。特別なものじゃなくても、ありふれたものでも。あたしにとっては――あたしと郁弥さんにとっては大切なものになるから。
なんでもない時間を、なんでもない空を、なんでもない景色を二人で喜び合えることこそが幸せだと、そんなことを思う。もちろん、幸せは他にもいっぱいあるけれど、ね。
「――」
口の中で、そっと呟く。誰にも聞こえないように。郁弥さんにさえ聞こえないように。何の脈絡もなく、いきなり言うのは恥ずかしかったから。いつにも増して恥ずかしくて、言葉にしていないのに顔が熱くなっちゃったくらい気恥ずかしかったから。だから、身体を後ろに押し倒すように力を入れて、もっととそれとなくせがむ。無言でぎゅぅっと強く抱きしめてくれて、あったかくて幸せだった。
そうして。
そうして、頭の中ふわふわぽやぽやしたままでいたら、いつの間にか大石田駅に到着していた。外の景色を見ていたはずなのに記憶がないので、ちょっぴりうとうとうつらうつらしちゃっていたらしい。
「……郁弥さん」
「うん」
「……あたし、寝てた?」
「ふふ、そうだね、少し寝てたかな」
「……んぅ」
耳がこそばゆい。相変わらず後ろから抱きしめられているせいで顔が近い。あんまり寝てた実感ないから眠気はないけど、その分恥ずかしさがある。なかなかの羞恥心。
「よしよし。僕らも降りる準備しようか」
「……ん」
さわさわ髪を撫でられた。嬉しい。こう、子供扱いっぽい感じもあるけれど、手つきがちゃんと優しくて距離感が近いというか。なんか、ちゃんと"女の子"として触れてくれてる感じがするから。うん、撫でられるのは好きだし嬉しい。
普段より胸をドキドキさせながらも、姿勢を正して郁弥さんの顔を見て笑顔いっぱいになって、バスを降りる人の流れに沿って駅前に降りさせてもらった。運転手さんにお礼を告げつつ足を着けた地面は当然のように雪で埋まっていた。
「うー、さむい」
「寒いねー」
空は薄暗く、髪に触れる雪が冷たい。傘を差さず数十分立っているだけで雪濡れになってしまいそうな予感がする。
吐く息白く、視界全てに降る雪が映る。
昨日、この駅に来たとき以上に雪は積もっていた。急な寒さから逃れるためそそくさと歩いている途中にも、ちらちらと除雪の後と思わしき雪の山が見え隠れしている。そんな雪山に追いつこうとコンクリートには雪が積もり、足を踏み出すたびにむぎゅりと沈んだ音がする。
しっかりと残る足跡を振り返り、手を繋いでいる恋人を引き留めた。
「どうかしたの?」
「見て見て」
「……うん?」
「足跡があるわ」
「そうだね」
「……」
「……」
無言でやんわりと髪を撫でられた。
別に変なこと言ったつもりないし、特別何かしてほしいってわけじゃなかったんだけど。ただ、もうちょっとこう、できれば一緒に喜んでくれたらなぁとか、ね?うん。そういう感じ。
「日結花ちゃん日結花ちゃん」
「ん、なに?」
手を離され名前を呼ばれて、寂しいついでに顔を向けたら郁弥さんが携帯を持っていた。
何をしようとしているのかの察しがついて自然と口元がほころぶ。さすがにこれは、抑えようにも抑えられない。
「えっと、郁弥さん……えへへぇ」
「はいはい。日結花ちゃん。写真、撮ろうか?」
「うんっ」
やっぱり、持つべき恋人は郁弥さんだけよね!




