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79. 雪中、帰りのバス

 バスに乗る。銀泉花ぎんせんかと書かれた旅館のバス。

 雪に濡れた身体は冷えて、タオルで拭った後も湿り気は帯びたまま。旅館の人から荷物を受け取り、大きな鞄を持ち上げて車内に入っていった。

 車内の席は数えて十五程度。宿、銀泉花さんの部屋数が八つくらいだと考えるとおかしくはない。ただ、一部屋に泊まれる人数が二人ってわけじゃないし、なんなら大きな部屋も含めばもっと数はいく。朝の送迎バスはこの時間帯だけって聞いてるから、そうすると席は絶対足りなくなる。……のだけれど、まあたぶんもうちょっと大きいバスもあるらしいし、その辺は大丈夫なんでしょうね。今日は人数少ないからかな。わかんないけど。

 色々と頭を巡らせながら歩いて、空いている席に座った。それなりに席は埋まっていて、ざっと見た感じ十人くらいは人がいた。年齢層は幅広く、行きのバスで見た記憶のある人もいる。お年寄り、若者、女の人同士、男の人同士と。夫婦らしき人から友達らしき人まで。だいたいが二人組で、一組だけ女の人三人のグループがある。年齢的にあたしと同じくらいかな。結構若い。


「郁弥さん郁弥さん」

「うん、うん。なに?」


 窓際に座って、荷物は足元へ置いて。お隣の恋人に肩を寄せて名前を呼ぶ。

 座席としてはドアのある側すぐ近くの反対、入口から見て斜め右前といったところ。空いているところがあんまりなかったし、正直場所はどうでもいい。

 それより名前を呼ぶたびに思うけれど、好きな人の名前を呼ぶのは結構気分がいい。ちゃんとお返事をくれるのがまた嬉しい。


「バスに来たわね」

「……来たね?」


 じっとあたしの目を見つめて、いったい何を?とでも言いたげな眼差しを向けてくる。可愛い。好き。

 ふふりと微笑んで、なんでもと伝えて手を握った。

 小さめのキャリーバッグが足元にあるせいで場所は取られている。ミニバッグも持っているから地味に邪魔でもある。ただ、この狭さも恋人との距離を詰めるためのエッセンスだと思えば悪くない気がしてくるから不思議。

 なんとも言えない喜びを胸に、鞄から携帯を取り出して時間を見ると時刻は九時四十分前を指し示していた。外で写真を撮っていた人もあたしたちが乗った後すぐに乗ってきたから、乗り遅れはいないと思う。

 ちらりとバスの入口――外を見ても人影はない。駐車場の脇に積もった雪が見えるだけ。視線を戻して窓の外を見ようとしたら、途中で恋人に捕まっちゃった。


「……」

「……」


 捕まっちゃったっていうか、目が合ったからそのまま見つめちゃったっていうか。うん。しょうがない。これは不可抗力。郁弥さんがあたしのこと見てくるから悪い。好きな人に見つめられたらそりゃ見つめ返しちゃう。


「えへへ」

「はは」


 にこりと二人で緩く笑って、やんわり肩を揺らしてあったかいコミュニケーションを取った。今は言いたいこともないので、さらっと流して窓越しの外へと目を向けた。

 雪が降っている。マイクロバスが三台、四台は停められそうな広い駐車場から外、屋根を外れた先。冬に咲く緑が白雪に彩られ、真っ白な雪色に染まっていた。それぞれの専用駐車場が立ち並ぶエリアだからか、視界の隅に大きなバスも見える。でもやっぱり、よく見えるのは空から止まることなく降り続ける雪の粒で。散々に見た雪であっても、ここに降る雪はここでしか見られないから。見ているだけでかすかな寂しさが胸によぎる。


『間もなく――』


 夢から現実に引き戻すようにアナウンスが聞こえてきた。バスの運転手の声。


「日結花ちゃん」

「ん、なに?」


 さっきとは逆の立場。名前を呼ばれて返事をする。顔も向けて目を合わせる。

 名前は呼ぶのも呼ばれるのも、どっちでも相手が好きな人だとずいぶん嬉しい。


「……」

「……」


 なにかしら。別にあたしはずーっと見つめ合っているのもいいんだけど、用事ないとか?


「……いつか」


 待つこと十数秒。時間をかけて言うのは、未来の話。

 こつり、と額を合わせて。あたしだけに声が届くように、バスの音も車内の話し声も通り抜けて伝えるようにと呟く。


「いつか、また冬が訪れたときにさ」


 二人きりで。物音はたくさんするはずなのに、どうしてかこの人の、郁弥さんの声しか聞こえなくて。繋いだ手から、合わせたおでこから熱いくらいの体温が伝わってくる。


「二人で。僕と日結花ちゃんで来ようね」


 帰りの送迎バスの中で。銀山温泉とのお別れの時間に。柔らかく微笑んで、またね、なんてことを言う。

 明るく笑って言葉を返せればよかったのかもしれないけれど、今のあたしはそんな気分じゃなかったから。だから、あたしも彼と同じように薄く笑みを湛えて、こっそりと恋人にだけ聞こえるように呟く。


「――ええ。あたしとあなたで、ね」


 いつになるかはわからない。でも、"いつか"でいいと思う。まだまだ、あたしと郁弥さんの時間は長く続くから。今日だってそう。バスに乗って、駅に着いて。それから電車に乗って――。


「ね、郁弥さん」


 いつかの未来に思いを馳せて、今日という今に思いを寄せて。そっと合わせていた額を離して両の手を繋ぐ。繋いだ手を眺め、じんわりと伝わる体温を感じて、もう一度恋人と見つめ合って言葉を交わす。

 未来の話をするのは、まだ少し早いから。今は"今"の話をしたいと思ったから。


「うん」


 頷く恋人に、微笑んで言葉を続ける。


「今日、これからどうする?」

「これから?」

「うん。これから。大石田駅着いてからもそうだし、電車乗ってからもそう。"いつか"の話は帰りの新幹線でも、帰ってからでもできるでしょ?でも、"今"の話は今しかできないじゃない。ね?お話しましょ?」


 感傷的になるのは、もう少しだけ後でいい。今は今の話をしたいと、そう思う。

 郁弥さんはほんのりと笑って、小さく頷いた。


「うん。わかった。そうだね、今は今の……これからの話をしようか」


 そうして、ちょっぴり寂し気な空気はなくなって。今これからすぐの話をしていくことになった。

 もうバスは出発していて、どことなく見覚えのあるようなないような景色が窓の外を流れていく。

 雪、雪、雪。山の中一面雪だらけな世界を進んでいく。

 二人でじっと、雪景色を眺める。


「――駅、着いたらさ」


 後ろから、囁くように聞こえてくる声へ小さく頷きを返す。あたしからは見えなくても、郁弥さんにはちゃんと動きが見えているはずだから。


「二人で写真、撮ろうよ」


 半ば後ろ手に、くいくいと恋人の服をつまんで、引き寄せて。ぎゅぅっとしてもらえるようにと合図を送る。察しの良さは変わらず、意図を掴んでゆっくりと抱きしめてくれた。横抱き、というよりバックハグのような形で抱きしめられた。恋人の吐息が耳をくすぐる。耳元に人肌の温かさを感じた。

 一通りしてもらいたいことはしてもらって満足したので、彼氏さんに言葉を返す。


「どこで撮るの?」


 ずいぶんと顔が近いから、自然とこちらも囁き声のようになる。耳を澄ませても聞こえないような、本当に頬と頬が当たるくらいの距離感にいないと届かないような声量で伝える。


「どこか……駅のホームとか?」


 言われて、少し考えてみる。

 銀山温泉――の前の大石田駅に来たとき、それなりに写真は撮った。カメラは使わないで携帯を使った記憶がある。駅の待合室は入らずに通り過ぎて、駅前ではたくさん時間を使った。雪ではしゃいで、写真を撮って、二人でたたずんで。寒いのに雪を浴びて風邪は……引いてないわね。風邪になっちゃってたら今こんな元気じゃないし。

 たった一日前、昨日のことなのに、もうすごく時間が経ったような気がする。


「ふふっ」

「?どうかした?」

「ううん、なんでも」


 聞いてくる郁弥さんに笑って答えた。

 昨日と今日でそれだけ濃い時間を過ごしたって、そう思うと楽しくて笑っちゃった。それより、駅のホームよね駅のホーム……。


「……まあ、あなたと一緒ならどこでもいいわ」


 正直どこでもよかったから。あたしから聞いていおいてなんだけど、場所はどこでも、ね。郁弥さんと二人で撮れるならそれだけでいい。あぁ、あと。


「それと、二人でゆっくりしたいかも」


 新幹線降りたときのこと思い出してたら、通り過ぎた待合室も思い出したから。さすがに外でゆっくりはできないけれど、駅構内ならあったかいしのんびりできると思う。駅に到着してから電車に乗るまでの時間もあったはずだし、ちょっぴりゆっくりするくらいはできるはず。


「そっか。そうしようか」


 しんみりと呟く郁弥さんに小さく頷いて、身体の力を抜いて体重を預ける。あたたかくて、静かで、心が落ち着く。

 見つめる窓の外は山を越え、濃い灰色の雲に覆われた空と遠くまで続く雪原でいっぱいになっていた。予報通り雪が降り止む気配はなく、今日も山形は冬の色に染まっていた。

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