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74. 朝過ごす時間と食事

 朝風呂に早朝写真撮影、そして早起きツーショットを撮って朝食の時間が近くなってきた。携帯で見る時刻は七時二十分。あと十分で朝ご飯の時間になる。

 ひたすらにお布団でごろごろべたべたしていただけなのに、あっという間に時間が過ぎてしまった。時間の不可思議さをちょうど今実感している。


「ねー郁弥さーん」

「へい」

「郁弥さんって朝弱いのよね」

「弱いよ。低血圧だし」

「知ってる。でも、それにしては今日初めてくらいだったと思うのよ」

「うん?」

「ほら、すごーくふにゃふにゃで眠そうな感じの」

「あー」


 納得の声がお隣から聞こえてくる。

 寝転がったまま手だけ繋いで。さすがにもう眠気はない。あたしも郁弥さんも、ばっちり目は覚めている。お風呂上がりの気だるい感じもなくなって、調子はお風呂前後よりもずっと良い。


「二人で、というか君の家に泊まるとき早起きなんてしてこなかったからねぇ」

「そういえば、そうかも?」


 そんなような気がしなくもない。六時前なんてあるわけないし、そもそも目覚ましをかけた覚えすらない。


「僕、変なこととか言ってなかったよね?」

「んー?」

「朝の話」

「んー。どうだったかな」


 変なことは言ってなかったと思う、けど。それをそのまま伝えても面白くない。


「ええと、しゅきしゅきだいしゅきー、ひゆかちゃんしゅきー。くらいかしら」


 いい感じに自然と言えた。なかなかに恥ずかしいセリフだけど、あたしが恥ずかしがってちゃおかしいから、普通に軽く言えばいい。これで恥ずかしいのは言った張本人である郁弥さんだけだもの。


「……僕がそんなこと言ったの?」

「ええ。あたしのことぎゅーって抱きしめてね」

「ははは、冗談を」

「本当よ?」

「……本当?」

「ふふ、どうかしら?」


 なんとも緊張感のある声色から一変、ほっと短い吐息が聞こえてくる。遊び半分だったとはいえ、相変わらず察しの良い。


「まあ、うん。冗談ならいいや。実際そんなこと言ってたら、これからどんな顔で話せばいいかわからなくなってたところだけど」

「うふふ、そうねー。あたしも恥ずかしくって顔見れないかも」


 言うのも言われるのも、どっちでも、ね。

 それから、二人の間で言葉が途切れる。ゆったりとした息遣いと、隣の部屋から聞こえてくるかすかな生活の音。聞こえるのはそれだけ。静かで、穏やかで、ここにいるのはあたしたちだけだと切に感じる。二人だけの時間が、温かさに満ちたこの時間が、どうしようもなく愛おしい。


「……ふぅ。ねえ日結花ちゃん」

「ん」


 ぽつりとした呼びかけに小さく声を返す。繋いだ手にほんの少し力を込めた。


「朝ご飯、行かないとね」

「……んぅー」


 現実に引き戻された。抗議の意味を込めて、くるりとお布団の上を半回転して恋人の身体の上に乗っかった。目と目がぴったりと合う。


「えへへぇ」

「はいはい、可愛い可愛い」


 自然に笑顔になっちゃった。言葉は雑でも、ちゃんと抱きしめて頭撫でてくれる。嬉しい。好き。


「もう時間だから、朝ご飯行かないとねー」

「んんぅー、もうちょっとこのままがいいー」


 さらさらと髪を撫でつけられていると、それだけで幸せな気持ちになってくる。

 顔を伏せたらちょうど郁弥さんの胸元で。あったかくていい匂いがして幸せ度が上がっていく。


「……しょうがないなぁ。もうちょっとだけだよ」

「えへへー、ありがと」


 優しい恋人さんにほっぺたを預けて、もうちょっとこのままでいさせてもらう。

 ちっちゃなわがままも笑って許してくれるところとか、やっぱり大好き。



 朝から存分にイチャイチャとして恋人成分を摂取した後、ようやく朝食のために部屋を出た。時間は本当にぎりぎりの七時二十八分。髪の毛は下ろしたまま、お化粧はなんにもしないでと、普通じゃしない状態で向かうことになった。

 軽く髪の毛整えたりは郁弥さんにしてもらって、浴衣の着崩れも直してはおいた。最低限、人前に出られるようにはなったと思う。

 部屋の鍵を恋人が閉めるのを待っていると、鼻をくすぐる食事の匂いにお腹がきゅるりと鳴った。後ろから届く優しい笑い声に頬が熱くなる。

 顔を手で仰ぎながら、朝食の会場である大広間の入口に目を向ける。あたしたちのお部屋から斜め右正面。お食事処です、って看板が立てられていて、引き戸の扉が開かれたままになっていた。人はいないけれど、食器の音はこちらまで聞こえてくる。


「おまたせ」

「ん、行きましょ」

「うん」


 ふんわりと声をかけてきた恋人さんと自然に手を繋ぎ、そのまま大広間へ入っていく。

 思っていたものの数倍は広い部屋に、テーブルと椅子が左右に並べられていた。四人席のテーブルが等間隔に並び、いくつか空いているものを除けば既に朝食が配膳されていた。広間に入ってすぐ、仲居さんが二人目に入る。

 挨拶に挨拶を返し、名前を伝えて席に案内してもらう。"藍崎"の名前を名乗ることが新鮮で嬉しくて、ゆるりと頬が緩んだ。


「ふふっ」

「どうかしたの?」

「ううん、なんでもっ」


 訝しむ恋人にたっぷりの笑顔を見せ、目を細めて微笑む郁弥さんと向かい合って椅子に座る。

 同時に仲居さんからお米とお味噌汁のことを聞かれ、持って来てもらうことにした。入口すぐの長テーブルに炊飯器っぽいのとかお鍋っぽいのあったからそうかなぁとは思っていたけれど、やっぱりそうだった。

 ついでに固形燃料に火をつけてもらい、魚の干物を焼いてもらう。

 朝食の献立は、お漬物にサラダに煮物に魚の干物に温泉卵に納豆にお豆腐と、健康的でお野菜中心だった。あとお味噌汁とご飯と、デザートっぽくヨーグルトね。

 ぱぱっと写真を撮って、卵を割っている最中の郁弥さんも携帯に収めておく。シャッター音を聞いてか、むむっと眉を寄せてあたしを見てきた。


「ふふ、なあに?」

「僕も撮るよ?」

「ええ、どうぞ?」


 手を拭いて携帯を構える恋人に満面の笑みを送ってあげた。


「……ねえ」

「なに?」

「自然体の写真が撮りたいんだけど」


 そうなの?と聞き返す前にぱしゃりと音が聞こえる。


「笑顔は撮らないんじゃなかったの?」

「まあ、それはそれ、これはこれってやつで」

「ふーん。ふふ、別にいいけど」


 あたしにも撮らせてとお願いして、先にこちらの自然体写真を撮ってからと言われてしまった。

 交互に写真を撮り合って、それでようやく朝ご飯に手を付け始める。

 他の宿泊客の声を耳にしながら、二人でちょこちょこと話をしていく。美味しいとか、味がどうとか、髪の毛はねてるとか、そんなゆるゆるとした会話を続ける。

 朝ご飯の量もそう多いわけではなかったので、満腹にならないちょうどいいくらいで食べ終えることができた。


「ふー、ごちそうさまでしたー」

「お腹いっぱい?」

「んー、そこそこ?これから動くからいっぱいじゃなくてよかったかも」

「ふふ、そうだね」


 あたしより先に食べ終わっていた郁弥さんは、携帯を見たりあたしを見たりとして楽しそうだった。幸せそうな柔らかい笑みを見て、あたしまで優しい気持ちになっちゃったのは内緒。なんとか口角上がっちゃうのだけは抑えられたからよかった。


「食休みはいらなそう?」

「ん、大丈夫。そっちは?」

「僕も大丈夫。じゃあ行こうか」

「そうね」


 ちらりと携帯で時間を見る。八時を過ぎて少し。だいたい三十分くらいでお食事は終えたらしい。

 仲居さんに"ごちそうさまでした"としっかり伝え、ゆったりと大広間を出る。まだ食べている人もいれば、先に退席した人もいて。みんな帰り支度を進めるのかと思うと、やっぱりちょっとした寂しさが胸をよぎる。

 

「っ」


 きゅっと手を繋がれ、横を見ればほんのりと笑った郁弥さんがいる。

 温かい気持ちで胸がいっぱいになる。

 彼の手を握り返し、笑みも返し、無言の優しさに返事をするように言葉を伝える。短くも想いを詰め込んだ四文字は、恋人の明るい笑顔に照らされて輝いた。

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