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73. 雪街の朝に始まる

 見つめる先に映るのは深い雪に包まれた街。

 朝の六時半。見通しは悪く、この地域はまだ日が昇っていないのかもしれない。冬の雪空はじっと見つめていると不思議な重さを感じさせ、舞い降りてくる雪の粒からは真冬の冷気が伝わってくるよう。

 寒く、寂しい景色だった。


「日結花ちゃん」

「ん」

「見て?」


 言われて見上げていた視線を下ろす。窓際の座布団、隣同士で座っていた恋人の瞳を見つめる。

 なあに、と声なく目で問いかけると、彼はふふりと微笑んで窓の外を指差した。指先をたどると、そこには銀泉花ぎんせんかさんの目前にかかっている橋があった。橋の上はもちろん、欄干にもたっぷりと白い雪が降り積もっていた。そして、橋の中ほど、向かいの建物寄りの位置に座り、カメラを構えている男の人が見えた。


「写真撮ってるみたいね」

「だね」


 頷き合って、繋いだ手にきゅっと力を込める。

 外に出ている人は一人だけで、今の位置から見える限りで他に人はいなかった。雪が降る中、暖かそうな服を着込みフードを被り、一眼レフっぽいカメラを構えている。

 一人きりで寒そうなのに、旅行に来て朝から雪に降られて冷たいだろうに、それなのに、どうしてかずいぶんと楽しそうに見えた。


「あの人、楽しそうだね」


 ドキリと心臓が跳ねる。まったく同じことを考えていた。

 ぴっと顔を横に向けたら、少しだけ羨ましそうに外の人を見つめている恋人さんがいる。その儚げな横顔に胸がきゅぅっと締め付けられたような気分になる。

 あたしの視線に気づいてか、郁弥さんは微苦笑を浮かべた。


「ちょっとね。僕もあんな風に何かを本気で楽しめる人であったらなと思ってさ」


 難しい話だった。

 彼の気持ちが全部わからないわけじゃない。あたしも一時期似たようなことを考えていたから。ただ、あたしはちゃんとその何かを見つけて存分に楽しめちゃってるから。探すことを諦めちゃった人の気持ちだけは、わからない。わかってあげられない。


「郁弥さんにはさ」

「うん」


 わからないなら、わからないなりに聞いて知って話さなくちゃと思う。

 人と人が歩み寄るのなんて大変なんだし、まずはそこから、ね。


「ずっと楽しめることなかったのよね」

「なかったね」

「でも、あたしと一緒にいるのは楽しいでしょ?」

「うん」

「なら、一緒に探しましょ?あなたが楽しめる何かを、あたしと一緒に」


 言葉に詰まる恋人を見つめて、ふっと微笑みかける。


「一人じゃ見つけられなくても、あたしとなら見つけられるかもしれないじゃない。少なくとも、あたしと一緒にいる時間は心から楽しめているんでしょう?」

「そうだね……君となら、いつか。見つけられるかもしれないね」


 柔らかな微笑みにこちらまで自然と頬が緩む。心が温かかった。

 二人でしっとりと雪の街を眺める。ガス灯はどれも消えていて、向かいの建物近くに二つの電灯が淡く光っている。まるでそこだけを切り取ったかのように積もった雪が照らされて、色の濃淡が鮮明に見える。幻想的な雰囲気だった。

 窓の外を二人静かに見つめ続けることしばし。おそらく数分は経った。いくらでもこのままでいたいという気持ちと、少しずつ眠くなってきたという気持ちと、もっと話をしたいという気持ちと。いくつかの気持ちが混ざって悩む。……とりあえず、今しかできないことはやっておかなくちゃ。


「郁弥さん」

「なに?」

「窓、開けましょう?」

「え……」


 戸惑いの声が耳に触れる。


「寒いよ?」

「外の写真、撮りたくない?」

「……しょうがないなー」


 少し迷って、のろーっと立ち上がって行ってくれた。繋いだ手が解け、座布団の上に落ちる。

 一瞬、このまま何もしないでぽやぽやしていようかとも思ったけれど、時間の無駄でしかないので気力を振り絞って窓の鍵に手をかけた。

 それなりに固い鍵を回し、そこそこに重い窓をゆっくりと開けていく。途端に入り込んでくる冷気に身が震えた。


「さっむぅ」


 つい漏れた声をそのままに、ぐいぐいと窓を押し開いていく。保温のために分厚い窓ガラスは、開ければその分の空間ができる。部屋側の縁はいいとして、街側の縁は完全に雪で埋まっていた。それでも、窓の外に設置してある手摺、落下防止柵のおかげで雪の量は少ない。

 街側の縁は細めの板と呼べるくらいには広いので、手の置き場には困らない。まあ、さんがあるから置きやすいというわけでもないけれど。


「おまたせー」


 微妙に入り込んできそうできていない雪にわたわたしていたら、後ろからのんびりとした声が聞こえてきた。振り向く前に隣までやってきて、寒いねと笑いかけてくる。ちゃっかり眼鏡までつけてきている怜悧れいりな郁弥さんだった。


「おかえり」

「うん。ただいま」


 瞳を見つめて挨拶を交わした。軽い返事にこちらも軽くキスをして、さっさとお外の景色をカメラに収める準備を進める。


「どう、しようか。外の写真だけにする?」

「んー、とりあえずはそれで」


 あたしたちが映るのはこの位置からだと光の加減含め色々難しそうだし、撮っておきたいのは外の写真だからね。ひとまずは外だけでいいのよ。

 手早くカメラを構える恋人の横顔を見ながら、ぱしゃりぱしゃりとシャッター音を聞く。彼の頬が赤いのは冷たい外気を浴びたせいか、それとも。


「日結花ちゃん、どう?」

「ん」


 ちょっとした考え事は他所よそに置いて、写真を確認する。

 撮影中はあまり位置を変えていなかったから、写っているのは予想通りに同じ景色が数枚続く。ただ、軽く外の写真を撮ったにしてはどれもこれも驚くほどに綺麗なものだった。

 橋と建物と、川の石垣に歩道。ほぼ雪で埋め尽くされているのはいいとして、面白いのが写真の色。街灯が橙色に柔らかく光っているおかげで、写真全体の色が青みがかっている。光源付近の雪だけ真っ白で、他は薄い青か紺色になり、上手い具合に冬っぽさが強調されている。

 向かいの建物の入口とか二階の窓とかは真っ暗で見えないくらいだけれど、それがまた光に照らされた部分をはっきりさせて、現実と比べて幻想的な雰囲気満載だった。

 フラッシュは使っていないので雪の粒は見えないにしても、色合いだけでこうも変わるとは思ってもみなかった。


「綺麗」


 自然と感想が口からこぼれてしまった。でもそれくらい、本当に綺麗で、不思議に優しさを感じる写真だった。


「それはよかった。じゃあ撮ってみる?」

「うん。ありがと」


 手渡されたカメラを覗き込んで、外に向けてぱしゃぱしゃとシャッターを切っていく。正面、左、右とそれぞれ複数回ずつ撮って、フラッシュも使って色々試してみた。


「……ふー」


 橋で撮影している人が変わらずじっとカメラを構えているのを目下に、そろりと乗り出していた身体を引っ込める。写真を確認しようとしたら。


「んんぅ、なにー?」


 髪の毛をぱたぱたされた。目をつむって縮こまると、軽やかな笑い声と一緒にぎゅって抱きしめられた。


「髪に雪ついちゃってたからさ」

「……ぎゅーってしてるのは?」

「寒そうだったから?」

「どうして疑問形なのよー」

「ふふ、どうしてかなぁ」


 横からハグされて、恋人の温かさに嬉しくなる。あったかくて楽しくて、普通にニヤニヤしちゃう。

 どうにかこうにかと、ごろごろばたばたしたくなる気持ちを抑えて二人で写真の確認を行う。

 順番に見ていくと、さっき郁弥さんが撮ったのと似たような写真は向かいの光源が写っているものだけだった。他はどこにピントを合わせるかによって変わり、全体そのままだと建物の輪郭くらいしか写らなかった。空に合わせると明るくはなったけれど、逆に明るすぎてお昼みたいな感じになっちゃった。

 フラッシュはフラッシュで、昨日はたくさんあった光源がまるっきりないから、別の建物のガラスに光が反射したりとかが見えるくらい。あと雪の粒子。


「あれね。電灯のあるところが一番綺麗ね」

「そうだね」


 見つめ合って笑って、仰向けにお布団へ倒れ込む。

 窓から流れ込んでくる風は冷たく、きっと雪も少しは入ってきている。本当は閉めた方がいいのだけど、今はなんとなく、この早朝の冬風を浴びていたかった。

 繋いだ手が頭の上でお布団に埋まり、込めた分の力が優しく返ってくる。寒くて、冷たくて、普段じゃありえないほどに部屋も身体も冷えているはずなのに、胸の内はぽかぽかと温かい。

 ようやく、今日という愛おしく新しい一日が始まったような気分だった。

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