69. 夢、あるいはそんな世界
本日は二話投稿しています。こちら二話目です。
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二十歳を迎え、お酒が飲める年齢というものにも慣れた今日この頃。大学三年生ともなれば就職のことが目に入ってくると言うけれど、あたしにとってそれは関係がなかった。お仕事というか、そういった類のものはずっと昔からやっていたことだから。
思えば、もう声者になって十年なのよね。自分で言うのもなんだけど、よくやってるわよ。あたし。
もちろん最近になってようやく真面目にお仕事やろうって思ったとかそういうのは別としてよ。ずっとちゃんとやってたことは事実だからいいの。
「るーるるるー……」
舞台袖からゆっくりと歩いていく。
歌劇専用のマイクのスイッチは既に入っているので、あたしの声は会場に広がっている。
リズムを取り、自分にとって最も"力"を広げやすい感覚で波を起こす。今日は、というか今日も単音の歌を歌う。
あたしの場合ほとんど歌詞を付けないで歌うか鼻歌で済ませるので、これが平常運転だったりする。
口ずさむ程度ならないこともないけど、ちゃんと歌うのはよっぽど気分がいいときだけ。今日は普通の日。普通デイよ普通デイ。
緩い気持ちで力を広げ、会場に浸透させていく。目で観覧席の方を確認すれば、既に大半の人は浅いながらも眠りに落ちている様子だった。今日のリズムは自分なりに掴めたので、あとは流れでやるだけ。
「るー……と。はい、皆さん初めまして、咲澄日結花です。今日はお疲れの方が多いようですね。いえ、今日も、ですか。もう眠られている方もそうですが、起きている方は眠っていいですよ。ゆっくり、ゆーっくりと……そう、ゆっくりと……」
声のトーンと声量を変え、リズムはそのまま力を波に乗せていく。これはもう慣れたもの。基本的にゆったりした話し方の方が眠りやすいし、あたしもその方がリズム取りやすいから歌劇の最初はゆったりゆっくりとしたペースが多い。
意外にこの"自分のリズム"を見つけるのが最初は大変で難しかった。力のコントロールなんて一朝一夕でできるものじゃないのよね。本当、今の余裕が昔に欲しかったわ。
「――ん、こんなところかしら。ほとんど寝ちゃいましたね。じゃあ少し緩めてお話していきましょうか。あんまり話の内容考えてないんですけど、いつも通りです。や、いつも話題ないって言ったらそれもそうなんですが、今日はまた一段となんにもなくてですね」
ぽつぽつと話を始める。しっかり眠りに落とした後はノンレム睡眠を持続させるために一定のペースで力を流す形だから、本当に緩くでいい。ここで力込めすぎると、声者によっては起床の方の力入れても全然起きないとかざらにあるし。あたしもやっちゃったことあるもの。
慣れに慣れたお話の時間だけれど、あたしはこの時間も嫌いじゃなかったりする。音響の良いドームのような、ホールのような空間に響くのはあたしの声だけ。ちゃんと上手くできたなぁっていう実感と達成感があって、ほんの少し"力"にも酔って軽い陶酔感もあって。気分は上がりながら落ち着いている。
歌劇のためだけの会場は贅沢な使い方って思ったりもするけど、これで何百人、何千人のストレス緩和睡眠不足解消になるんだから国が力を入れるだけのことはある。
にしても、何話そうかな。
「んーと……ちょうどいいのでなんにもない話をしていきましょう。そもそもですね、結構な頻度で歌劇してるとお喋りする内容もなくなってくるんですよ。あたしの日常生活話も限界がありますし、旅行でもしなければ面白い話題なんてありません。例えば……例えばですけど、今週の水曜日って雨だったじゃないですか。あたしの場合、結構折り畳み持ち歩いているので突然の雨でもサッと防げたりするんです。それはいいんですよ。雨に濡れなくていいんです。でもですね。ほら、たまにあるじゃないですか。ちょっと雨浴びたいなーとか、雨の下でぼんやりしたいなーとか、車の音も人の声も全然しない静かな場所で雨宿りしたいなーとか。そういうの。そういう気分もあって、荷物放ってわぁーって雨を浴びてすっごくびちゃびちゃに濡れたことあるんです。あ、最近じゃないですよ。いつだったかな。……結構前だと思います。覚えてませんが。皆さんどうですかね。そういう日、ありますか?」
問いかけて、見渡して一息。
ほぼ全員が熟睡中。完璧な仕事にうんうんと一人で頷いた。
ちょっと前に気づいたんだけど、歌劇って言葉選びも意外と影響あったりするのよね。擬音語とか擬態語とか、他にも緩い言葉使うといいとか。割としっかり力に影響出てくるから奥が深かったりする。学びよ、学び。
「ふふ、良い感じに寝ちゃいましたね。続き話していきましょうか。敬語は一応、適度に崩して。あたしらしくお話しやすいように話していきます。話しやすい方が"力"の伝わり方よかったりするので。寝てる人は眠りの深度大きくなりますし、ウィンウィンですね、ウィンウィン」
それじゃあ、歌劇続けましょうか。
楽しくちょっぴり疲れる歌劇も終え、聖人聖者の精神性を持つ人たちとの対話タイムになった。誰も彼も意味不明なくらいあたしに優しいので、心が癒される。声者のあたしが言うのもなんだけど、この人たちが歌劇とかやってもいいと思うくらい。
「あら、こんにちは」
「こんにちはー」
今日は三人くらい起きていると思っていたけど、ちゃんと起きてたのは一人しかいなかった。あたしが"力"の使い方を学んでいくと、それだけ眠らずにいる人は減っていく。結果、今日は一人だけ。
嬉しいには嬉しいけど、ちょっとした物足りなさもある。物足りなさっていうか、寂しさかな。
「今日も起きていられたんですね」
「ええ、なんとか。考え事していたらいつの間にか、といった感じですかね」
「ふふ、あたしのお話は聞かずに?」
「いえいえ、ちゃんと聞いていましたよ?聞きながらです。聞きながら」
くすりと笑ってからかうと、やんわりとした否定でかわされた。物腰の柔らかさから、ふわりとした微笑みまで、全体的に穏やかさ癒しの権化みたいな人筆頭がこの人。たまに来て聞いてくれて全部起きているからつい名前聞いちゃった。藍崎郁弥さんだって。普通に覚えちゃった。
藍崎さんって、なんかすっごく話しやすいのよね。あたし好みな低音ボイスもそうなんだけど、話し方とか仕草とか表情とか。あたしが頭抱えて悩んでる頃に出会ってたらかるーく相談しちゃってただろうなーって思うくらい話しやすいの。
「最近どうですか?あたしの"力"効かないみたいですけど、ちゃんと眠れてます?」
「ええ、眠れていますよ。睡眠不足はないです。僕はともかく、聞いていた限り他の皆さんは眠っているので歌劇は大成功ですね」
「ふふ、まー、そこはあたしも頑張ってますし。藍崎さんこそいいんですか?たぶんあたしの声、これからも効かないですよ?別の声者の歌劇行った方がいいと思いますけど」
半分本気で半分冗談。この人にとってその方がいいのは事実だけど、いなくなっちゃったらいなくなっちゃったでちょっぴり寂しいもの。
「あはは。残念です、僕は咲澄さんだから聞きに来ているんですよ」
嬉し恥ずかし。正面から言われるとちょっと照れる。
「んん、ふふ。それは嬉しいです。最近はみんな眠り切っちゃうことが多いので、こうやって最後まで起きて話聞いてくれた人がいるのは結構嬉しいんです。ありがとうございますね」
「いえ、僕はただ起きているだけですから。そう言っていただけると、なんというか少しむずがゆいですが――」
そんなような話を続けて、歌劇は終えた。
今日はもう帰るだけだったので、さっさと家に帰って色々済ませてベッドに入る。
「……ふぅ」
今日も歌劇は楽しかった。歌劇そのものが好きだし、目に見えていろんな人のためになってるってわかるからやり切った感もしっかりある。でも全員眠っちゃうと、どうしても寂しさみたいなもののが出てくる。だからやっぱり、ものすっごい適当な雑談でもそこそこの時間喋って、最後まで聞いてくれている人がいたって事実だけで嬉しくなる。
でもこれ、藍崎さんのことばっかり考えてると、まるであたしがあの人を気にしてるみたいであれね。変に恥ずかしくなってくるわね。でも、ああいう人でも悩みあるのかなーとかは思っちゃう。
あたしが長い間うだうだずーっと悩んでたから、あんな慈愛の女神ならぬ男神みたいな人でも人並みに悩むのかなぁって。そう思うと、あたしの"力"が効かない分お喋りで何か手助けでもできたら――。
「……はぁ」
ため息が出た。
我ながら少し気にしすぎ。ちょっとばかり縁があるだけの人なのに、どうしてこう気にしちゃうんだか。色々好みだとか、なんか記憶に引っかかってるとか。そういうのがあるにしたってあたしらしくない。
一目惚れ?そんなわけないし。色恋なんてあるわけない……ないわよね。ええ、ないわよ。
ぽやぽやと浮かんだ考えを振り払って目を閉じる。
明日は用事もないから、家でゆっくりしましょ。あぁでも、知宵に聞いてみてもいいかな。あの子も暇だと思うし、そうしましょ。
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