68. 夜話3
「なんかさ」
「んー」
「さっき日結花ちゃんのファンの子に会ったでしょ?」
「さっき?外での話?」
「うん。夜景撮ってるとき」
「そうね。会ったわね。それがどうかしたの?」
「なんていうか、声者って有名人なんだなぁって思った」
「ふふ、なによそれ」
後ろからかけられる声に笑って答える。
暗闇の中、恋人に包まれ、お布団にくるまれ。眠気がもう一度訪れるまで、ぽつぽつと会話を続けていく。
「だって、普通旅行先で自分を知ってる人に声をかけられることなんてないよ」
「それはそうでしょ」
一般常識的にね。旅行に行って知り合いに会うとか、それこそ意味わかんないじゃない。偶然にしても出来過ぎ。
「あたしだって一応声者やってるし、普通の人よりは名前知られてるわ。でも、たぶんあなたの思うほど有名じゃないわよ」
この人の考えてる有名度合いは、きっとテレビで見る人レベル。頻繫じゃないにしても、メディアに露出して顔も名前もそれなりに知られているとか、そんな感じだと思う。実際あたし――声者はそこまでじゃない。
「そうなの?」
問いかけに頷き、口を開く。
「たしかに声者って人前で喋ったり歌ったりしてるから名前知られてる人多いけど、あんまりテレビには出てないのよね。声を使うお仕事だから、わざわざ全身さらす必要ないのよ。そっちメインなのはエイシィでしょ?身体の動きとか表情で人のこと魅了するんだから」
「言われてみれば。そういえば声者の人がテレビに出てるの全然見たことないかも」
「でしょ?」
むむ、っとうなる恋人さんに寝返りを打って向き合った。夜闇に薄っすら人の輪郭が浮かぶ。目と鼻と口と、暗い視界に慣れているからそこそこに表情が見えた。唇をへの字に曲げていて可愛い。
「日結花ちゃんは?」
「ん?」
何を聞かれたのかよくわからなかった。名前を呼ばれたことだけはわかる。
すごくどうでもいいんだけど、好きな人に名前呼ばれるのっていいわよね。何が良いかわかんないけど、ただ良い。
「えっと、日結花ちゃんはテレビ出たことある?」
「ない――いや、あったかも?」
ちょっと考えさせてとだけ告げ、目を閉じる。目を開けたままだと郁弥さんの顔がすぐ近くにあって集中できないから。
どうだったかな。ないと思ったんだけど、あったような気もする。まず、CMに出たことはないわね。ニュース番組だってあるわけないし、もちろん映画やドラマだってない。バラエティ番組は……うーん、あった。あったけど、これバラエティってくくりに入れていいのかしら。
「あったわ。声者特集みたいなのに呼ばれて出たことあった」
「へー」
「……反応薄くないかしら」
「あ、あはは。まあほら、うん。それより僕に聞きたいこととかない?」
また露骨な話題逸らしをしてくれる。全部顔に出ちゃってるのよ。目も逸らしてるし、ていうか身体ごとあっち向いちゃうし。同じ姿勢大変なのはわかるからいいけど、このタイミングでそれしなくてもいいでしょ。抱きつくわよ。抱きつくから。
「んふふぅ、あったかぁい」
「……後ろから抱きしめられるとこんな気分になるのかぁ」
ぽつりとこぼれた声を拾った。感触がどうとか聞こうと思ってすぐにやめた。自分で自分の墓穴を掘るのはよくない。考えるだけ無駄ね、やめましょ。そんなことより彼に聞きたいこと考えなきゃ。何かあったかな。
「んー……ねえ郁弥さん」
「なに?」
恋人の背中を抱きしめ、左手で遠慮なく身体を引き寄せながら名前を呼ぶ。一つ、思いついたことがあった。
「もしも、もしもの話よ?」
「うん」
「もしも、あなたがあたしのことラジオとかネットとかで知らなかったら、どうなってたと思う?」
一度聞こうと思って、すぐに泡みたいに消えちゃったこと。彼があたしに、咲澄日結花に気づかなかった世界線。
「君を知らなかったらって、大人になってからの話だよね?」
「うん」
「そっか。どうだろうね……」
言葉が途切れる。じっと考えているのか、視界に見えるうなじからじゃまったく読み取れない。数十秒か、一分か。それくらいの時間が経って続きが耳に触れる。
「たぶんだけど、遅かれ早かれいつかは知ってたと思う。名前は知らない、住所も知らない。もちろん連絡先も知らない。覚えてるのは幼さ混じりの声と、おぼろげな顔だけ。それでも、僕は探してたから。数日か、数か月か。下手したら数年か。時間はかかっても見つけてたんじゃないかな。当時の僕にとっての未練なわけだし」
執着とも呼べるその想いは、どこまでも純粋で真っ直ぐだった。
予想通りといえば予想通りで、だからこそ、この人が"そのとき"にあたしを見つけてくれてよかったと心の底から思う。一番に限界だった頃の彼を、切羽詰まっていたはずの郁弥さんを助けられてよかったと思う。もしもじゃなくてよかったと、ほっとした。
「むしろ、君はどうなの?日結花ちゃんが僕と出会わなかったら、もしくはもっと遅い時期に出会っていたらどうなっていたと思う?」
問われたことに頭を切り替え、少しだけ考えてみる。
あたしが郁弥さんに出会わなかった場合。それはつまりお悩み相談相手がいなくて悶々するということに繋がる。実際のところ悶々なんて優しい話じゃないんだけど、それはいいとして。
お仕事どうしようかなぁとか悩みつつ、たぶんなんだかんだ知宵のおかげでいい感じになってたとは思う。家族関係も同じ。代わりに時間がかかっていたかな。
前に郁弥さんが、"僕がいてもいなくても可愛くて愛おしい日結花ちゃんなら自力で解決できたよ"とかなんとか言ってたと思う。年齢的に思春期だったからとも言われたし、実際どうかはわかんないけど、一理ないこともない。
郁弥さんがいなかったら、二十歳くらいになってようやく色々安定してたかも。そんな気がする。今ほどお仕事に打ち込んでなくて、大学に通ってるとか普通にありそう。
「……んん、なんとなく想像できた」
「おー、どうだった?」
「うーんとね。たぶんだけど、ちょうど今頃。あたしが二十歳になったぐらいでお仕事への向き合い方とかちゃんとできるようになったと思う」
「……遅くない?」
「し、仕方ないじゃない。昔のあたしがそう簡単に人に悩みなんて打ち明けられないの、あなたが一番知ってるでしょ?」
「あー、うん」
納得の声に気まずさが混じっている。顔を見たら軽い苦笑でも浮かべてそうな声音だった。わざわざ引っ張っても楽しくないので、さっさと続きを話す。
「二十歳になって、少しは大人になったあたしが郁弥さんと出会うのよ。それ以前に会ってたらお悩み解決が早まるだけだから、とりあえずそれで納得しておいて」
「うん。わかった」
「あなたに会っても、たぶん今のあたしほどすぐ惹かれはしないわね。悩みもなくなってるし、頼れる友達もいるし。珍しく"力"効きにくいなぁとか、良い人ね、とか。思ってもそれくらい」
「だろうね」
「運命的に何度も会うこともないとすると、仲良くなるのにも時間がかかるわね。あの頃の郁弥さんだったら、悩みがなくてもそれなりに気にはなってくるはずだもの」
「それは申し訳ない」
「別にいいわよ。とにかくね。時間をかけて恋仲になるのよ」
「え?いきなり恋仲?日結花ちゃんが僕を好きになる要素なくない?」
おかしな妄言を吐く人ね。いつにも増して変だわ。
「あなた、自分がどれだけ魅力的かわかってないでしょ」
「……自信はないです」
か細い声が聞こえる。絶対しょんぼりしてる。声だけでもう可愛い。
「んん、ええと、ね。あなたがあたしのこと大好きなのは事実でしょう?」
「それは、うん」
「あたしのことばかり考えてる人がいて、歌劇で話す機会はそこそこあると。性格は慈愛の塊みたいで、しかもそれがあたし限定。顔は苦手じゃないし、身体は好みの部類に入ると。最初からあたしこと大好きで一番に考えてくれて、当たり前に褒めて優しくして甘やかしてくれる人が目の前にいたら、どう?」
「どうって言われても」
困る、と言いたげな雰囲気が伝わってくる。無視して言葉を要求した。
「――そりゃ、好きになるかな」
「そういうことよ」
観念したかのように絞り出された言葉に即答で返した。
好意全開だってすぐわかるくらいなのに、そこに一切の欲望が入っていないって、それもう聖母様だから。理由知ってる今だから彼の"無償の愛"は受け入れられないけど、何も知らずに受ける愛情は酔っちゃうくらいに心地いいと思う。
惚れるかどうかは別にしても、この人と話してると気分いいなくらいは軽く思っちゃう。そこからどんどん惚れ落ちていくのよ。わかりやすいわね。
「そんなわけで、時間はかかりつつも郁弥さんがあたしに会いに来る時点で将来的に恋仲にはなるのですっ」
「僕以外とは――あぁ、いいや。僕以上に君のこと思える人いないのだけはわかってるから言わなくていいよ」
「うふふー、そうそう。わかってくれて嬉しいわ」
恋人の成長が感じられて嬉しい。
「にしても、結局恋人になるって思うと運命感じちゃうね」
「そうね――」
運命。
偶然か必然か、巡り合わせか。郁弥さんとの出会いは、それだけ特別なものだった。昔はこんな関係になるだなんて思っていなかったし、まだちっちゃな頃はあたし自身なんにも考えてなかった。悲しそうな人がいるなとか、可哀想だなとか、あるのは子供らしい単純な気持ちだけ。でも、その出会いが、あの始まりがあったから今のあたしたちがいる。
ずっとずっと前から、いろんな道をたどった先で再会するようにできていたのかもしれない。それに名前を付けると、きっと運命なんて言葉になるんだと思う。でもまあ。
「――あたしは、噓か本当かわからないような運命でも、あなたに出会えてよかったけどね」
軽やかな笑い声と共に、優しく言葉が返ってくる。
運命でも、運命じゃなくても。別になんだっていい。今ここに二人でいて、思い出を積み重ねて過ごしてきた時間がある、それがすべてだから。
恋人を抱きしめる腕にぎゅっと力を込めて、手繰り寄せるようにもう一度と手を繋ぐ。もしかしたら、あたしが幸せのために彼の手を掴んだのかもしれない、なんてことを思って一人くすりとこぼす。
真実は誰にもわからないけれど、繋いだ手の温もりだけは、紛れもなく正真正銘の本物だった。




