67. 夜話2
「ふふふーん……らららぁらー……ふふふんふふーん……ららーふふーん」
「……人を抱きしめておいて鼻歌を歌わないでもらえる?」
何がおかしいって、すべてがおかしい。
同じお布団に入っているのはいいわ。あたしも望んだことだし。後ろからぎゅって抱きしめてきたのも、まあ良しとしましょう。上から手を重ねて繋いでくれたのがすごく胸キュンポイント高いから許してあげる。抱きしめられることそのものも悪い気分じゃないもの。
でも、その状態でいきなり鼻歌はだめ。声量抑えて途中かすれ気味なのが余計癪に障るのよ。暖房切って、電気も消して、寝る準備全部済ませてのそれはほんと意味わかんないから。
「うん。ちょうど思い出してさ。恋愛青春卒業ソングなんだけどわかった?」
「わかるわけないじゃない」
「ふぅぅ」
「ひゃぅん!?」
首筋に吐息はずるいでしょ!後ろ取ってるからって調子乗らないでよね。怒り――はしないけど、恥ずかしいわ。
「ふふ、日結花ちゃんは可愛いなぁ」
「も、もう。悪戯しないでっ」
「ごめんごめん。もうしないよ。それより、どう?眠い?」
「……ううん、あんまり。そっちは?眠れないの?」
軽やかだった声が沈んで、ちょうどいい落ち着いた声音になった。さっき聞こうと思って言い切れなかったことを聞く。
郁弥さんの調子を聞いている感じ、たぶん眠れないんだと思う。
「うん。眠ろうと思ったら逆に起きちゃって。日結花ちゃんは?」
「あたしは……んー、わかんない。最初から眠くなかった気もするし、あなたのせいで眠気飛んじゃったような気もするし」
「そっか。じゃあちょっと話さない?」
「いいわよ」
視線を交わさず、顔を合わさず、静かな部屋で同じ布団にくるまってのお話が始まった。ぴたりと合わさっている背中は温かく、重ねられた手は心地良い甘さで胸の奥を満たす。
「日結花ちゃんってさ」
「うん」
「可愛いよね」
「え、ありがと」
「あぁ、そうじゃなくて。いや可愛いのは事実なんだけど、顔整ってるよね」
「あ、そっち?ええ、まあそうね。そこについてはママとパパにお礼言ってちょうだい」
事実は事実だから否定しないわ。超一流じゃなくても準一流くらいのレベルはあると思うの。これでも一応人前に出るお仕事してるし、いくら顔が関係ないと言ってもね。自信なかったら薄いナチュラルメイクで普通に人前出たりしないわよ。さすがにあたしだって、他の人よりかなり薄いメイクなのは自覚してる。
「それはまた今度ね。なんていうか、顔立ち良くて、声も良くて、スタイルは……ええと、全体的に可愛いのに――」
「ちょっと待ちなさい」
「な、なに?」
「スタイルのところで言い淀んだのはどうして?」
「別に深い意味はないよ。僕の好みと世間一般の好みは別だから言わなくていいかなって」
「はっきり言うと?」
「胸ちっちゃいし華奢というよりはむにっとしてるから、もし背が低かったら俗に言うちんちくりんだったと思うんだ」
「言い過ぎ。そこまで言う必要ないじゃない」
「僕は胸ならちっちゃい方が好きだし、細身より健康的な方が好きだよ」
「そ、そう。……ん、いいわ。許してあげる」
「ありがとう」
「だ、だからその。もうちょっときつく抱きしめ――っん」
はぁぁぁぁ幸せっ。
前からぎゅってされるのも大好きだけど、後ろからこう、ちょっぴり苦しくなるくらい抱きしめられるのまた素敵。包まれてる感がやっぱりすごい好き。特にお布団の中だとあったかくてぽかぽかしてて、これ、癖になっちゃいそう。
「これでいい?」
「んぅ、いい。すき」
気持ちよくて幸せで、頭の中がふわふわ浮かんでいく。
これは、うん。気持ちよく眠れそう。
「よかった。さっきの続きだけど、聞いてもいい?」
「ええ、なんでもきいて」
あったかい。もうずっとこのままでいたいかも。お風呂のときは暑くて大変だったけど、お布団だとちょうどいい。部屋も寒くなってきてると思うから、ほんとにちょうどいい。
「えっと、日結花ちゃんって仕事も仕事だし、さっき言ったように可愛いしさ。華やかな世界見て、それこそアイドルとかやってみたいと思わなかったの?」
……むむ。
「どうかしらね……」
頭が冷えた。結構ちゃんとした質問で言葉に詰まる。
アイドル。幻想、偶像、崇拝と。今ではそこまで高尚な言葉じゃなくなったけれど、元はそんな意味だった。以前調べたことがあるからこれは間違ってないはず。
アイドルと言えば歌って踊れる、人に夢を見せる仕事だって印象があると思う。実際に声者とかエイシィ――Action Charmed Humanの略。以前は声者と対比して動者だったけど、ダサいとかで名前が変わった――とかにアイドルやってる人もいるし、あたしだって何度か会ったことある。
みんなきらきら輝いていて、憧れなかったというと嘘になる。割と、ううんかなり憧れた。
「……たしかに、憧れはしたわね」
声者としての素質は十分にあるだけで、やろうと思えば表舞台になんていくらでも立てる。努力は必要だし、同じ声者やエイシィの人相手だと大変だけど、業界的に素質持ちは歌手とか舞台メインで演者になろうとする人が多いから競争相手は少ないし。別に舐めてるとか馬鹿にしてるわけじゃなくて、純然たる事実としてそれだけの"力"を持ってるから。
だから、たぶんやろうと思えばできた。本気で目指している人には悪いけれど、少しずつ声者、エイシィが増えてきているからそれも時間の問題だとは思う。
じゃあなんであたしがやらなかったかというと。
「あたし、もう手遅れだったのよ」
「手遅れ?」
柔らかな声が耳を揺らす。
こんなことを聞いてきたってだけで、この人が答えまでたどり着いていないとはわかる。まあわかんないかと、ほんのり口角が上がった。あたしだって、今考えないとわかんなかったことだもの。
「ふふ、ええ。ねえ郁弥さん。アイドルのこと、どう思う?」
すぐには答えを告げず、少しだけ話を逸らした。
「アイドル?すごいと思うよ。かっこいいよね。みんなの夢というか、文字通り人の偶像として立つなんて僕には真似できないから」
「ふーん、そ。じゃあ教えたげる。アイドルにならなかった理由ね」
"みんな"。そう、アイドルはたくさんの人の夢になる。それがどんな感情であれ、多くの人を惹きつけることに間違いはない。
あたしがアイドルを間近に見て知ったとき、憧れはしても"なりたい"とは思わなかった。だって――。
「――あたし、あなただけのアイドルでいたかったんだもん」
みんなじゃなくて、たった一人だけのアイドルでいたかった。他の誰かの夢でなくていい。たった一人。郁弥さんのアイドルで、彼の夢であればそれでよかった。あの頃にはもう、そう思っちゃうくらいにはこの人のことが大好きだった。
「それは、ええと……うん。すごく嬉しい」
背中越しに感情が伝わってくる。きゅっと震えて、それからあたしを抱きしめる力が緩む。重ねられた手を外し、今度はこちらから手のひらを上に乗せた。
「ふふ、アイドルっていろんな人に夢を見せるお仕事でしょ?あたしが夢を見せて、夢を与えたい人はもう隣にいたもの。あなたが、郁弥さんがいたから"憧れ"はしても"なりたい"とは思わなかったのよ」
「だから手遅れ、かぁ」
「ええ、ふふ。そう、だから手遅れ。わかってくれた?」
「うん。はっきりと」
恋人の手の甲を撫でながら、伝わる体温と柔らかな声に頬を緩める。不思議なくらい、気持ちが温かで穏やかだった。
「日結花ちゃん」
「なに?」
「僕、君が好きだ」
「あたしも、あなたが好きよ」
「好きになってくれて、ありがとう」
「あたしの方こそ、好きになってくれてありがとね」
凪いだ心に幸せの風が吹く。"好き"の想いに満ちた風は止まず、心の中すべてを満たして全身に広がっていく。
これ以上ないくらいに、胸の内が、全身が幸福でいっぱいだった。




