66. 夜話1
夜。部屋から一歩外に出るだけで暗闇が広がり、しんと静まり返った世界が出迎える。日付を跨ぐ時間まであと三十分もないと考えると、早く寝なきゃという思いが出てくる。
あまあまふわふわな時間を過ごし、二人でお布団に潜り込んで数分。揃って仰向けで、身体がかなり密着したまま横になっていた。部屋の電気が目に眩しい。
「ねえ」
「なに?」
お布団の中で触れ合った指と指を絡ませたり追いかけっこしたりと、遊ばせながら声をかける。視線はそのまま、身体も完全に敷布団に預けたままでいる。
「明日、何時に起きる?」
話そう話そうと思って、今の今まで話せなかったこと。明日のことだし最後でいいやと後回しにしていたら、結局夜遅い時間になってしまった。それこそ本当に寝る前のお話。
「どうしようか。朝食の時間って七時半だったよね」
「たぶん」
朝ご飯は旅館とかホテルでよくある結構早い時間。今回は七時半だった。バイキング形式だともうちょっと融通利いたりするかもだけど、明日は違うのできっかり決められた時間に行かないといけない。
「日結花ちゃんさ」
「うん」
「明日の朝、お風呂入る?」
「……んー、それで迷ってる」
俗に言う朝風呂。
お湯は熱かったけれど、その分外の空気が冷たくて気持ちよかった。景色はともかく、あれだけ風情がある露天風呂に入る機会なんて今後もそうない。……とか、考えるとね。入りたいは入りたいのよ。でも、時間が。今すぐ寝ても朝ご飯のこと考えたら六時くらいに起きることになるし、六時間しか眠れないのはやだ。もっと寝たい。
「郁弥さんは朝お風呂どうするつもり?」
考えても答えは出なかったので、お隣の恋人さんに聞いてみた。
あ、手繋がれちゃった。
「僕は入ろうかなって思ってた。もう一回銀山温泉来ても、銀泉花さん泊まることないと思うから」
「ふーん……」
せっかくだし、とでも付け加えそうなニュアンスの言葉に声を返して、浅く長く息を吐く。
なんていうか、そう言われちゃうともう決まったようなものなのよね。もう一回この旅館に泊まるかどうかじゃなくて、郁弥さんが入るって時点でそれ以外に選択肢がなくなっちゃうのよ。
「じゃああたしも入る」
だって、一人でお部屋に残っても寂しいだけだし。朝起きたとき隣から抜け出されたら悲しいし、一緒に起きてイチャイチャしてちゅっちゅしてお風呂入りたいし。
「そっか」
「ん」
「目覚まし、何時にする?」
「六時くらい」
「わかった。二人分かける?」
「お願い」
何か聞いてくることなく頷いてくれた。枕元でごそごそとしている物音が聞こえるので、空いている方の手で携帯を探しているのかもしれない。と思ったら、ちょっとと声をかけられて繋いでいた手が解かれた。かすかな切なさを置いて、くるりと回転する恋人の姿が視界の隅に映る。
「あー、日結花ちゃんパスワードってなんだっけ?」
「んー?指紋は?」
「なぜか反応しない」
「むー、あとで登録し直さなくちゃだめじゃない」
「そうだね。明日やろう」
これ明日に回してやらないやつかも。そんな急ぎでもないし別にいいけど。
「それで、パスワードは」
「あなたの誕生日とあたしの誕生日のミックスよ」
「へー。数字六桁なんだけど」
「ふふ、どうだと思う?」
身体を横向きにすると、枕に顎を乗せた郁弥さんと目が合う。あたしの携帯を持って小難しい顔をしている。可愛い。
「うーん。教えてください」
「あら、降参早いわね」
「まあ、さすがに僕も眠いから」
言われてみれば、ちょっぴり目元がしょんぼりしてる。眠そうな顔してて、ひときわ可愛さが増した。
「それもそうね。順番に――」
いつまでも遊んでいたらそれこそ時間が遅くなってしまうので、さっさとパスワードを教えて目覚ましをセットしてもらった。
そのまま流れで電気も消してもらい、部屋が完全な暗闇に包まれる。隣に潜り込んでくる音と触れる体温にドキリとしながら、徐々に目が闇に慣れてきて思ったよりも見えることに気づいた。
「案外見えるわね」
じーっと隣を見つめると、ぱちぱち瞬きをしているところまでしっかりと見える。障子一枚挟んでカーテンのない窓だからか、電気を消しても真っ暗闇とは言えないくらいだった。
夜は雲があった方が明るいとか言うし、雪雲に覆われている今はそれだけ明るいのかも。
「そうだね。おやすみ」
「おやす――んん!?早い早い。早いわよ」
突然のおやすみに追いつけなかった。たしかに寝る体勢整ってるし郁弥さん普通に仰向けで寝ようとしてるけど、そんないきなり言われても…。ていうか遠い。地味にさっきよりも距離遠いから。
「ぬぁ、近い。でも手があったかい」
「近い方がいいでしょ?ね?」
「……うん。このまま寝よう」
じりじりと身体を近づけて、肩と肩がぶつかるくらいに密着させた。指を絡ませ貝殻のように隙間なく結んで、人肌の温かさに身を任せる。
「……」
なんとなく、喋る気分じゃなくなって。ぼんやりと天井を見つめる。さすがに天井の板までは見えず、薄っすら木枠があることぐらいしかわからない。
郁弥さんも同じ気持ちなのか、それとも声を出したくないくらいに眠いのか。どちらにせよあたしと同じで静かにしている。聞こえるのはかすかな呼気だけ。
こんな近い距離で、二人っきりで同じお布団で寝るのは初めてだというのに、思ったよりも緊張していない自分に驚く。もっとドキドキして目も合わせられなくなるのかと思っていたけれど、案外簡単にリラックスできた。
疲れているのもあるかもしれないけど、それよりも寂しさの方が大きい。もう終わっちゃうんだって、一日が早くてまだ物足りないって気持ちがいっぱいある。でもその気持ちを覆い隠すように安心感が包んでくれる。恋人の温かさと、息遣いと、一緒にいられる幸せと。
きっと、好きよりも愛おしさが前面に出てきているから、今これだけ落ち着いていられるんだと思う。
「……はふぅ」
猫みたいに可愛らしいあくびが耳に触れ、隣で動く気配がした。寝返りを打ち、ごく自然に手を離してくる。そして当たり前のように脚を絡めて右手をお腹に乗せてきた。あたしの右脚が温かいものに包まれる。
ぴしりと身体が固まって、恐る恐るお隣を見れば何事もなく目を閉じている恋人の姿があった。ちょっと意味がわからない。
まだ寝てるとは思えないし、この人絶対起きてるはずなんだけど。わざとよね。わざと。あたしのこと誘惑してきたって全然まったく効かないんだか――。
「起きてる?」
「にぃぅっ!」
まあ、そういうこともあるわよね。耳が近いのよ耳が。声が漏れちゃうのくらい普通よ、普通。
「にいう?」
「く、繰り返さなくていいから」
「そう?」
「そうっ」
「そっか。まだ起きてたね」
「ん、んぅ。ええ、起きてた」
顔熱くて横向けないわ。あ、そうだ。こうしましょ。
いい感じに思いついたので、ごそごそと身じろぎして姿勢を変える。郁弥さんと同じ向き、つまり彼に背を向ける形。これなら羞恥心も薄れるし、余計にドキドキしなくてすむ。
「眠れないぃひゅみゃぅっ」
後ろから抱きしめてくるのは反則じゃあないかしらっ!!!




