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52. 好きの理由を伝えること

 雪の香りは雨の香りに似ているようで違う。雨の場合は湿った空気と濡れた地面の発する匂いが原因になるけれど、雪の場合はそこに冷えた空気が加わる。雨によって汚れた空気は沈み、ある程度澄んだ空気だけが残る。土が雨水を吸収して、植物が雨水を吸収して、呼吸により植物独特の香りを含んだ空気が上空に漂うことになる。雪が降るほどに空気が冷たくなると植物由来の湿り空気も冷え込み、匂い成分もまた性質が変わる。結果、雪の香りになる。

 最初から最後まで全部あたしの想像だけどね。たぶんそんな感じでしょ、知らないけど。


「ねー郁弥さーん」

「なんだい」

「あたし、雪の香りって好きなのよねー」

「へー。僕も好きだよ。好きだけど……」

「だけど?」


 途中で言葉が止まったので聞いてみた。頭を傾けて隣を見ると難しそうな顔が目に映る。髪の毛がしゃなりと揺れて恋人の肩にかかる。

 こちらを見て、くすぐったそうに身じろぎしたあと笑って口を開いた。


「やー、どんな匂いが好きか言おうと思って思いつかなかったのさ。ははは」

「ふーん」


 乾いた笑いを漏らす恋人の横顔を眺めながら、直感に従って言葉を投げる。


「ほんとは思いついてるんでしょ?」

「ぎくっ」

「うふふ、わざわざ"ぎくっ"なんて口にする人初めて見た」

「様式美ってやつよ」

「それで?何を思いついたの?」

「……続けますか」

「ええ、もちろん」


 にっこりと笑顔をプレゼント。

 それで諦めたのか、はぁ、と嘆息してうかがいがちにあたしを見つめる。何か不都合なことでもあるのかしら。うーん、この雰囲気はちょっと違うかも。躊躇い?不安、とか?


「……言っても引かない?」

「え、えっと……内容によるわよ?」


 全然見当もつかないけど、そんな不安そうな顔で言ってくるって相当な話なのかな。それはちょっといくらあたしが郁弥さん大好きでも引くときは引いちゃうからなんとも言えない。


「そうだよね。よし、言うか。どんな匂いが好きかって、まあ、うん。日結花ちゃんの匂いが好きなんだ」

「え?」


 なに?あたしの匂い?


「え、それだけ?」

「ん?う、うん。それだけだけど」


 そんな不思議そうに見られても。それを向けたいのはあたしの方なんだけど。


「えーっと、郁弥さんって時々おばかさんよね」

「そんなことない、と思うけど」


 小難しげに眉をひそめる恋人さん。

 どんな内容かと思ったらまったく気にもならない、本当にちっちゃいことだった。あたしの匂いが好きなんて、もう、本当におばか。


「あたしの匂いが好きって言った程度で引くと思ってたんでしょ?それならやっぱりおばかさんじゃない。そんなの引くのひの字にすら引っかからないわよ。あたしだって雪の匂いと郁弥さんの匂い比べたら絶対あなたを選ぶし、そもそも比べものにならないわ」

「そ、っか。うん。ありがとう」

「ん」


 返事は頷きで返して、仲直りの印に抱き寄せてもらった。肩じゃなくて腰に手を回してもらうワンランク上の恋人テクニック。自分から寄るんじゃなくて、抱き寄せてもらうのがポイント。裸なせいで恥ずかしさが強いけれど、それ以上に嬉しいからいいの。頭も預けて、幸せ満載。完璧。


「あ、そだ。郁弥さん郁弥さん」

「うん、うん。なに?」

「あのね、あたしのこと好き?」

「うん。好き」

「あたしのこと愛してる?」

「愛してるよ」

「どんな風に?」

「うん?……あぁ、さっきの話か」

「そそ。これ聞こうと思って忘れてたの」


 さらっと"愛してる"って言われて地味にドキドキしてるのは内緒。


「どんな風にかぁ。どんな風にだろうね。少なくとも無償の愛じゃないよ」

「ん、それは知ってる」

「そうだねー」


 ぼんやりと外を、光の届かない雪に包まれた世界を見上げている。彼の考えがまとまるまで暇で、あたしも空を見上げようとしたところで声がきた。思ったよりも簡単にまとまったらしい。


「とりあえず、愛情としては重い部類かな」

「ふふ、それも知ってる」

「あはは、そっか。うーんと、僕は日結花ちゃんが好きだし、幸せになってほしいっていう部分は変わらないんだ。幸せになってほしいだけじゃなくて、幸せにしたいって気持ちも今は加わってるのが違いの一つ目」

「嬉しいこと言ってくれるわね」

「まあね。事実だし。二つ目の違いは、おそらくこれが決定的に"無償の愛"との違いになるんだけど、お返しがほしい」

「お返し?」


 こくりと頷く恋人に向けて問いかける。推測はつくので、答え合わせのような感じではあるけれど。


「愛しているんだから、愛してほしい。愛情には愛情で応えてほしい。言葉でも、態度でも、行動でも。僕があげられるすべての愛に対して、君なりでいいから精一杯の愛情で返してほしい。君が幸せだから僕も幸せだなんてもう言えやしないよ。他の誰でもない、僕という人間と一緒に幸せになってほしい。……こんなところかな」


 真剣な顔で真剣な言葉で、真剣に"愛情"を語ってくれた。

 正直にどんな感想を抱いたかというと、んー、やっぱ重たいなー!って感じ。この重い愛情がこの人、郁弥さんの本質的な部分だからむしろ聞けて嬉しいんだけど。

 ストレートな言葉って、どうしてこうこんなにもキュンキュンくるのかしらね。今の彼の"愛情"は本当にあたし好み。ちゃんと人間臭くて、あたし個人のこと愛してるってぐいぐい伝わってくる。愛されたい欲が満たされる。


「んふふー、ねえねえ郁弥さん」

「な、なんでい」

「ちょこーっと意地悪な質問してもいい?」

「い、いやだ」

「ちょこーっと意地悪な質問してもいーい?」

「う、い、いやだっ」

「ちょこーっと、意地悪な質問、してもいいー?」

「……いやです」

「ちょこ、っと!意地悪な!質問しても!いい!?」

「はいどうぞ!」

「まったく、強情な人ね」

「うぅ、これが絶対に"はい"を押すことになる勇者の気持ちか……なんて絶望感だ」


 なにやら悲しげにぼそぼそ言っている恋人は無視して笑顔で話を始める。楽しい楽しい質問タイムの始まりよ。


「郁弥さんってさ。あたしのこと嫌いにならないの?ていうかなんであたしのこと好きになったの?」


 手始めに一つ。二つ目は今思いついて追加させてもらった。何度も聞いてるけど、このタイミングで聞くのもいいかと思って。


「ええと、嫌いにはならないよ。なんで日結花ちゃんを好きになったか?もちろん――」

「あ、人としてじゃなくて異性としてって意味だからね」

「――おーけー、わかった。そうなると変わってくるな」


 "人として"だと、救われたとか恩人だとかさっき聞いたのと完全に同じになっちゃうものね。今聞きたいのは恋愛的に、愛情的に、どうしてあたしのこと好きになったかなのよ。

 にこにこしながら恋人さんの顔を見ていたら、ぎゅっとつむっていた目が開いていった。

 目を閉じている郁弥さんも可愛くて好きだけど、開けているときは開けているときで見つめ合えるから好き。


「異性としてだと、まず最初は他の何よりも声だったと思う」

「あら嬉しい」

「日結花ちゃんの声、可愛いよね。ふわっとしているのに透き通っていて綺麗で、恋人になってからめちゃくちゃ甘い声出すことを知ってまた惚れ直したくらい」

「にゃぅ、べ、べつにわざと甘い声出してるんじゃないんだからね」

「ふふ、わかってるよ」


 微笑みながら髪を撫でてきた。いっつもこれされると気持ち緩んで声も緩んで……あぁ、やっぱり全部郁弥さんのせい。好きな人に愛されたら声の一つや二つ甘くもなっちゃうわよ。


「声に惹かれた後は笑顔だったかな」

「笑顔?」

「うん。歌劇とかイベントとかで見る笑顔じゃない、もっと柔らかくて優しい笑顔。これ今まで言ってなかったけど、僕と話しているときの日結花ちゃんの笑顔、本当に魅力的なんだ。他の人に見せたくないくらい」

「そ、そうなんだ……」


 自覚なかった。


「以前より全体的に表情柔らかくはなっていると思うけど、僕の見た限り僕とイチャついてるときが一番ゆるゆるしてて可愛いよ」


 何気に自慢なんだよねー、とかなんとか。ひどく恥ずかしいことを臆面もなく言ってくる。

 顔が見れない。そろっと目を伏せて片頬を恋人の肩に押し付けた。


「笑顔のあとはもう芋づる式だ。顔は可愛いし身長もちょうどいいと思ったし、髪の毛も艶があって綺麗だし。キリっとしているようで微妙にたれ目なところも知ってすぐ好きになって、大人な性格も実はすごく子供っぽいの隠れてただけとかだって好きだし、僕を呼んで返事したときに嬉しそうな顔するところなんて、それだけで惚れちゃうくらい大好きだよ」


 わわ、わぁぁ。ほ、褒め殺しはだめ。照れる。めちゃくちゃに照れる。嬉しくてにやけるっ!


「全部が好きって言ったら陳腐に聞こえるけれど、僕は君の全部が好きだ。前は日結花ちゃんだから好きとも言ったかもしれないけど、それだけじゃなくて僕の好み、趣味嗜好、性的指向、全部に当てはまってるから好きなんだよ。好きになった、の方が正しいかもね」


 あぁぁだめ。顔が熱い。今絶対あたしの顔真っ赤。耳まで熱いもん。知恵熱?羞恥熱?うう、ドキドキする。やばい。嬉しい。恥ずかしい。とっても嬉しい。好き。好き好き!


「郁弥さん…………好き」

「僕も好きだよ」

「えへへぇ」


 なんか、なんかもう満足しちゃった。あたし、今世界一幸せかも。

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